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戦国最強の水野勝成、大坂夏の陣で一番槍! さすがの後藤又兵衛もたじろぎ、そして……

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1614年冬――。
豊臣秀頼vs徳川家康という冬の陣は、堅牢な大坂城に立て籠もる豊臣方に有利な展開かと思われたが、大砲一発で局面は激変。
天守を直撃した英国製のカルバリン砲は淀君侍女の命を奪い、そして城の命とも言える堀や櫓なども奪った。

もはや裸同然。
それでも秀頼・淀君の親子は強硬な姿勢を崩さない。
転封を受け入れれば、あるいは命だけは助かったかもしれないのに、一度は臣下として見下ろした家康に頭を下げることは我慢できなかったのか。あるいは逆転勝利も夢見ていたのだろうか。

しかし、戦場はさほどに甘くない。
なぜなら翌1615年、夏の陣では、徳川方の最終ウェポンが爆発するのであった。

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どうした、塙! 木札はどうした!


◆奇襲をかけた敵陣に、自らの名前を記した木札を置いてきたことで知られる塙団右衛門
徳川の兵糧庫に襲いかかり、更には大野治房と共に堺、紀州に攻めかかると、先頭に立っていた塙団右衛門らが勢い止まらず徳川方の浅野長晟に討ち取られてしまいました。
なんつーか、死に場所を探していたんですかね。奮闘して和睦――という考えは、もうなかったのかな……。
夏の陣、開戦前の軍議が見たいぃいいいいいい!

 

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ずんだ餅食ってる場合……なんですね、この人だけは


◆「伊達政宗のずんだ餅」といえば、何かと悲壮な大坂の陣において唯一とも言える笑えるエピソードでしょうか。
豆を潰すのに適当なすりこぎ棒がなかったから、「んじゃ陣太刀、使っちゃおッ♪」てことで知られるこの逸話、まぁ、ウソなんです。
それでもいいんです。だって政宗さんだから。
とまぁ、それだけではなんですので、伊達政宗さんとずんだ餅に関する記事を合わせてご参照いただければと存じます。
リアルもネタも面白い。だからこその独眼竜なのでありましょう。
【関連記事】伊達政宗の「ずんだ餅」はウソ!? 書籍『伊達政宗と時代劇メディア』からガチかっこいい独眼竜を学ぶ!

 

絶対に敵にしちゃいけないヤツがいる><;


◆後藤又兵衛と言えば、誰もが知ってる元黒田家の豪傑です。
大坂城に入ったときも真田幸村や毛利勝永らと共に高く評価され、浪人生活を経ていてもその腕っ節は変わらず期待されていたものと伝わっております。しかし……。
大坂夏の陣において、彼が対峙したのが水野勝成
徳川家康のイトコにして、戦国ガチ最強とも称される武勇の者です。
あまりに暴れん坊過ぎて水野家(徳川家)を追い出されて長きに渡って放浪していたのですが、黒田家にも立ち寄っており、そのときに又兵衛とも面識があった可能性も。
もしかしたら又兵衛もこの段階で死に場所と覚悟したのかもしれませんね(´・ω・`)
※水野勝成の陣に、宮本武蔵が配下としているのも面白いところです
【関連記事】水野勝成こそ最強武将! 徳川家康のイトコながら各地を流浪したリアル傾奇者の生き様とは

 

だから一番槍はダメだって言ったでしょ!


◆知る人ぞ知る水野勝成さん。
詳細は上記の関連記事で御確認いただきたいですが、とにかく「一騎駆け」「一番槍」が好物で、大坂の陣でもやっちまいます。
このとき、なんと52歳。
徳川家康さんからは「絶対、凸るなよ!絶対だぞ!」という言葉を逆に受け止めちゃったんすかね。
大坂の陣は、ともすれば真田幸村ばかりに注目が集まりがちですが、水野勝成さんの働きも実は大きなものだったことを加えておきたいところです。
やっぱりこの方こそ、最強武将だと思うのです。
※なお、冬の陣での水野勝成さんは派手な記録は残っておりません

 

次週へ続く

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