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真田の赤備えは下着まで! 辞世の句が書かれた「赤ふんどし」が幸村の命日に発売!

更新日:

 

大河ドラマ、絶好調!

いつの時代もスーパーヒーローな真田幸村(信繁)さんには華々しいイメージがあり、現代でも戦国時代を代表する武将……と言いたいところですが、彼の人生の大半は人質・蟄居生活でした。ある意味、安定したニート武将。それが幸村の半生(というか人生の大半)です。

しかし、彼にも侍魂を燃やしていた青春時代はありました。

敵対する徳川、北条だけでなく、上杉、豊臣と大大名に囲まれる中「拙者もいつかは戦場で!」と若かりし頃は夢見ていたハズ。

現実は、関ヶ原の後に九度山での蟄居生活を余儀なくされ、父・昌幸の葬式すら出せない環境のなか、兄・信之からの仕送りに頼る生活でしたが、そんな苦境にも耐え続けられたのは己の心に真紅の炎を燃やし、「打倒!家康!」の荒ぶる魂を決して滅することがなかったからでしょう。

だからこそ、男でも惚れてまう!

今回はそんな男気を受け継ぎたいRYO!(世界初サムライ特化企業である株式会社DO THE SAMURAI 総大将)が、赤備え幸村の魂を込めた「辞世の句 ふんどし」の告知をさせていただきたいと思います。

皆さん少々お付き合いください。

真田幸村赤ふん3

 

とかくとかく、年の寄り申し候こと口惜しく候

堺雅人のみならず草刈正雄や城田優、中村雅俊と、そうそうたる「イケメン俳優」が演じてきた幸村。

彼がほぼ晩年まで過ごした九度山での蟄居生活は実に14年にも及び、歳も四十半ばを過ぎようとしていた頃には、こんな言葉を残しておりました。

「とかくとかく、年の寄り申し候こと口惜しく候、我々なども去年より、にわかに殊の外、病者になり申し候、歯など抜け申し候、髭なども黒きはあまりこれなく候」

華々しく戦場を駆け巡る姿はマンガのイメージ。実際は、病弱で歯抜けで白髪、すっかり老け込んでしまっていたのです。

そんな最中訪れた千載一遇の大チャンス。それが大坂の陣に備えた豊臣方からの誘いであり、また、スーパーヒーロー幸村誕生の瞬間でもありました。

 

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一世一代 遂に訪れた活躍の場

幸村は、武田家の重臣・山県昌景が率い、後に井伊の赤鬼と恐れられた井伊直政が継承した「赤備え」で大坂城へ颯爽と入場。自らが主張した積極策は受け入れられず、篭城策に決定するも決して諦めることはありませんでした。

皆さんご存知、ドラマのタイトルにもなった「真田丸」です。

現代の調査で、小さな城であったとも称されるこの砦は、三方を川や海、湿地に囲まれていた大坂城唯一の弱点・南側の丘陵地を守るために作られたと伝わっており、開戦前から激戦地となることが予想されておりました。

当初は、この砦構築の許可すら得るのに一苦労だった幸村。新参者である上に、兄は徳川方。確かにたやすく信頼を得られるポジションではありませんでした。おまけに大量の浪人衆を集めておきながら、ここぞという時に諸将を疑心暗鬼の目で見てしまう大坂城首脳部の脆さも見受けられました。

かくして開戦を迎えた大坂冬の陣。

幸村の挑発行為にまんまとのせられた前田利常隊が攻め込んだのを見て、井伊直孝、松平忠義も真田丸へ突入。鉄砲隊による応戦で徳川軍の先鋒隊に大打撃を与え、首尾よく敵を撤退へと追い込みます。この戦いで幸村の武名はようやく世間に知られることになり、それは同時に、地の利を生かす奇抜な戦略で徳川軍を2度も打ち破った父・昌幸の武勲をあらためて評価させたのです。

叔父・信尹(のぶただ)に「寝返らないか」と説得されるも、憤慨してこれを断る幸村。しかし待ち受けていたのは、冬の陣の和議と、家康の戦略により堀を埋め立てられて丸裸になった大坂城でした。

真田幸村赤ふん5

 

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「真田日本一の兵(ひのもといちのつわもの)

そして迎えた翌1615年、大坂夏の陣。激戦の末、大坂方の名立たる武将が次々に命を散らし、大掛かりな作戦遂行もままならぬ中、幸村もまた死を覚悟、最期の戦いに挑みます。

狙いを定め一丸となって突撃した幸村隊――。

猛攻の末、家康の馬印を倒すまで本陣に切り込み、死を二度も覚悟させるまでに至りながら……そして自らの武運が尽きることも同時に感じていたでしょう。幸村は、四天王寺近くの安居神社境内で身体を休ませていたところを討ち取られ、生涯を閉じることとなりました。

後日、島津忠恒が国許に送った手紙の中では、かくのごとく称賛されていたと伝わっております。

「真田日本一の兵(ひのもといちのつわもの)

家康を何度も翻弄した幸村の武功は、江戸時代においても判官びいきな庶民に受け入れられ、スーパーヒーローとして現代まで広く愛されることとなったのです。

彼が冬の陣の前に義兄・小山田茂誠に送った手紙にはこんなことが書かれておりました。

「定めなき浮世にて候へば、一日先は知らざる事に候。我々事などは浮世にあるものとは、おぼしめし候まじく候」

(明日のことはどうなるかはわかりません。私たちはこの世にいないものと考えてください)

死を覚悟した力強い意思と共に読み取れる家族への思いやり。これが幸村の辞世の句とされています。

時代に翻弄されつつも、人生の最期を華々しく見事に散った幸村。江戸時代のみならず現代に生きる人の心までも魅了するのは、めまぐるしく変化を続ける時代の中で、幸村のように自分の輝ける場所を探しているからでしょうか。

 

「辞世の句」赤ふん 命日に発売させていただきます

さて、日本古来の下着と言えば……ふんどしです。「褌」の漢字は「衣」偏に「軍」と書くように、戦闘服に由来するそうですが皆さんはご存知でしたでしょうか。

私は常々思っておりました。

幸村はじめ真田の兵にとって大坂の陣は一世一代の大勝負。見事な赤備えの甲冑の下には、赤ふんどしをキリリと締めていたのではなかろうか?

そこで企画したのが、今回、告知させていただく写真の赤ふんです。

真田幸村赤ふん1

拙者が総大将を務める「(株)DO THE SAMURAI」と「(社)日本ふんどし協会」によるコラボ商品で、幸村の命日に当たる6月11日(旧暦5月7日)にサムライにかけて36枚の限定発売!

価格は税込み3,600円で完全受注生産となっており、発送は7月中旬を予定しております。

詳細はコチラhttp://dothesamurai.com/fundoshi_yukimura

今回、ふんどし協会さんとの同盟(コラボ)を組み、 サムライふんどしを開発する道中、デザインに関しては幾度も軍議を重ね、その都度、様々なアイデアが出て参りました。

家紋、キャラクター、言葉、城や刀など……。

その中でも「辞世の句」を選んだのは、 弊社の社名の由来にもなっている「武士道」を込めたいという思いからです。この武士道という言葉は、新渡戸稲造さんが書いた『武士道~the soul of Japan~』が有名ですが、 他にも武将の詠んだ歌、北条家の家訓や吉田松陰先生の遺書など、様々なサムライたちの生き様の集大成が、まさに’武士道’なのです。

幸村の生き様に心打たれた「辞世の句ふんどし」を締め、 日常のなかに武士道を取り入れるべく今後も精進してみませんか。

いざ、出陣!

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文:志真うた&RYO!(株式会社DO THE SAMURAI

真田幸村赤ふん2

 




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