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武田・上杉家 本郷和人歴史キュレーション

謙信の愛刀『山鳥毛』&宇都宮仕置の書状に島左近の名前! 本郷教授の「歴史キュレーション」

更新日:

 

日本中世史のトップランナー(兼AKB48研究者?)として知られる本郷和人・東大史料編纂所教授が、当人より歴史に詳しい(?)という歴女のツッコミ姫との掛け合いで繰り広げる歴史キュレーション(まとめ)。

今週のテーマは「謙信の愛刀『山鳥毛』&宇都宮仕置の書状に島左近の名前!」です。

 

【登場人物】

本郷くん1
本郷和人 歴史好きなAKB48評論家(らしい)
イラスト・富永商太

 

himesama姫さまくらたに
ツッコミ姫 大学教授なみの歴史知識を持つ歴女。中の人は中世史研究者との噂も
イラスト・くらたにゆきこ

 

◆上越市が国宝の上杉謙信の愛刀購入へ 評価額3億2千万円 市民から寄付募る 上越タウンジャーナル 8月23日

本郷「へー。3億円超かあ。ごついなあ。どうでもいい話だけど、江戸時代の義賊、ねずみ小僧が盗んだ金が3億円くらいなんだね」
「ほんとにどうでもいい話ね。だって、ねずみ小僧は実は貧乏人にお金をまいたりしてなかった、っていうじゃない。あ、しまった、乗っちゃった」
本郷「うんうん。いろんなことを知っておいて損はないよ。あはは。まあ、それはそれとして、上越市は人口が20万人に欠けるくらいか。ということは市民一人あたり1500円くらいで買えるわけだけど・・・。さてどうなりますか」
「『山鳥毛』という刀は今は個人が所有されていて、岡山県立博物館に寄託中なのね。国宝なんだ。すごいわね。それで、まずは基本なんだけれど、『山鳥毛』は『やまとりげ』と読んでいいのかしら?」
本郷「うーん、刃紋が山鳥の羽毛に似ていることに由来するので『やまとりげ』でいいと思うんだけどね。ただ、他の史料によると『さんじょうもう』説もあるようだね。上杉家に伝わった説によると、『遠山の夕べの山やけの景色ににている為』にさんしょうもうと呼んだ(『上杉家刀剣台帳』)、とする。焼けることを『焼亡』と書いて、『じょうもう』と読むでしょう。まあ、現代の語感からすると、相当にヘンな名前になるけれど」
「まあ、名前は二説あるけれど、実に美しい名刀だ、ということでいいわね」
本郷「そうだね。それで、弘治2年(1556年)10月に長尾景虎が上州白井に出陣した際に白井城主長尾憲景より贈られた、というんだ。さて、これがどこまで確かなのか。上杉謙信は永禄4年(1561年)閏3月16日、山内上杉家の家督と関東管領職を相続、名を長尾景虎から上杉政虎に改めている。だから、弘治2年での名前は長尾景虎でいいのだけれどもね」
「上野に進出しているかどうかが疑問なのね」
本郷「うん。この年、有名な話だけれど、景虎は春日山城を出奔するという事件を起こしている。国人の紛争の調停で心身が疲れ果てた、というあれだ。3月に出家・隠居することを宣言し、6月には林泉寺の住職・天室光育に遺書を託し(「歴代古案」)、春日山城をあとに高野山(比叡山ともいう)に向かう。しかし天室光育、長尾政景らの説得で出家を断念した景虎は越後国へ帰国し、守護代を続けることになるんだ。こう見ていくと、10月に上野に行けるかな?」
「無理そうねー。でも、まあ、長尾憲景という武将から、景虎に贈られた、ということで理解しておきましょう」
本郷「長尾憲景はもともと関東管領に仕えていた人でね、謙信が生きていた時期にはだいたい謙信に仕えている。でもその死後は武田に仕えたり、後北条や滝川一益に臣従するなど波乱に満ちた人生を送る。まあ、その話は機会があったらしようか」

 

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◆刀祖「元重」作か 静岡県で発見、関市が購入へ- 岐阜新聞 Web 8月27日

「こちらは300万円ね。私たちには大金だけど、まだがんばれば手が届くというか何というか」
本郷「たしかに。少し身近だね。でも、この記事が本当だとすると、歴史的価値は高いんじゃないかなあ。お金では計り知れない」
「室町時代の刀の名産地といえば、長船がある備前国と、関を含む美濃国、よね。それで、関が刀の産地として知られるそもそもは、この元重という刀工から始まるのよね」
本郷「そうなんだ。刀鍛冶の系図では、元重が始祖ということになっている。けれども、今までは実際の元重の刀、というのは見つかっていなかった。それで元重は架空の人物ではないか、と考える人もいたんだ」
「そうしたら、今回、元重の銘のある刀が出てきた、と。すごいじゃない」
本郷「いや、記事をよく読んでみて。今回見つかった刀は、室町時代初期のものと鑑定された。一方、元重が関にやってきたのは鎌倉時代末から南北朝時代、という。つまり若干だけれども、時代があわない」
「ああ、それで、元重の名前は初代だけじゃなくて、二代目、三代目と受け継がれた可能性がある、ということなのね。今回見つかった刀は、初代のものではないかもしれない、と。それでもすごいじゃない。和泉守兼定や関の孫六兼元の先達に当たる人だったら、大興奮ものだと思うわよ。研究の進展が待たれるわね」

 

◆書状に「宇都宮仕置」 秀吉の天下統一へ実務指揮 記述で詳細、明確に /栃木 毎日新聞 8月28日

「『宇都宮仕置』っていうのはなに?私、初めて聞いたんだけれど」
本郷「豊臣秀吉が小田原征伐の後に、宇都宮に赴いて行った、関東および奥州の諸領主に対する戦後措置のことだよ」
「たしか秀吉は小田原落城の後、会津まで足を運んでいるのよね」
本郷「そうだね。天正18年(1590年)7月13日に後北条氏を降伏させた秀吉は、同17日に鎌倉に入り鶴岡八幡宮に参詣する。裸一貫から天下を取ったのはおぬしと私と二人だけだ、と源頼朝像に話しかけたエピソードは、この時のものだね。同19日には鎌倉を出立、結城などを経て、26日に下野国の宇都宮城に入城した」
「そこでゆっくり滞在したの?」
本郷「宇都宮での秀吉の滞在期間は11日間に達する。それから会津へ出かけて、帰りにも10日間ほど滞在しているね。折からの長雨が原因という話もあるけれど、秀吉はここで奥州・関東の所領関係を整理してしまいたかったのだろう」
「諸大名たちは宇都宮に参集してきたの?」
本郷「うん。常陸の佐竹義宣、南部の南部信直、それに伊達政宗たちだね。秀吉は彼らに対して、天下統一後の所領措置を『朱印状』という文書のかたちで申し渡したんだ。大名たちは所領を安堵された者、改易された者など悲喜こもごもといったところかな」
「島左近の名前があるけれど」
本郷「秀吉の判断のサポートには、当然石田三成が当たっていたのだろうね。それで三成の重臣である左近はいろいろと情報を知っていたというわけだろう」
「かつては島左近勝猛、といわれていたけれど、文書から見ると、島左近清興が正しいんですって?軍事なら分かるけれど、彼が行政にも携わっていたというのはビックリね」
本郷「そうだなあ。豊臣政権のキーマンである三成を補佐するのだから、ただの戦争屋ではつとまらなかったんだね。左近の生涯についても、そのうちに追いかけてみようか」

 

 

 

【編集部より】

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