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【書評】本郷和人『戦国武将の選択』(産経新聞出版)

更新日:

本郷和人先生の新刊がまた出たぞ!
3月刊行の週刊新潮の連載をまとめた「戦国武将の明暗」(新潮新書)に続いて、今度は産経新聞に連載されたものである。
タイトルは「戦国武将の選択」(2015年5月31日刊)。
しっかし、この家のフォトショップで作りました、みたいな表紙の装丁はなんだろうか?
しっかし、中身はいつもの本郷節で読みやすくて、驚きもたくさんあります。

本郷本(前から読んでも後ろから読んでも)の醍醐味は、前文や後書きにあります。前著の「戦国武将の明暗」では自虐ネタから入りましたが、今回は攻撃的ですね。

「歴史資料を二の次、三の次にして歴史を語ろう、などと謳う『歴史解明シリーズ』のあり方にてゃ、それがどんなに人気を博していても、ぼくは賛成できません」は、あのベストセラーとあのベストセラーかなとニヤニヤしてしまいますが、それは歴史研究者にとっては当たり前。

返す刀で、「歴史研究者」も斬りつけます。

「『吾妻鏡』が絶対だ、とか『信長公記』こそは他とは隔絶した信頼すべき資料だ、というような立場にもにわかには同意できない。(略)何人もの法曹官僚が関与した『吾妻鏡』ですらこうなのですから、太田牛一(『信長公記』の作者)という個人、しかも彼は体系的な学びの経験をもたない、を信じ切ることなどできるはずもない」
と、これまた、あの研究グループのことかあと想像できます。

では、編纂物も使わず、1次資料だけを使えば「正しい歴史」が描かれるのか、というと、今度は具体的に2人の研究者の名前を出して、「古文書だけを用いて、研究を進めていきます。禁欲的ですごいな、と感心します」としながら、「けれども、そうした厳格な方法にすら問題はあるのです」として、
ルイス・フロイスが、武田信玄が「天台座主」(比叡山天台宗のトップ)を名乗ったことに対して、信長が「俺は第六天魔王だ」と名乗ったことをあげて、「これ、どうみても、ブラックジョークですよね。それなのに、これを真っ正直に捉えて、信玄と信長の仏教観は・・・・・・なんて言い出したら、滑稽な話になるんじゃないかな」
ぎくり。確かに、そうですね。

さて目次は以下のラインナップです。

まえがき 史料とのつきあいはバランスが大事
第1章 あの兵力差で信長は本当に桶狭間を戦ったか
第2章 「天下統一」という新概念はどう生まれたか
第3章 部下・光秀が「本能寺」を決めた出来事
第4章 「戦国最強の武将」は誰か
第5章 武将たちが残した人生哲学
第6章 執権北条氏、粛清政治の手法――戦国前夜①
第7章 「大義名分」がない中世武士の感覚――戦国前夜②
第8章 利休は強欲だから秀吉に殺されたのか
第9章 「利休七哲」と徳川大奥
第10章 武将の名から人間関係が見える
第11章 家康と「信康切腹」と「長篠」

 

この中から、「第10章 武将の名から人間関係が見える」の内容を少し紹介します。

徳川家康の名乗りの変化は

松平元康

松平家康

徳川家康
となります。元康から家康にかわったのは、「元」が主君だった今川義元の「元」からもらったものを今川から独立するので「返上」したことですが、松平から徳川に名字を変えるときに、ひともんちゃくありました。

時の正親町(おおぎまち)天皇が「先例なきことは公家にはならず」として許可をしぶったのです。

このことについて、Wikipediaの徳川家康では以下のようになっています。

永禄9年(1566年)までには東三河・奥三河(三河国北部)を平定し、三河国を統一した。この年、朝廷から従五位下・三河守の叙任を受け、徳川氏に改姓した。
松平家はすくなくとも清康の時代から新田氏支流世良田氏系統の清和源氏であると自称していたが、正親町天皇より「清和源氏の世良田氏が三河守を叙任した前例はない」と拒否された。そこで家康は近衛前久に相談した。近衛前久は松平氏の祖とされる世良田義季が得川氏を名乗った文献があること、また新田系得川氏が藤原姓を名乗ったことがあることなどを突き止め、家康個人のみが「徳川」に「復姓」するという特例措置を得、従五位下三河守に叙任された。このため、この改姓に伴い、氏を藤原氏としたが、これは家康ひとりのものであった。

先の天皇の発言を「松平から徳川への改姓は先例がない」と解釈したのが、著名な近世研究家の笠谷和比古さん(国際日本文化研究センター教授)ですが、本郷さんは「ネット上の関連記事などはみなこれに倣っています。でも中世史研究者で朝廷の史料をまともに読んでいれば、笠谷説が誤読(笠谷さんほどどえらい研究者なら、名を挙げて批判しても構いますまい)であることは直ちに分かります」と一蹴します。

どういうことでしょう?
ちょっと長いですが引用します。

「朝廷は源平藤橘を代表例とする『姓(かばね)』で人を認識する。名字はどうでもいいのです。家康が松平だろうが、徳川だろうが、それは知ったことではない。(略)ただし、姓は勝手には変えられない。(略)家康の場合、自分は新田一門の「徳川」(得川の得を雅字に換えた)です、と名乗った。そこまではいい。けれでも、自分の姓は『藤原』だ、とも称した。朝廷はこれで困ってしまった。新田の庶流ならば清和源氏のはずだ。つまり、源家康であるべきだ。それなのに、この『いなか武将』は、自分は藤原家康である、という。こういうデタラメに対して官位を与えた先例はないぞ、と正親町天皇は反発したのです。(略)この話でどこが重要かというと、家康は『新田一門が源氏である』との初歩的な認識をもっていなかった、というところでしょう」

うーむ。色々衝撃的ですね。誰かWikipedia直しておいてください~!

と、このように中世史・戦国史のちゃぶ台をひっくり返す重要なお話が平易な言葉で散りばめられています。
お値段は880円(税抜き)です。

続編で期待したいのは、「第8章 利休は強欲だから秀吉に殺されたのか」の答えですね。強欲だからではない、ということは分かりましたが、なぜコロされたのでしょう?読み飛ばしていたらすみません。

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編集部




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