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日本100名城・写真館

仙台城(日本100名城No.8)伊達政宗による難攻不落の五城楼(画像14枚)

更新日:

 

【仙台城の基本データ】

名称:仙台城(日本百名城8番)
別名:青葉城・五城楼
成立:1601年
城主:伊達政宗
合戦:戊辰戦争(ただし実戦はナシ)
名物:はらこ飯
一言:「牛タン」「ずんだ餅」「萩の月」など枚挙にいとまがない中で、今回注目したのは「はらこ飯」です。シャケの炊き込みご飯に、生イクラの醤油漬けをぶっかけ! やっぱね、魚卵は生イクラが最強だと思うんすよ。正確には仙台からほど近い亘理町の郷土料理らしいですが、仙台駅弁でも人気になっていることからピックアップさせていただきました。

ナビゲーター:石垣 鉄男&櫓 優子&お城野郎!


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周囲を断崖絶壁と川に囲まれた天然の要害

櫓 優子(以下、優子)「生イクラと筋子、貴男はどちらがお好みかしら」
石垣 鉄男(以下、鉄男)「いや、普通はイクラなんじゃないの?」
優子「それがね。ここの編集長が言うのよ。イクラが一番とか言う人は尻が青い。筋子が最強なんです!って」
鉄男「面倒な人だなw」
優子「なんでも、ご両親が北海道らしいから、シャケ関連にはうるさいのよ」
鉄男「あぁ、そういや実家が伊達支藩の家臣で、北海道移住組だったらしいね。戊辰戦争で負けた後に領地を失い、船で渡った……という」
優子「大変だったらしいわよ……って、本人は全く関係ないのにね」
鉄男「そうそう、バリバリの都会っ子だからなw それより仙台城だ!」

優子「さすが政宗さんのお城って感じ」
鉄男「あまり話題にならないけど、見事な石垣だよね。さすが東北一の大名ですよ」
優子「でも、仙台城って、遺構がほとんど残ってないんでしょ。イメージしにくいわ」
鉄男「縄張りでも見てみよっか」

国立国会図書館蔵

優子「本丸を挟んで西と南が山、東が広瀬川。いわゆる天然の要害ってやつかしら」
鉄男「戊辰戦争で戦場になってないから、実戦での実力は未知数ながら、まぁ、ムチャクチャ堅そうだよね」
優子「詳しくは、お城野郎さんの解説を聞きたいところね。彼だったら、ドコから攻めるんだろう」
鉄男「本丸の周囲は断崖絶壁だし、となると山に大砲を仕込んで本丸めがけてぶっ放すしかないんじゃない?……と思ったけど、もともとは本丸と西の丸で組み合わさった山城で、地形図を見るとこの一帯標高も高いんだよなぁ」

優子「うわっ。高所恐怖症だと目がクラクラしそう」
鉄男「こんなもん、どう考えたって攻め込めないよね。お城野郎さんも完敗だと思うw」

優子「こっちは本丸跡?」
鉄男「そうだね。武家御殿で、広さは実に約430畳。おったまげー!」
優子「平野ノラさん? 数年後にこの記事が読まれたら恥ずかしいわよ……」
鉄男「大丈夫、彼女は残ってる!……ハズ」

優子「あれ? 櫓はあるのね」
鉄男「大手門跡にある脇櫓だよ。戦災ですべてなくなり、唯一、復元されたのがコレなんだ」
優子「もしも、今、政宗さんが生きていたら、天守閣とかも復元させそう」
鉄男「もともと作ってないのになw」
優子「そういう大胆でお茶目なところが女子をざわつかせるのよね」
鉄男「貴女が”女子”というのも……」
優子「うるさい!」

1900年に撮影された大手門が熱い

鉄男「大手門と言えば、こんな貴重な画像もありまして」

明治33(1900)の仙台城/国立国会図書館蔵

優子「1900年撮影ってことは、100年以上も前の姿ね~。まだ江戸の雰囲気が残ってるわ。手前の軍人さんらしき人が完全に西洋姿だけど」
鉄男「大手門の写真を見ると、ほんと立派なんだよ。黒澤映画みたい」
優子「羅生門ねw」

昭和13年に撮影された大手門/wikipediaより引用

鉄男「そうそう、これこれ↑ 三船敏郎さん、出てきそうでしょ?」
優子「うーん、これは本当に否定できないわ。というか、素直に仙台城の大手門スゴイ!でいいじゃない」
鉄男「いや、あんまり伊達関連を褒めると編集長が調子こくからさ」
優子「それもそうね」

優子「脇櫓を別の角度から撮影したところかしら」
鉄男「さっきの古い写真と見比べてみて」

明治33(1900)の仙台城/国立国会図書館蔵

優子「うん、だんだんイメージが膨らんできたわ。別角度で撮影した櫓は、右手の石垣の位置あたりから写しているのね」
鉄男「向かって櫓の右側に大手門があった、と。そこに続く坂道がいいよね~。櫓と門から鉄砲撃ちまくったんだろうなぁ。まぁ、この城では合戦してないけどね」
優子「まぁまぁ。平和が何よりでしょ」

鉄男「ガラッと雰囲気変わったでしょ?」
優子「ドコかの山城跡に迷い込んだ気分。仙台城ってイメージが全然ない」
鉄男「清水門近くにある石垣は野面積み(のづらづみ・自然な石を使って組み立てる)で、さっきのゴツい方が打込み接ぎ(うちこみはぎ・石を叩いて凸部を削り、隙間を減らして積み立てる)だから、根本的に造りが違うんだね」
優子「ガラケーとスマホみたいなものね」
鉄男「うーん、上手いんだかどうかわからないけど……もう一度、石垣を確認しておこうか」

優子「……」

昔から地震・津波被害の多い地域に建てられた仙台城

鉄男「やっぱゴッツイでぇ~!」

優子「ドバイで日本のゼネコンが仕事受注できる理由がわかるわね」
鉄男「そうだね。諸外国と違って、日本……特に仙台なんかは三陸沖地震の影響をモロに食らうから、こうした石垣ひとつ見ても大変だったろうなぁ」
優子「東日本大震災でも被災してしまったのよね」
鉄男「脇櫓の一部が崩壊してしまった」
優子「けど、こうして石垣は残ってる。目に見えない部分は損傷してるかもしれないけど、やっぱりスゴイ」
鉄男「城跡から見る仙台市街も最高だよ」

優子「高層ビルが建ってしまってるけど、昔はここに城下町が広がってたのかしら」
鉄男「ブラタモリでも散歩してたよね。ちょうど繁華街に、町人街と武家街を分ける通りがあるって話で」

優子「そして、これが広瀬川ね」
鉄男「写真からだけでは、流れが伝わってこないから、池に見えちゃうかも」

優子「神社もあったの??」
鉄男「宮城縣護國神社の鳥居だよ。主に東北出身の戦没者が祀られているんだ。明治37年の創建だから、意外と新しい」
優子「そうね。宮城県の神社と言えば、実家が神主さんの狩野英孝ネタでボケてくるかと思って一瞬ヒヤヒヤしたわ」
鉄男「いやぁ、狩野君でボケちゃうと、野球で喩えたらデッドボールギリギリだからね」
優子「ん?どういうこと?」
鉄男インコース一杯!ということで」
優子「お後がよろし……くないわ! アウトよ、ア・ウ・ト!」

コラム「お城野郎の百名城バンザイ!」

伊達政宗が仙台城の築城を開始したのは関ヶ原の戦い後の1601年です。つまり豊臣vs徳川の大勢が決した時期に築城された城郭であることが仙台城を読み解くポイントです。

仙台城は城の南側は断崖絶壁、東側も断崖絶壁と広瀬川、西側は青葉山の森、そして北側は高石垣という天然の要害と石垣をうまく組み合わせた城郭です。
しかし泰平の世の城郭に難攻不落である必要ありません。むしろマイナスです。

売れない演歌歌手の櫓優子さんからリクエストがありましたので、これをどう攻めるか考えますと、巨大な城郭には大砲が有効。徳川家康が大坂の陣で大坂城本丸に大砲を撃ち込んだように、まずは仙台城の本丸を射程内に収める場所に大砲を備え付ける戦略を立てます。仙台城は断崖に囲まれた高地ですので、城より低地に設置しても弾が届かないので意味がありません。
そう考えると城の西側は青葉山の尾根上で比較的標高が高く、本丸を射程内に収めることができます。
問題は、青葉山まで大砲をどう持ち込むか? 周辺の多くの木々も切り倒さなければなりません。これを守備側に気づかれることなくできるか否かが仙台城攻略のカギになります。

さらに上杉謙信や武田信玄の得意とする放火戦法も組み合わせると効果的です。城下町に放火し、城郭から出てきた守備兵を順次叩いていくのです。
伊達政宗や黒田官兵衛のように「もう休戦しようじゃないか」と守備側のキーマンを呼び寄せて謀殺するのもいいですね。え? 鬼畜過ぎる? そうです。これが戦国時代の城郭戦であり、力攻めは双方に多大な犠牲者を出す愚策なのです。

力攻めは、あくまで最終手段……と、これ以上は殺伐としてくるので城攻めの妄想はここらで終了。あらためて仙台城の成立に着目してみますと、豊臣の時代と同様に、この頃は築城一つとっても天下人の許可が必要でした。
伊達政宗は仙台、石巻から4つの候補地、茂ヶ崎(もがさき)、榴ヶ岡(つばきがおか)、石巻・日和山(日和山)、青葉山(現・仙台城)を出して、最終的に青葉山の地が認められます。
これらの候補地を探ると政宗の築城についての思想が透けて見えてきます。

政宗が挙げた榴ヶ岡や茂ヶ崎は奥州街道に近い場所で、石巻・日和山は大きな港町です。つまりは商業地であり城下町の拡大発展が期待できます。既に泰平の世になりつつあり、戦向きの城郭よりも城下町の中心地としての築城を考えていたことが分かります。

ところが青葉山の仙台城は標高の高い山城で、奥州街道からも外れています。
確かに天然の要害ですが、政宗にとっても難攻不落の城はもはや無用の長物。まさに徳川家康の嫌がらせともいうべき仙台城の選定なのです。
「おぬしを信用しておるから天然の要害である青葉山での築城を認めよう」と言いながら「山に追いやってやったわ! 城をさらに固めたら謀反の兆しで取り潰す! はっはー」という家康の腹黒い妄想が透けて見えますね。

一方、政宗も「どうせ外様の第1希望は通らないんだろ。ならば第1希望にどうでもいい青葉山にしてやるわ。それ以外ならどこでもオッケーだし!」と心理戦を仕掛けた可能性も妄想できます。

結局、一枚上手の家康に青葉山築城を指示されましたが、それでもめげずに政宗は、奥州街道を力技で仙台の街に引き込んで、城下町を拡大していきました。伊達家2代、忠宗の時代になると、山上の本丸を放置して城下町により近い平地に二の丸と三の丸を増築し仙台城を山城から平山城にしています。
このように伊達家は徳川の嫌がらせにめげずに現在の仙台の街の礎を築いたのです。

伊達家にとっては築城と街づくりも戦だったと言えるでしょう。

 

※以下のグーグルマップには、日本100名城がすべてマーキングされております

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【参考】
仙台市
公益財団法人日本城郭協会
日本100名城/wikipedia
日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき

 

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