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最上義光像/photo by 長月七紀

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書籍・映画 最上家

東北の名将・最上義光のオススメ書籍をピックアップ! ついでに「鮭様」の誤解を解いておきましょう

更新日:

2016年3月はちょっとした最上義光ラッシュでした。
長年伝記がないと嘆かれていた彼の伝記が何と二冊も出たからです。ここで今回、その二冊の伝記の内容を比較してみたいと思います。

【TOP画像】最上義光像 photo by 長月七紀(当サイトで連載「その日、歴史が動いた」を担当)

 

人物叢書「最上義光」

待望の最上義光伝。最上氏の成立、義光の生涯、死後の伝説化までこれ一冊でわかります。最上義光について理解したいと思ったら、まず手に取るべき定番の一冊となるでしょう。

家臣団配置、改易後の主要家臣の仕官先一覧等、家臣の動向がわかる表あり。

 

構成:義光以前の最上氏、義光の生涯、文人としての義光、改易後の家臣と伝説化される義光像
図版:モノクロのみ。巻頭、ページ各所に図・写真が入る
巻末付録:最上氏略系図、城郭一覧、山形市街図、略年譜、参考文献一覧
執筆経緯:長谷堂合戦四百年(2000年)にあたり、筆者が講演、史跡案内をしていて義光の生涯に興味が高まった。以前から流布されている謀略を好む義光像に違和感があり、過度の美化は避けて正統な評価をすべきだと思いながら書いた。
人物叢書にあって柏版にないもの:改易後の家臣団動向、伝説化された義光像

 

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「家康に天下を獲らせた男 最上義光」

タイトルや宣伝がかなりあおっている印象ですが、中身は落ち着いた最上義光伝です。タイトルに偽りありで、どうやって義光が家康に天下を獲らせたかは、はっきりと答えが書いてあるわけではありません。天才戦略家としてのやたら誇張された記述もなし。安心して読めます。
人物叢書は複数説がある場合両論併記が多いのですが、本書は両論ある最上寄りの解釈をしている場合が多いように感じられます。伊達政宗の母・義姫をはじめとする義光の家族については、人物叢書よりも記述が多く感じられます。義光が使用した花押や印章の解説もあり。著者が長い年月をかけて集めてきた史料の量には圧倒されるはず。花押や印章の使用についての考察は、かなり専門的です。
人物叢書のように死後の伝説化や影響についてはあまり記載がありません。ディープに踏み込んだ一冊と言えるでしょう。
義光周辺の人物、義姫、義康、家親、嫡孫の家信についても章を建てた記載があります。

 

構成:最上一族とは、義光の一生、義光のその後(家親、家信の動向中心、東北における大坂の陣)
図版:モノクロのみ。ページ各所に図・写真が入る
付録:略年譜、関連文書一覧、参考文献一覧
執筆経緯:山形大学都市・地域学研究所所長となった著者が、山形の歴史や魅力を見直すために最上義光研究に着手。忘れられていた最上関連の文書を多数発見し、地元で発表する。そこへ柏書房社長が執筆依頼をしてきた。
柏版にはあって人物叢書にない、あるいは少ないもの:印判・花押の比較一覧、義姫や妻子ら家族に関する記述、文書一覧

 

戦国の明星 最上義光

さらに深く学ぶ方に!
著者:片桐繁雄
出版社:最上義光歴史館
価格:1,000円(+送料全国一律360円、現金書留封筒代、手数料)
最上義光研究を地元で続けてきた片桐氏の著書。松尾氏も彼の強力を得て執筆したとのことです。中学生あたりを対象とした地元の英雄伝記という体裁ではありますが、逸話も豊富でファンならばマストバイアイテム! 山形土産として、最上義光歴史館に立ち寄った際に買うのがおすすめです。
その他、最上家の刀剣、改易後の家臣、連歌、様々な部分に特化した書籍が販売されています。より深く最上義光について知りたい方は、カウンターで書籍担当者に聞いてみましょう。電話での対応もしています。
柏書房版には「伊達政宗や上杉景勝ばかりが注目される中で、最上義光を見なければ、東北大名の動きは理解できないということを主張していきたい」とあります。これは真実ですが、最上義光だけでは東北大名の動きを把握できないのもまた、真実。東北の戦国期を知りたい方には、吉川弘文館の「東北の中世史」の4巻、5巻がおすすめです。

 

どちらを選ぶべきか?

結論から言いますと、両方当たりです。
装幀の好みやくじ引きで買う方を決めたとしても、どちらも当たりですのでご安心ください。
どちらも現在容易に入手でき、かつてない良質な最上義光伝です。

 

本書で解きほぐす「最上義光、よくある誤解」

山形全体で人気がある

山形県置賜地方は、景勝以降江戸期は上杉家の城下町であり、むしろ義光には敵対していた側です。したがって、置賜地方ではむしろ最上義光の人気はありません。米沢城には上杉景勝と直江兼続の銅像があり、彼らや前田慶次がご当地武将として人気があります。

伊達政宗とライバル関係であった

奥羽とひとくくりにされることがありますが、最上家の支配権は日本海側の出羽。伊達家の支配権は太平洋側の陸奥(ただし本拠地米沢は出羽)。最上義光の目標は羽州探題の復権であり、出羽以外に領土を広げる意図はありませんでした。義光と政宗が直接対決したことはありません。伊達家は政宗より前の稙宗時代に、長谷堂城で最上家を大敗させ滅亡寸前まで追い込みました(永正11年、1514)。しかし伊達家は最上家を滅ぼすことはなく、娘を送り込み当主・義定の正室として嫁がせ、傀儡政権としたのみに止まりました。伊達家と最上家の間には、互いを敵視し滅ぼそうと考えるほどの敵意はなかったようです。

政宗と義光は、例えば武田信玄と上杉謙信のような、何度も刃を交えたライバル関係とは異なり、むしろ互いに書状を出し合い、援軍を出す等、それなりに友好的な関係を保っていました。唯一戦うことになりかけた大崎合戦では、義光の妹であり政宗の母である保春院(義姫、お東の方)が仲裁したため、結局戦ってはいません。互いに何かと気になる、時には煙たい存在でしたが、不倶戴天の敵とは到底言えません。

野心家だった

義光はさほど野心家であったとも思えません。羽州探題としての地位復活には執念を燃やし、庄内には執着していますが、出羽の外にはまったく野心も関心もないようです。朝鮮出兵に備えて名護屋に滞在していた際は、ホームシックにかかったかのような言動すらしています。

ギリニ=不義理な男だ

『信長の野望』で義理が2であったため、戦国武将でも屈指の不義理な男と思っている人もいますが、義光が主君を裏切ったことはありません(そもそも政権にとって外様大名であった義光の主君は誰、定義はどういうこと、ということにもなるんですけどね)。関ヶ原で東軍についたことを豊臣政権への裏切りと解釈することもできなくはありませんが、あの戦いも名目上は秀頼を擁した徳川家康に対抗した上杉景勝討伐から始まっていますので、裏切りと言えるかどうかは保留すべきでしょう。

豊臣政権に結果的に裏切ったとみなすにせよ、それは義光だけのことではありません。また、秀次事件に巻き込まれ惨死した義光の愛娘・駒姫のことを考慮すれば、同情すべき部分もあるのではないでしょうか。

義光はむしろ家康に対しては義理堅い面があり、関ヶ原でも終始家康に味方し続けた、外様大名としては珍しい存在です。義光は家康に天下をとらせたとまでは言えませんが、「天下分け目の戦いの際、家康をずっと支持していた男」とは言えるでしょう。

暗殺を多用した

これもゲームの影響でしょうか。病床に見舞いに来た白鳥十郎長久事件のインパクトが強いためか暗殺のエキスパートのように思われがちですが、実ははっきり暗殺をしたとわかるのはこの白鳥事件くらいです(嫡男義康については不明確)。しかもこの白鳥暗殺は、新に発見された史料『最上物語』によれば、織田信長の追討命令を得ての行動であったそうです。手段は騙し討ちでも、動機としてはやましいことはない、と見ることもできます。

伊達政宗毒殺未遂事件の黒幕である

前述の通り、義光は白鳥暗殺も信長のアポを取るくらい慎重な性格です。小田原参陣前夜の混乱の中、秀吉に無断で大名である政宗を暗殺するようなことをするとは考えられません。松尾氏は義姫による暗殺未遂事件そのものが捏造であると断定しており、たとえ伊達家の公式記録に書かれた出来事であっても無批判に信頼してはいけない、としています。
松尾氏の著書には義姫の人柄、伊達と最上のあいだで果たした役目もふれられています。我が子をも殺し欠けた悪女像から脱却した彼女が見えてきます。

田舎者で教養がない

義光は連歌の才能に恵まれ、優れた絵画を見る目も持っていました。人物叢書「最上義光」では、「文人としての義光と心象の世界」という章がもうけられ、詳しく書かれています。これを読むと、『源氏物語』等古典文学の造詣が深く、絵画を見る目に秀でた、洗練された文人としての像が見えてきます。また、軽快に筆を走らせた筆跡は癖がなく、人情味溢れる義光の人間性が書に表れているとのこと。力自慢の武将としてだけではなく、別の一面が見えてきます。

謀略に秀でている? 天才戦略家?

義光は策や謀略を駆使したと思われがちです。ところが実際にその戦いぶりを分析してみると、実はそうでもないことがわかってきます。
義光の戦い方というのは、まず慎重に準備をしています。家督相続から出羽平定まで、内政を安定させて力を蓄えています。出羽平定での戦いぶりも、有力な敵家臣を引き抜く、交渉して臣従させる、敵の領地に無断で田地を宛行い動揺させる等、どちらかと言えば地味、しかし敵にとっては嫌なものです。

例えば天童頼久攻撃の際には、事前に伊達氏、天童氏とは姻戚関係に国分氏に対して、介入をしないように約束させています。このように事前に徹底して敵を弱体化させ、万全を期してから攻撃を行います。攻撃を行って相手が反撃したら、いったん矛を収めて再度弱体化を狙う。そしてまた攻撃を仕掛ける。それが義光のスタイルです。地味で無理がなく、それでいて確実性があります。このような義光の戦い方は脚色しづらいのか、軍記では義光の膂力や個人的武勇を強調した肉付けが行われていたようです。

こうした義光の戦い方から受ける印象は、際だって苛烈でも卑劣でもありません。天才的なきらめきより、優等生的な渋さを感じさせます。フィクションとしてのキャラクターづけと実像がずれてしまうのは、あまりに優等生的で個性が出しにくいからかもしれません。

そして最後に!

この最上義光人気は仕込みじゃないの?

違います。敢えて言うならば、バイアスと取り去り見直そうという機運が山形中心に盛り上がり、それが出版につながったということです。誰も大がかりな作戦など仕掛けていないからこそ、むしろ予想外の重版即決定につながったのではないでしょうか。

最上義光の良質な伝記が相次いで発行されたことは、彼のファンだけではなく、東北戦国史を学ぶ人にとっても朗報です。繰り返しますが、「伊達政宗や上杉景勝ばかりが注目される中で、最上義光を見なければ、東北大名の動きは理解できないということを主張していきたい」(柏書房版より引用)なのです。はっきりしてこなかった東北戦国史に、新たな光源が発見されたという意義は重要であると、私もこれから主張していきたいと思います。

 

記:最上義光プロジェクト(http://samidare.jp/mogapro/

最上義光の知名度アップを目指し、オンラインで情報発信を続けているサイトです。



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※「鮭様」とは、鮭が好きでたまらなかった最上義光さんに対し、愛着を込めて使う彼のアダ名です

 

 

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