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日本100名城・写真館

松前城(日本100名城No.3)日本のラストキャッスルは対ロシア防備に築かれるも……(画像14枚)

更新日:

 

【松前城の基本データ】

名称:松前城(日本百名城3番)
別名:福山城
成立:1606年(福山館)・1854年に松前城
城主:松前慶広(福山館)・松前崇広(松前城)
合戦:箱館戦争
名物:クジラ汁
一言:郷土料理にクジラ汁があり、なんと「クジラ汁ラーメン」なるものも。値段は1,000円と少々張るものの、食べてみたいですね。伝統料理は大切に残していきたいですのぅ( ^ω^)(北海道松前藩観光奉行サイトより)

ナビゲーター:石垣 鉄男&櫓 優子&お城野郎!


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日本式では最後のお城

櫓 優子(以下、優子)「最初っから横道それて申し訳ないんだけど、クジラ汁に惹かれちゃった♪」
石垣 鉄男(以下、鉄男)「意外だよね。しかもラーメン。グ◯ーンなんちゃらの連中も食べてみーやー!」
優子「まぁまぁ。お城も食も、各地の大切な伝統だから、お互いに尊重していくのが大事よね。ところでこの松前城、別名も不思議じゃない?」
鉄男「福山城でしょ。広島のお城と間違えそうになりそうだけど、こっちはもともと松前藩の館=福山館から来てる」
優子「1606年とあるから、江戸時代に建てられたのね」
鉄男「最初は普通の居館だった。んで、幕末にロシア船が近づくようになり、防備のため天守と一緒に築城された、と」
優子「それでラストキャッスル!」
鉄男「そうそう。日本式のお城では最後に建てられたもので、箱館の五稜郭の方が後に作られてるけど、あっちは西洋式だったから」
優子「松前城にとっては通り名が付けられれてラッキーだったかもw」
鉄男「櫓門(写真左)とか、かなり立派なんだよ」

優子「ほんと!」
鉄男「天守は……えと……」
優子「歯切れ悪いわね」
鉄男「いわゆるフェイクで鉄筋コンクリート製なんだ。昭和24年に焼けてしまい、35年に復元された」
優子「あら。意外と長く残っていたんじゃない」
鉄男「これがさ~。古い写真が残ってて、イイ感じなんだよ~」

函館市中央図書館蔵

優子「まるで江戸時代みたい!」
鉄男「手前にある住居の屋根群も、味わい深いよなぁ」
優子「こうして見ると、天守もすごい立派だし」

天神坂門と搦手二ノ門

鉄男「北海道だけに雪景色もなかなかだよ」

優子「北国のお城は、雪化粧も見どころの一つね~」
鉄男「気に入った? んじゃ、続けてコチラも」

優子「これは門に注目かしら」

鉄男「天神坂門と言って2002年に再建されたんだ。桜と一緒に写ってるほうの写真は、城内からの撮影だね」

優子「これも天神坂門? カタチがちょっと違うみたい」
鉄男「2000年に復元された“搦手二ノ門”だよ。門から覗ける天守が乙でさー。復元には6,500万円かかったそうだけど」
優子「うわぁ、クジラ汁ラーメン何杯分かしら」
鉄男「それより、貴女の売れないCDで換算してみたら?w」
優子「6万枚ぐらいかし……チョットぉ!」

箱館戦争の様子が生々しく描かれた麦叢録附図

鉄男「天守には、戊辰戦争のときの弾痕が残ってて、そこも見どころの一つなんだけど写真がない(´・ω・`)」
優子「マニアの方は欲しがったでしょうね」
鉄男「そこで、だ。今回は、こんな一枚も用意してみた」

麦叢録附図/函館市中央図書館蔵

優子「きゃああ><; また、いきなりキツめのが来たわね」
鉄男「本来、対ロシア防備のために建てられた松前城は、結局、箱館戦争の舞台になっちゃったんだよね」
優子「新政府軍に攻められてる、の図? 旧幕府軍は粘れたの?」
鉄男「アッサリ落城です」
優子「(´・ω・`)」
鉄男「もともと松前城(福山館)は交易重視で、防御に向いてなかったと思うんだ。ほら、これ見て」

松前御城下図/函館市中央図書館蔵

優子「海のスグそばね」
鉄男「だから、艦隊の砲撃でバンバンやられちゃう。さっきの絵もそうだったでしょ?」
優子「前回の説明だと、もともと松前城は海防の面から不安視されてて、だから幕府は箱館に五稜郭を築いたのよね」
鉄男「そうそう。五稜郭は、日米和親条約を機に箱館が開港されるようになったから、その防備の意味もあったけどね。この地図でもう一度、確認しとこっか」

優子「位置関係、思い出したわ」
鉄男「ついでだから、松前城の縄張りも見ておきたい」

松前福山城図(赤い部分が櫓・オレンジが門・中央の大きな赤い四角部分が三重天守)/函館市中央図書館蔵

優子「シロートには何がなんだかサッパリ」
鉄男「んじゃ、お城野郎さん提供の縄張り写真も見てみよう」

撮影/お城野郎!

優子「うん、わかりやすい!」
鉄男「まぁ、砲撃でやられっちゃったら縄張りも意味ないんだけどね……」
優子「お城ファンの方に怒られちゃうわよ」

搦手門から攻め込んだのは、あの土方歳三だった

鉄男「実はこの松前城、箱館戦争の前には、そもそも新政府軍のものだったんだよね。んで、その後、旧幕府軍に奪い取られた後にあらためて箱館戦争の戦場になるんだけどさ。最初に、新政府軍から城を奪取した旧幕府軍の人って誰だと思う?」
優子「榎本武揚さん……じゃないの?」
鉄男「違う。土方歳三さん」
優子「きゃーーーーーー♪ 榎本<<<<<<<土方さん!」
鉄男「結局、イケメンかい! ともかく、そんとき土方歳三さんたちが攻めたのが搦手門らしい」
優子「それ、どこ?」

松前福山城図/函館市中央図書館蔵

鉄男「ここだね。縄張(設計)をしたのは市川一学さんって方なんだけど、搦手からの攻撃はあまり考え無かったようで、防御が薄かった」
優子「名前だけ見ると、とてつもなくアタマ良さそうなのにね」
鉄男「堀と天守を一緒に見ると、なんだか堅そうなんだけどさぁ」

優子「市川さん、美的感覚は良さそうね」
鉄男「ふふっ。実はこの一枚はフリなのさ」
優子「いったい何なの? もったいつけるの好きねぇ」
鉄男「これじゃい!」

優子「あら!ライトアップされてる♪」
鉄男「最後はこれで」

優子「神社?」
鉄男「そう。松前城の敷地内に建てられてる松前神社だよ」
優子「まんまねw」
鉄男「武田信広さんが祀られてるんだ」
優子「武田……! も、も、もしかして……」
鉄男「うん、武田修宏さんのご先祖様」
優子「えぇええええええええええええ、どうでもいいわ~。というか、ホントなの?」
鉄男「ごめん、ウソ。もちろん武田信玄さんとも関係なくて、松前藩のご先祖様ということになっている」
優子「なーんだ」
鉄男「いやいや、これが歴史的には興味深くて。1457年コシャマインの戦いを平定したのが武田信広さんなんだ」
優子「そういえば根室半島チャシ跡群のときにも、アイヌと和人の戦いが記されてたわよね」
鉄男「あっちにはクナシリ・メナシの戦いが取り上げられてた」
優子「お城はステキだけど、どうしても戦争が絡んでしまうのが難点ね」
鉄男「まぁ、それ言っちゃうと、元も子もないんだけどさ。伝統は大切に守っていきたいじゃん」
優子「うん、そうね。次回は?」
鉄男「北海道が終わって東北は弘前城だよ。よかったら下の地図も見てね」
優子「じゃあ、またね♪」

コラム「お城野郎の百名城バンザイ!」

松前藩は最果ての北国にあって小藩のイメージが強いかもしれません。これは大きな誤解。教科書から「鎖国」の文字が削除されるなんてニュースもありますが、この松前藩も抜け目なく蝦夷地から樺太、千島列島のアイヌ、そしてアイヌ経由で大陸ともさかんに交易をしていました。コメの収穫量による石高はせいぜい1万石程度ながら、これには含まれない豊富な海産物の取引で莫大な利益を上げていたのです。
このような松前藩の実態をまず知ることで、松前城の全貌が見えてきます。

幕末になってロシアなどの外国船が蝦夷地に現れると、幕府は蝦夷地防衛のための築城を計画します。
ポイントは、この海域で最も優れた防御陣地である箱館山。海に突き出た同山は津軽海峡を通過するあらゆる船に高さで勝り、いち早く捕捉できるので不沈空母のような存在です。
幕府と松前藩は当初、この箱館山に築城する予定でしたが、松前城下の商人たちが「お願いだから箱館に行かないでくれ!」と嘆願してきます。しまいには「築城に掛かるお金も寄付しますから!」と申し出ます。彼ら商人にとっては城が箱館に移ってしまうと城下町の賑わいも箱館に移ってしまうことが最大の懸念でした。

「国土防衛よりも、商人の陳情の方が大事なのか!」
と思うかもしれませんが、石高よりも商取引による利益で藩が成り立っていると、城下の商人たちの発言権は他藩よりも一層大きなものになります。
結局、商人と一心同体の松前藩は彼らを無視することはできず、松前藩の居館にしていた「福山館」より少し海側の高台に築城することにしました。このような築城地の選定理由からして、もう嫌な予感しかしません。

松前城は台地の突端を南側の海に向けた地に縄張りされました。
この城の役割は、海からやってくる外国船への防衛拠点です。城の戦闘正面は南面の海側になり、艦砲射撃に対する防備を整えます。一方、城の背後である北面には何の工夫も施さなかったために箱館戦争では土方歳三に北側から攻められて落城しました。
では、どうすればよかったのか? 考えてみましょう。

台地を利用しての築城は、戦国時代を通じてもメジャーな縄張り方法です。
江戸城を始め、大坂城や金沢城、松江城など多くの近世城郭も台地の突端を利用しています。しかしそれら全ての城には備えられながら、松前城には足りなかった防御の工夫があります。
それが「堀切」です。
通常、台地のような高台は、3方が海や川に囲まれた天然の防御がありますが、台地の陸続き側は弱点になります。そこに深くて長い堀で台地の陸続きを切ることで城を台地から切り離します。大坂城ではさらに外側に「真田丸」が築かれたように、この方面は用心に越したことはありません。江戸城でも何重にわたって堀を築き、さらに西の丸を拡張し、本丸までの縦深を拡大しています。金沢城も石川門の外に深い水堀を築き、さらに台地側の城外に高台な兼六園を造営して縦深を拡げています。

このように松前城も北側の陸続きに対して、堀切を築いて台地から城を切り離し、まだ余裕があれば城の外に「北の丸」を増築すべきでした。
戦闘正面が海側とはいえ、いざ戦になれば攻城戦になります。敵は軍艦からの艦砲射撃と同時に上陸部隊である陸戦隊を必ず率いてきます。この戦術を外国の近代化された軍隊ではなく、新撰組出身の土方歳三にやられてしまったことは何とも皮肉な話です。
松前城は太平の世に禁止され、すっかり忘れ去られた「戦略、戦術」を日本人に思い起こさせたという意味でも、来たる20世紀の戦争の世紀につながる記念碑的な城でもあるのです。



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【参考】
北海道松前藩観光奉行
公益財団法人日本城郭協会
日本100名城/wikipedia
日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき

 

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