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新幹線で北陸に行く前に歴史好きなら読んでおきたい!『北陸から見た日本史』

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『武将ジャパン』でもお馴染み、富永商太さんがイラストで参加した『北陸から見た日本史』(読売新聞北陸支社編、洋泉社)が出版されました。

これは読売新聞の北陸地域版に2012年から2015年まで連載された『ほくりく学』をまとめたもので、テレビや雑誌でお馴染みの本郷和人さん(東大史料編纂所教授)や「武士の家計簿」の磯田道史さん(静岡芸術文化大教授)も執筆陣に名を連ねています。北陸以外の地域に住む者にとって、やっと読むことが出来る待望の一冊ですね!
北陸の歴史を縄文時代から江戸時代まで網羅した『北陸から見た日本史』。日本海側から見た日本史も、なかなか興味深いものがあります。

日本海沿岸の広くて濃厚な文化(縄文時代から古墳時代)

"麗しい"が語源だと言われている漆(漆器)。漆は漆の木の樹液。これをお椀などの器物に塗って乾かすと、固く丈夫になり、美しい艶と輝きを生み出します。
この漆塗りの技法を生み出したのは、なんと縄文人でした!

1万2600年前の縄文時代草創期の遺跡(福井県若狭町の鳥浜貝塚)から漆の木の枝が発見され、9000年前の縄文時代前期の遺跡(北海道函館市の垣の島B遺跡)からは世界最古の漆製品(遺体が身に着けていた衣類と装身具)が発見。そして7000年前の石川県七尾市の三引遺跡からは、本格的な漆製品が発見されました。

鳥浜貝塚から出土した木の櫛。漆研究家で輪島漆芸美術館長の四柳嘉章さんによるとこの突起は「鹿の角」なのだそうです(画像は福井県のサイトより

北海道、青森、秋田、新潟、富山、能登、若狭、鳥取、島根など日本海側の遺跡から漆製品が多く出土していることから、中国大陸との関係も含め、日本海側には古くから漆の文化が発達していたようです。
漆は数千年を経ても劣化が少なく、すばらしい接着力と光沢を保ち続ける高度な高分子化合物。たまたま漆が付着したおかげで保存が叶った重要な文書も多数存在します。

そういえば"JAPAN"も"漆器"という意味。日本は"漆器の国"と言ってもいいのかも。北陸は今でも輪島塗(石川県)、山中塗(石川県)、若狭塗(福井県)など、漆器が大変盛んですね。漆を蒔絵や沈金などで飾り、芸術の域にまで昇華させた日本漆器の文化を、廃れさせてはいけないですね!

漆を通じたつながり以外にも、北陸には山陰の影響を受けたと思われる(ヒトデのような)四隅突出型墳丘墓や、鉄素材や鉄器などが出土します。

神々のつながりをみても、石川県羽咋市の気多大社のご祭神はオオクニヌシ、新潟県糸魚川市の奴奈川神社のご祭神はオオクニヌシの奥様のヌナガハヒメ、長野県諏訪市の諏訪大社のご祭神はオオクニヌシとヌナガハヒメの間に生まれたタケミナカタ、石川県珠洲市の須須神社のご祭神はオオクニヌシとヌナガハヒメの間に生まれたミホススミ、この方は島根県美保関町の美保神社のご祭神でもありますが、このような出雲系の神々とのつながりがみられます。

気太大社

素人巫女になれる神社として知られる気多大社

今までは北九州~瀬戸内海~畿内ルートばかりが注目されてきましたが、これからは日本海を介した大陸~山陰~北陸ルートも注目しなければならないですね!

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東北の復興のために北陸から移住した人々(奈良時代から平安時代)

北陸は越の国(高志の国)と呼ばれた大きな国でしたが、702年に越前(福井・石川)・越中・越後の三つに分けられ、718年には越前から能登が分割されました。

当時の漢文を習得するためのテキストは『論語』や『千字文』でしたが、それらが能登半島にある七尾市の『古府ヒノバンデニバン遺跡』から出土しました。また700年頃の墨書土器も見つかっていることから、七尾市に国府があったのではないかと言われています。この七尾市にあった国府は東北を治める拠点でもあったようで、東北地方が地震や津波で壊滅状態になった時、復興のために北陸から移住させられた大勢の人々がいたそうですよ。

また当時の一般人が使っていた漢字はせいぜい30~40種類だったそうで、墨書土器からは『富、財、豊、集、加、得、万、十万、千万、安、大、太、吉、福、生、人、神、仏』などの文字が見つかっています。主に儀式や呪術用のために文字が使われていたようで、つまり「お金持ちになりますように」とか「もっとお金が増えますように」というようなことを願っていたようです。なんとも通俗的な?

また北陸は山海珍味を取り寄せ、朝廷に献上する地域でもありました。若狭(福井県西部)は御食国(みつけくに)と呼ばれ、天皇や貴族に捧げる特別な食事を用意していました。『万葉集』の編纂をした大伴家持も越中の国の長官として赴任しましたが、雅な宴をひらいた跡が富山県高岡市に残っています。

立山に振りおける雪を常夏に 見れども飽かず神からなし ――大伴家持

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「平家にあらずんば人にあらず」と言った人は能登に流されていた(鎌倉時代)

平安時代末期、平清盛の妻・時子の弟で、後白河上皇の妻・滋子の異母兄、つまり清盛の孫の安徳天皇の大叔父であり、滋子が産んだ憲仁親王の叔父でもある平時忠という方がいました。
平時忠は平家全盛の時代、「平家にあらずんば人に非ず」とまで言ったとされる人物で、大河ドラマ『平清盛』では森田剛君が演じていましたが、平家滅亡後は能登に流罪となりました。
石川県輪島市にはこの平時忠の子孫の邸宅、上時国家(かみときくにけ)と下時国家(しもときくにけ)が今も現存しています。どちらも江戸時代後期に建設された近世木造民家最大級の大庄屋屋敷です。凄い迫力ですよ!

時国家母屋

重要文化財・時国家HP↓
http://www.tokikunike.com/index.htm

日本の10大港の多くが北陸に集中していた!(室町時代)

室町時代の後期、廻船式目によって繁栄した港を『三津七湊(さんしんななそう)』と言います。

三津…堺、博多、阿農津(三重県津市)
※堺ではなく坊津(鹿児島南さつま市)という説もあり
七湊…越前の三国湊(福井県・九龍頭川)、加賀の本吉湊(石川県・手取川)、輪島湊(石
川県・川原田川)、岩瀬湊(富山県・神通川)、今町湊(新潟県・直江津、関川)、
土崎(秋田県、雄物川)、十三湊(青森県・陸奥、岩木川)

どこも大きな川の河口にあり、船で川を遡り、更に奥地の方まで物資を運んでいた様子がわかりますね。しかしそのほとんどが日本海側、しかも北陸に集中しているというのが驚きですね!

北陸の城がすごい(戦国時代~江戸時代)

それでは最後に、北陸のお城をご紹介しましょう。(本での筆者は城郭考古学者の千田嘉博・奈良大学長です)
・金沢城(石川県)
天正11年(1583年)前田利家によって築城。2つの枡形を持つ格式の高い名城。近世城郭の整備と活用の最先端をいっています。Good job!石川県教育委員会!

・丸岡城(福井県)
御存じ、『現存12天守』の中でも最古級を誇ります。

・一乗谷朝倉氏遺跡(福井県)
日本を代表する朝倉氏の中世城下町遺跡。研究所や資料館を置いて調査から整備を行っている全国の手本です。富永商太さんの復元イラストも必見です!

・七尾城(石川県)
戦国時代、能登の守護・畠山氏の居城。天正4年(1576年)上杉謙信が攻め落とし、天正9年に織田信長の部下だった前田利家が城主となりました。

・高岡城(富山県)
慶長14年(1609年)前田利長により築城。世界的に見ても特筆すべき馬出しのあるお城です。
・白山市鳥越城(石川県)
映画『バラッド』のロケ地にもなりました。一向一揆の拠点で、一向軍VS織田信長軍の激戦地です。

(このツイートの写真はロケの際のもので物見やぐらなどはありません)

・加越国境城郭群(石川県、富山県)
信長の死後、『小牧・長久手の戦い』があった頃の、北陸での前田利家と佐々成正の激しい抗争の跡が伺えます。

前田利家、柴田勝家、大谷吉嗣、佐々成政、高山右近など、ゆかりのある戦国武将のエピソードも沢山ある北陸地方。この歴史と文化いっぱいの北陸に、どうぞ行ってみられ~、行ってみまっし。

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重久直子・記




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