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『看護婦の歴史~寄り添う専門職の誕生』(山下麻衣、吉川弘文館)書評

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看護婦の通史というのは、あまり見たことがなかったので、2017年1月に刊行された山下麻衣・京都産業大教授の『看護婦の歴史~寄り添う専門職の誕生』(吉川弘文館、3500円)を取り寄せた。

<しかるべき養成を受けた看護婦は、明治期の感染症の流行や戦争による傷病者の増加を契機として誕生した。看護婦を「女性が多く就く労働者」と見なし、「どこで」「誰を」看護していたのかという基準で、養成方法や職務内容、待遇の歴史を描く。今日の看護の労働実態の根源に迫る。>(本紹介より)というのが概略である。

資料の羅列になっている面での概説書としての読みにくさや、当時の看護婦の言葉は新聞報道を通じてという点での物足りなさも(看護や医療の専門家ではないので)感じたが、日本の看護婦が「質の向上」と「数の増加」の相反する命題に揺れ動きながら、ここまで来ていたことがわかった。

看護婦が男性も参入した看護師となった今と未来において、少子高齢化に対して、さらに変化をしていかないと、質と数が維持できない職業分野ではないかと感じた。一方で、極めて保守的な職業であった歴史も知った。
以下、本書から気になった部分を要約する。

明治になってできた看護婦学校

1880年台(1880年は明治13年)に、看護の実習と理論を学ぶ看護婦養成所が設立された。

ナイチンゲールによって、近代看護が樹立しました。クリミア戦争から帰還したナイチンゲールは、1860年に『看護覚え書』という書物を書いて、その中で看護のあり方や考え方を説きました。そして人類史上初めて、この本の中で「看護とは何か」という定義を明らかにしたのです。また同年、ナイチンゲールはロンドンに看護婦養成所を設立し、ここに本格的な養成教育をスタートさせました。ナイチンゲール方式と呼ばれる教育システムは、日本にも多大な影響を与え、ナイチンゲールの教えは長く我が国の看護の礎となりました。

東京有明医療大学HPより)

ナイチンゲールの出版から四半世紀で日本にも届いているのだ。これを遅いと見るか、早いと見るか。1860年は、まだ江戸時代で咸臨丸で勝海舟がアメリカに行った年である。そこから明治維新を経て近代化をしていくのだから、以下のように1885年には看護婦の養成学校が誕生しているということは、早いと言っていいのではないだろうか。

有名な養成所は、5つ。
1)1885年(明治15年)設立の有志共立東京病院看護婦教育所
2)1886年(明治16年)設立の京都看病婦学校・・・同志社を創立した新島襄が開設したキリスト教を基礎とする看護婦養成所。NHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公の八重は、新島襄の妻だが、夫の死後、赤十字の看護婦となり、日清戦争、日露戦争で内地で看護活動をしている。
3)1886年設立の櫻井女学校附属養成所 櫻井女学校は現在の女子学院につながる。
4)帝国大学医科大学附属第一医院看病法講習科 1887年に看護教育が開始。
5)1890年スタートの日本赤十字社病院看護婦養成所

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「感染症の患者につばをかけられても我慢しろ」 求められる資質がひどい

明治時代の看護婦のトップランク(特等、一等)になるには知識に加えて、「何事にも忍堪し得る者」「患者には往々有り勝ちなる我儘な事をされても、肺病患者に唾液をしかけられても、心平気で少しも怒りの情を表に現さず、堪え忍び居る事が出来得る位の者」とされた。
それでも女子に開かれた新時代の職として、人気を集めた。
1915年以降の看護婦試験の合格率は年々低下。とくに東京や大阪など都市部では、40%だった合格率が10年後には10%台にまで低下する憧れの職として狭き門だった。

従軍看護婦

「日本赤十字社はもともと主な活動が戦争での救護だった。
初めての出動は、日清戦争(1894ー95年)で、戦地、海上、内地(捕虜など含めて)の活動で看護婦計649人を数え、救護した傷病者数は10万1423人(うち捕虜1484人)
2回目の日露戦争(1904-05年)では、2874人。救護したのは、112万604人と、10倍以上に増えた。
第一次世界大戦でも少数の人員を送ったが、3回目は第二次世界大戦だ。1937~45年に、婦長1888人、看護婦2万9562人と、3万人以上が従事した。第二次世界大戦は従軍看護婦にとっても厳しく、835人が殉職したという。
戦後、彼女たちは、同じように戦地で「戦いながら」恩給がもらえないなど、差別をうけた。恩給が始まったのは戦後30年以上がたった、1979年からだった。

収入は?

1926年の職業婦人の賃金比較
看護婦 35~90円(月)
小学校教員 45~100円
開業女医 140~500円
薬剤師 50円
助産婦 40~50円
事務員 25円前後
女中 12~17円
別途、1903年時点には入院患者からの心付けが5~7円あったという。1926年にはもっと金額が大きかったかもしれない。
女性の職業として、収入だけをみると、悪くはなく、自立できるものだったのだろう。

公衆衛生を広めた看護婦

戦前から、アメリカなど欧米で広がった公衆衛生を学び、日本に持ち込んだのは聖路加病院などの看護婦だった。戦前は一部の動きだったが、戦後はGHQが積極的に看護改革に取り組み、公衆衛生の場では、看護婦が医師よりも決定権があるなど、エリート看護婦の活躍の場となった。

こうしゅう‐えいせい〔‐ヱイセイ〕【公衆衛生】
地域社会の人々の健康の保持・増進をはかり、疾病を予防するため、公私の保健機関や諸組織によって行われる衛生活動。母子保健・学校保健・老人保健・環境衛生・生活習慣病対策・感染症予防など。(デジタル大辞泉)

いまある日本人の高い健康レベルは、とくに予防において彼女たちとその先人によることが多いのだった。公衆衛生は、存在すると当たり前に思ってしまうが、非常に大切な分野である。
儲かる分野ではないので、各地で保健所の所長(公衆衛生に通じた医師)の成り手がないということも問題になっているという。
看護師を公衆衛生では医師に並ぶ専門家として、保健所の要職を含めて、門戸を広いていくことが必要となっていくのではないだろうか。



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