安土城がテーマパークだと!? 『織田信長の城』(著:加藤理文)を読む

 

静岡県の中学校教諭で、織豊期城郭研究会事務局長を務める加藤理文氏が、織田信長の城についてまとめた。
タイトルはずばり『織田信長の城(講談社現代新書)』。
その結論は、大胆にも、信長の城は防御性は低く「テーマパーク」だったとする。

えっ? えっ? テーマパークってなんぞ!?
と誰しも思うであろう。同氏によると、安土城の大手門は開け放し、城内にある総見寺は一般の町民がいつでも自由に参拝可能だったとするなど、一見すると奇説と捉えられる新説が多い。
著者の加藤氏は墨俣一夜城の復元監修を手がけるなど、歴史の専門家なら怖くて避けることに挑戦する在野の研究者である。大胆な仮説の展開を楽しむことがこの本の一つの読み方といえよう。

著者の独自論については、読んでその可否を判断してほしいが、それとは別に本書では、自治体による発掘のニュースの際に大きく報じられた3つの「定説」を覆していることが注目される。
考古学の発掘では、当初の不確かな情報でも大きなニュースになるために「盛る」ということが現実的に行われている。時間がたたないと、そのニュースが正しいかどうかはわからないが、その後の研究について報じられることはほとんどないため、発掘した県や市町村の教育委員会の説が言いっぱなしで独り歩きしてしまっていることが多い。

 

1 岐阜城の金箔瓦は信長時代のものではない

「少なくとも、軒を飾る軒丸瓦・軒平瓦について、安土城以前の瓦を認めることができない。」(204ページ)

岐阜市教委は2008~10年にかけて、岐阜城の山麓館跡で発掘調査で見つかった金箔瓦を信長時代として発表して、大きなニュースとなった。それまでは安土城が「初めて金箔瓦を使った」とされていたからだ。
しかし、岐阜城跡から出土した金箔瓦は全面の金箔貼りで、安土城から出土したへこんだ部分だけ金のもとは大きくデザインが異なる。岐阜城出土瓦は、秀吉時代の城郭で頻出する金箔瓦と類似しており、岐阜城は1600年の関ヶ原の戦い後に廃城となるまで数々の城主が使っていた。
加藤氏はこの金箔瓦を使った城主として織田信忠をあげる。
関ヶ原の戦いの時の城主はくしくも信長の孫で信忠の子の織田秀信(三法師)であった。その間、池田輝政らも城主となっているので、果たして誰が岐阜城に金箔瓦を施したのかは不明だが、少なくとも信長である可能性は極めて低いと専門家は評価していることがうかがえる。

 

2 安土城の行幸のための館はなかった

滋賀県安土城郭調査研究所は2000年、安土城の伝本丸にあった礎石建物は、信長が天皇を行幸させるために造り、京都の「清涼殿」を模倣した建物だったと発表して、「すわ、信長は遷都を計画していたのか!」などと大きな話題となった。
しかし、加藤氏は、この建物は「信長公記」にある南殿であり、天皇の御座所となる御幸の御間は、伝本丸ではなく天主を挟んで西側の伝二の丸の信長の御殿にあったとして、これを否定している。
行幸用に大手道を整備して、清涼殿を造ったとする「行幸説」は、2013年に刊行された城郭考古学者千田嘉博氏の『信長の城』(岩波新書)でも明確に否定されている。

加藤氏は、全般的に千田氏の説に同調してないにもかかわらず、「行幸殿」はなかったとする点には両者同じ意見を述べており、やはり行幸のための館というのは存在しなかった可能性が高そうだ。

 

3 安土の伝本丸はNo1ではなかった

これも千田氏『信長の城』で展開された説に、加藤氏が賛同しており、結論はほぼ間違いないのではなかろうか。
千田氏の著書にはかくのように著されている。

「一般に本丸よりも上位に位置して天守などが建った曲輪を『詰丸』といいます。(略)天守を備え本丸よりも上位の曲輪であった詰丸に、主に内向きの「奥」御殿が建ち、本丸には主に対面や執務を行った「表」「中奥」御殿が主に建っていた」(219ページ)

これに対し、加藤氏。

「間接的ではあるが、信長廟所の位置からも伝二ノ丸こそが『御幸の御間』が存在した本丸御殿であった可能性を補強している」(163ページ)

表現は違うもの、最上位の空間が、現在「本丸」と呼ばれている場所ではなかったと主張している。

「詰丸もしくは本丸(伝二の丸)」→「本丸もしくは二の丸(伝本丸)」ということになり、信長が本当に大切にした場所は、安土城を訪れたときに必ず訪れる本丸跡ではなく、信長廟のある「伝二の丸」だったことは間違さそうだ。城郭&信長ファンの皆さまが、次回安土城を訪れる際は、あらためて信長廟をチェックしたほうがよさそうだ。

同著についてあえて一つ難を言えば、千田氏が先の新書で投げかけた安土城天守の広さとして明示されている「南北20間・東西17間」の謎に触れなかった点であろうか。

千田氏はその答えとして「懸け造り」という建築手法で必要な床面積を確保した新説をあげて、いまやNHKなどでも復元イメージとして採用されるようになり、定説となろうとしている。
懸け造り説は、安土城の天守台のわきに礎石の列が出土したという物証に基づくもので、これに対して加藤氏はこの礎石列を、「信長公記」にでてくる「階段」という反論の説をあげてはいる。一方で、同じく「信長公記」で明記されている「南北20間・東西17間」には触れていない。

評者としては、この一番ホットな「安土城天守台の大きさの謎」へのアプローチを期待していただけに、288ページという厚さの新書の読後にも、物足りなさを感じざるをえなかった。

川和二十六・文


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