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意外と優しい!? 織田信長さん

お城野郎! 武田・上杉家

第一次川中島の戦い 武田信玄の【城攻略】という視点から見るとわかりやすい

更新日:

 

皆さまご無沙汰しております。

前回の記事で、甲斐の虎の「お城能力」を見誤るなかれ!シリーズ戦国大名の城 vol.1 『武田信玄』 をお送りさせていただきました。

『人は城、人は石垣・・・』の名言イメージが強いせいか、あまり城戦略が表立って語られることの少ない武田信玄さんですが、最強の戦国武将がまさかそんなハズはなく、きっちりと城と共に進軍しておりました。

本日は、前回に引き続き、川中島へと至る道筋を城と共に語ってみましょう!

武将ジャパンお城野郎FUJISEさんイラスト300-5

illustration by アニィ高橋

 

ベタですが・・・川中島を制するものは北信濃を制す!

さてさて、武田信玄の城を追って北信濃の奥地までやってきました。そう、その先はもう戦国最強の男「上杉謙信」の領国「越後」です。ということはここはもう善光寺平。そうです「川中島の戦い」舞台です。

川中島の戦いというと信玄と謙信一騎討ちの描写で有名な第4次の合戦がまず脳裏をよぎりますが、皆さんもご存知の通り、川中島の戦いは小競り合いを含めると通算5回もやっております。

まあ、当の本人たちは5回もやりたくてやったわけではないですが、結果としてこの付近で5度も対戦したということは、イコール「川中島を制するものは北信濃を制す」と言っても過言ではないほどに戦略上、重要な場所なのです。

戦略上重要な場所には必ず城が築かれます。前回も紹介しましたが、すべての城にはそこに立つ意味があるのです。特に武田信玄は積極侵攻策で甲斐から北信濃まで進撃してきましたので、何が何でもここには城を築きたい。

また、これも前回のおさらいとなりますがが「影響を及ぼしたい地域に橋頭堡=城を確保」して、その城は境い目の城=最前線の城になります。戦国時代ど真ん中の城の基本は「要害を作って侵されない」という、見せるための城ではなく、要塞としての城です。

武田信玄はこの川中島を取り巻く地域「善光寺平」に多くの城を確保するために全力で取り掛かります。

 

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武田め、ついに一線を越えおったな!

同時に上杉謙信の視点から見ていくと、川中島を含む善光寺平の北方の山々を越えるとそこはもう越後の国です。というか、もうすぐそこは謙信の本城「春日山城」です。

このように上杉謙信にとっても北信濃は、本拠地の安全保障上、重要な地域で、この北信濃に領地と城を持つ小領主(国人衆)たちにはできるだけ上杉の味方でいてもらわなくてはなりません。

そんな場所に武田信玄が侵攻してきたのです。これまで武田が信濃に侵入してきても、村上義清の踏ん張りで北信濃がある種の越後との緩衝地帯として機能していました。
しかし村上義清がついに粉砕され、緩衝地帯である北信濃にまで武田信玄が侵入してきました。軍事の基本は領国の手前で相手を叩くこと。よって毘沙門天のお告げを聞くまでもなく、謙信は即出撃となります。

現代でも大国同士が隣接すると大きな戦争に発展していってしまうので、緩衝地帯のような国を挟んでとりあえずの平和を維持することがあります。冷戦時代は西欧諸国とソ連の間に東欧諸国という小さな緩衝地帯を作ったり、最近では緩衝地帯として機能していたウクライナがEUに寄り過ぎてしまった結果、ロシアが一線交えてでもウクライナをロシア側に取り込もうとしましたね。

これも古今東西どこでも起こりうる安全保障の考え方で、北信濃はまさに緩衝地帯であり、謙信から見たら「武田め、ついに一線を越えおったな」→いざ、出陣!となるわけです。

 

「 川中島の戦いは城取り合戦だ!」by城マニア

さて、川中島の戦いというとだだっ広い平野で両軍が激突というイメージが非常に強いですが、この戦いを城マニアの視点で見ると、川中島の戦いは、城取り合戦であり、城(=橋頭堡)を潰し合う戦いです。

え? 「川中島の城って海津城だけだろ!」って?

ええ。もちろん海津城も重要な城ですが、これも川中島に数ある城の一つに過ぎません。川中島の周囲にはまさに要塞と呼べるべき城がたくさんあるのです。

前置きが長くなりましたが、今回はこの川中島の戦いを追いながら、最前線の城とは何か?というのを見ていきましょう!

※川中島の戦い当時は信玄は武田晴信、謙信は長尾景虎、その後、輝虎とかなんちゃらとか色々変わって行きますが、名前の変遷を辿るのはここでの趣旨ではないので便宜上、信玄、謙信で話を進めますね。

お城野郎ワンダーキャッスルジャパン20141116-2

善光寺平全景。主な城をマークしております。お城だらけです

 

え!? これも川中島にカウントしちゃうの? 第1次川中島の戦い~葛尾城 荒砥城

信玄の城に戻りましょう。

武田信玄が初めて北信濃にやって来た時、一体どのような一手、橋頭堡を築いたのでしょう。

実は信玄は橋頭堡を築いていません。

「おい!話が違うじゃねえか。信玄の城に戻るんじゃなかったのか!」と罵倒されても無いものは出てきません。橋頭堡は一度築けば何が何でも死守が基本です。それが今回はそのような形跡がないほど信玄はあっさりと兵を引いています。

ということで、ここはもう少し戦いの経緯を見ていきましょう。

お城野郎ワンダーキャッスルジャパン20141116-3

「葛尾城」「荒砥城」の場所は川中島のはるか南

 

信玄は、「葛尾城」に籠もる村上義清を猛攻の末、越後に追いやった後、葛尾城の支城「荒砥城」にも猛攻を加えて落城させます。この「猛攻」とは力任せによる城攻めで、武田流の城攻めの一つに放火、焼き討ちという言葉そのまんまの攻城戦術があります。

城攻めのセオリーは、城の救援つまり後詰めがないと判断したら、「敵の士気は低い。一気に叩け」です。
基本的に莫大な兵力と物資が必要な城攻めは勝算がないと行いません。ましてや武田信玄のような慎重派は尚更です。

信玄は後詰めの上杉謙信は間に合わないと判断したのか、もしくは謙信のやってくる予定日を逆算しての計画的な猛攻だったのかは分かりません。
結果的に謙信は間に合わず、信玄は葛尾城を攻め落とし、村上義清は越後に逃げて行きました。

ちなみにこの「荒砥城」は現在、「城山史跡公園」として整備され中世の城郭が忠実かつマニアックに再現され、城マニアの妄想が具現化されたような公園になっています。オススメです。

お城野郎ワンダーキャッスルジャパン20141116-44

更級・八幡の戦い 武田_勢進軍ルート

 

 

信玄はその後、善光寺平への侵入を試みますが、電光石火でやってきた上杉勢に「更級・八幡」の地で敗れます。小競り合い程度の戦いで、善光寺のはるか南の地での敗戦ということもあり、この時点で本気で善光寺平まで一気に侵攻しようと考えていなかったのかもしれません。

信玄のことです。じっくりと時間をかけて善光寺平の国人衆たちを調略しながら兵を進めるつもりだったのでしょう。

お城野郎ワンダーキャッスルジャパン20141116-5

謙信登場!

 

結局、先ほど勝ち取った葛尾城と荒砥城は上杉勢に奪われて再度、村上義清が入城しました。
これが武田と上杉の最初の戦いの経緯です。川中島の「か」の字も出てきませんね。そして平野での小競り合いはあったものの主戦は攻城戦です。

しかし橋頭堡どころか武田信玄はこの地域からあっさりと兵を引いています。川中島での決戦どころか、相手の力量を測るための威力偵察に近いでしょう。
信玄も今回はおそらくその程度にしか考えていなかったのかもしれませんね。

 

ようやく川中島が見えてきたぞ!なんだここはすごい広いし豊かだぞ!やっぱりほしい!by武田信玄 ~塩田城 葛尾城 荒砥城 塩崎城

上杉謙信登場で一旦、兵を引いた武田信玄ですが、これで引き下がる男ではありません。十分に戦略を練ってから準備万端で北信濃に戻ってきました。

今回は確実な橋頭堡を得るべく、信玄が目をつけたのが「塩田城」です。

この塩田城ですが、上田方面と松本方面から来た武田側の兵や物資の集合地点として最適な場所にあります。信玄は、この川中島のずっと南にある山城、塩田城を攻め落とし、これを拠点に善光寺平への侵入を試みます。

ちなみに塩田城の城代は重臣中の重臣、飯富虎昌。塩田城から見れば【敵は一歩も引かない決意だゾ】という人選です。
ついでに葛尾城と荒砥城を再度落として、村上義清を完全にこの地域から追い出します。もう後詰め無しの村上義清など相手ではありません。

お城野郎ワンダーキャッスルジャパン20141116-66

「布施の戦い」武田勢進軍ルート

そしていよいよ信玄は善光寺平を目指します。この善光寺平の南の入り口に「塩崎城」という山城があります。1553年に塩崎氏が屋代氏と共に武田信玄に降り、この善光寺平の要衝にある塩崎城を入手します。

これで善光寺平の入り口が開けましたが、信玄は本陣を塩田城から動かしません。上杉の動きを警戒したかどうかは分かりませんが、武田信玄は川中島からはるか南に離れたこの塩田城に布陣したままです。

信玄の性格なのか分かりません。ここから先は未知の領域ですし、どのタイミングで大国越後の上杉が出てくるかも分かりません。ボス戦を前にできるだけ体力を消耗したくないし、引き返せないところで上書きセーブしちゃってもね、といった状況でしょうか。

 

信玄はナゼ攻めの城ではなく詰めの城に入ったか

ここで川中島の戦いに出て来る最初の重要な城「塩田城」についてもう一度見ていきましょう。

塩田城は現住所でいうと長野県上田市で、上田市の最北端に位置します。ここは千曲川に沿って行くと川中島のある善光寺平に出ますが、最北端と言っても上田市です。川中島からは結構な距離にあります。

そして中世の城、最前線の城のご多分にもれず山城です。村上義清が最後にこもった城の一つだけあって、要するに「詰め」の山城なのです。

一方、武田信玄の戦略は積極侵攻策です。これは北信濃でも変わりません。ここまで橋頭堡を築いても常に攻めの姿勢を変えず、奪取した敵の防御主体の城はほとんど破却したり改築して来ています。
しかし信玄はこの村上義清の詰めの城=防御主体の塩田城に入りました。

決して攻めの城ではない既存の山城に布陣するということは、上杉謙信をかなり警戒していたのでしょうか。ここまでの積極侵攻策には反する、遠くの山城に布陣したという一点からこれはもう信玄にこれ以上侵攻する気が全く見えません。

この第1回の川中島の戦いは武田の先鋒隊が川中島の入り口付近「布施」で上杉勢に蹴散らされて終了した、と記されています。
城マニアの視点では、「塩田城に布陣した」という記述だけでも、今回も様子見程度だったと想像がつきます。

 

城の特徴を見れば進軍の意図も自ずと明らかに

このようにその城の特徴、山城なのか、平城なのかというだけでも、戦いの意図や目的が手に取るように分かります。

ちなみにこの第1次川中島の戦いですが、信玄の本陣があまりにも川中島から遠いのと、そもそもの目的がその後の川中島の戦いの目的(川中島を含む善光寺平の支配)と全く違いますので、これを川中島の戦いにカウントしていいのかと疑問を呈する専門家も大昔から存在します。

城の視点から考えてみても、塩田城布陣→遠くの山城から善光寺平に侵攻?「ねえわ、それねえっすわ」となります。

謙信も信玄が塩田城にいると分かった時点で「あ、ねえわ」と思ったのでしょうね。さっさと退陣しています。

信玄は「ほう、あいつ戦が分かってんな」と思ったかどうかは分かりませんが、お互いに深追いはしていません。戦の天才同士が遠く離れていてもお互い通じ合うというのはこういうことなのでしょうね。

【次回へ続く】

 

 

筆者:R.Fujise(お城野郎)

武将ジャパンお城野郎FUJISEさんイラスト300-4

日本城郭保全協会 研究ユニットリーダー(メンバー1人)。
現存十二天守からフェイクな城までハイパーポジティブシンキングで日本各地のお城を紹介。
特技は妄想力を発動することにより現代に城郭を再現できること(ただし脳内に限る)。

 

※編集部より



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