外国人が選んだ忍者の伝説10選

剣豪・忍者

外国人が選ぶ「忍者(NINJA)の伝説10選」がかなりマニアックだ!

戦国時代が魅力的なのは、各キャラの戦う姿がカッコいいから――。

そんな評価は日本も世界も同じようで、以下に「外国人が選んだ武将ベスト10」という記事がございます。

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今回は「外国人が選んだ忍者の伝説10選」です!

 

忍者の多くは美化や理想化されている

海外の方は本当にニンジャが好きですよね。

なぜ、こうも世界に拡散したのか――というと1964年東京五輪がキッカケだったのでは?という考察記事も以下にございます。

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同時に……外国人が好きなのは、あくまでNARUTO的な漫画的世界観で、「史実なんてまったく無視してるでしょ?」というツッコミもあるでしょう。

私も最初はそうかと思っていました。

しかし、以下の参照記事を読むと少し事情が違うのです。

◆10 Amazing Legends Of Ninjas From History(→link

同記事ではニンジャのことを「戦国時代の静かなる隠密スパイであり暗殺者」と説明しています。

そして、ニンジャは世界中で人々の心を掴んでいるけれど、

・その多くは美化や理想化されている

・数少ない公式記録にも神話や伝説が浸透している

と批判的見解で指摘することも忘れず、今回のベスト10選定にあたっても、

・本当にニンジャだったのか

・そもそも存在したのか

という点についても議論の余地があることを前提にしております。

そういったスタンスだからでしょうか。

10選の中には、一般の日本人ではまず知らないようなマニアックな方まで登場しているのです。

外国人は、どのようなニンジャの、どんなエピソードに関心を持ったのか?

見て参りましょう!

 

城戸弥左衛門(きど やざえもん)

伊賀出身で、火縄銃の扱いに長けた鉄砲術や爆発物のエキスパート。

失敗はしたものの、織田信長の暗殺を2度も実行したということで知られています。

2度目について伊賀忍者の歴史資料である「伊乱記」によれば、弥左衛門の他2人の忍者が同時に信長を狙撃、従者7人を倒しながら信長は逃したと記されています。

失敗はしましたが、2度も暗殺を企てることができた手腕が注目されているようですね。

鉄砲術を“火遁の術のサブカテゴリ”としているところが面白いです。

※ちなみに『信長公記』にも信長を狙撃したスナイパー・杉谷善住坊が登場します

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霧隠才蔵(きりがくれ さいぞう)

架空のニンジャとして最も有名な人物。

真田十勇士の中で、ライバルであり友人でもある猿飛佐助に次ぐNo.2として描かれています。

ただし、歴史上に「霧隠」がいないワケではありません。

霧隠鹿右衛門(きりがくれ しかえもん)の別名だと信じられていた“霧隠才蔵”と呼ばれるニンジャが、かつて豊臣秀吉を床下から槍で突いて暗殺しようとしたという記録があります。

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暗殺は失敗し才蔵は捕えられますが、この事が結果的に二重スパイからの暗殺未遂を防いだということで、豊臣家に一生忠誠を誓う事を条件に許されました。

元記事の“Sanada Ten Braves”という響きがかっこいいですね。

 

伴資定(とも すけさだ)

甲賀の上忍で、徳川家康に仕えた伴流の頭領。

桶狭間の戦い】で信長に大敗北した今川家が再起を図り、鵜殿長照を城主として守らせた堅城の上ノ郷城を資定(与七郎)が落としました。

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城攻めの際に攻めあぐねていた家康が、資定をはじめとする甲賀ニンジャ80人を雇い、服部半蔵と協力して城への潜入に成功、陥落させたというのです。

文献としては『三河後風土記』にもそのことが紹介されています。

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