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受験

今度は中学生歴女まで!いよいよファイナル・ステージ!本郷先生、ありがとうございました! gacco体験レポート(4)

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4月14日から始まった、「gacco」の本郷和人先生の「日本中世の自由と平等」の講座。

 

「Week1. 歴史学とは何か?」

「Week2. 「Week2. 歴史のあるべき・ある論」と進み、

4月26日(土)には、「反転学習コース」の方向けの東大での対面授業が行われました。

 

そしてゴールデンウィークを経て、

「Week3.中世における自由とは」

「Week4.中世の平等について」と進み、

5月10日(土)、2回目の東大での対面授業を迎えました。

 

個人的なことですが、ゴールデンウィークは帰省したりで勉強を怠けてしまい、

前日と当日の午前中に、一気にWeb講座を進めてしまったら、の課題は間違えまくってしまい…… (^^ゞ

 

気を引き締めて、Week4に、そして対面授業に望まなくちゃ、と思ったのでした。

 

***

 

さて、この日も気持ちのよい五月晴れ。

東大ももうすぐ『五月祭』なのだなあ、と思いながら、ちょっと早めに東大に行きました。

image001 ↑今日も素敵な東大の赤門

 

今日のお目当ては三四郎池。

 

 image003

夏目漱石の小説「三四郎」にも描かれたことで、通称「三四郎池」と呼ばれていますが、本当の名前は「心字池」。

 

江戸時代、ここは加賀藩前田家の上屋敷で、このお庭も、3代利常公の時に造られた「育徳園」という大名庭園だったそうです。

 image005

そういえば、前田藩のお膝元、金沢の兼六園と似たようなところもあるような…。

 

 

……などと、こちらがのん気に東大散策を楽しんでいる間、本郷先生は緊張しながら、対面授業の時間がくるのを待っていたそうです。

 

***

 

さて、今回もレジメに沿って課題が出され、それについて、近くに座る4人のグループで討論、そして発表、その後、本郷先生の解説、となるわけですが、前回は、京都から来た“高校生”と同じグループになり、とてもびっくりしました。

 

しかししかし今回は何と! 

大阪からきた“中学生”と同じグループになりましたよ!

 

高校生は、学校の先生に勧められてこの講座を受けに来た子が多いようですが、この中学生の女の子は、小学生の頃から歴史が好きで、今回はご両親に、この講座を勧められたそうです。

 

可愛い子には旅をさせろ、とは言いますが、ご両親も偉いなあ、と思いました。

こういう将来有望な子に、国ももっと支援したらいいのに。

(改めて、このサービスを始めたNTTドコモはやはり凄いですね!)

 

***

 

さてさて、今回の対面授業のテーマは、

「中世の自由と平等を信長で考える」

 

配られた資料を読んで、まず、

・信長と戦国大名はどう違うのか?

そして、

・信長が「天下布武」を内外にアピールしたのはどういう意味を持つのか?

を考えました。

 

守護大名と戦国大名の違いについては、Web講座の方で皆さん勉強済みですから、今川義元がいち早く、守護大名から自立した戦国大名へと意識を変化させていたことなどは理解しています。

 

また、関ヶ原の合戦の前哨戦、「上杉景勝の討伐」について、なぜ上杉景勝は西軍の一員として、背後から徳川家康を討たず、北の最上家を攻めたのか?

これは、上杉景勝には“天下”という意識がいまだ薄く、またそれぞれの領地をそれぞれの大名が治めるという、戦国時代のような世の中に戻ると考えていた、だから上杉家の所領を広げることを優先した、という説明に、

なるほど~、と思いました。

 

そしてまた、織田信長と武田信玄と今川義元を比較してみると、

信長が手に入れたのが、尾張(57万石)、美濃(54万石)、近江の半分(39万石)、伊勢(56万石)、合わせて206万石、

武田信玄は、甲斐(22万石)、信濃(40万石)の62万石、

今川義元は、駿河(15万石)、遠江(25万石)、三河(29万石)の69万石……。

 

三者のこの石高の違いからもわかるように、やはり信長は拡大思考が強く、圧倒的な経済力を持っていたということ、

そして地政学的にも、「京都に近い」という地の利に恵まれていたこと、

さらに、木曽川・揖斐川・長良川、琵琶湖といった水上交通の拠点を抑え、伊勢、堺なども手中に収めたこと、などを改めて理解することが出来ました。

 

さらにまた別の資料を読みながら、

・信長と朝廷の公権力の違い

についても考えます。

 

この時代、朝廷は経済的にも苦しく、権力も失墜していたようです。

しかし年号や暦などをつかさどる、文化面での権威は保っていたようです。

政治や経済は、武士(将軍)が握っていたようです……。

 

そしてさらに、

・信長と宗教

についても考えます。

 

問いは、

(1)信長はなぜ一向宗を嫌ったのか?

(2)もし信長の政権が続いていたら、キリスト教を禁じたか?

でした。

 

ここで、Web講座でもさんざん出てきた

「ツリー」と「リゾーム」という考え方が出てきました。

 

信長は、じぶんが頂点に立つ「ツリー型」の天下を目指していたのですが、一向宗の教えは“みんな平等”という「リゾーム型」。

 

しかも宗教は、山を超え、海を超え、国を超えて人々に伝わるという性質を持ち、戦いの時には、“殉教しても天国に行ける”と考えているので、怖いものなし。

信長にとってみれば、とても厄介。

これは絶対、撲滅せねばなるまい……。

 

***

 

実は中世までは、主人も複数の従者を持ち、従者の方も複数の主人を持つという、「兼参」と呼ばれる「リゾーム」的な、ゆるやかな主従関係も存在していました。

 

それがどんどんシビアになっていったのが戦国時代、そして江戸時代。

 

身分の差がはっきりと決められ、「平等」は失われましたが、しかし戦が終わり、「平和」が訪れ、人口は非常に増えました。

 

その平和な260年の江戸時代の間に、日本は独自の文化を発展することができました。

 

そして幕末、

中世の時の「みんな平等」という考え方がここで復活し、無事、明治維新を迎えることができました。

 

ふ~む、そうだったのかぁ……。(・∀・)

 

「自由」については、

中世は、「殺すのも自由」「殺されるのも自由」という、弱者にとってはとんでもない「自由」が存在していたようですが、

戦国時代、江戸時代と進むにつれて、「相互承認」が発展し、「所有の輪郭」がはっきりし、「自由」が進展していきました。

そして、「自分を自分の自由にできる」という意味での「自由」を得ることができた、とのことでした……。

 image007

↑ 講義が終わった後の本郷先生

 

***

 

本郷先生も、「これには答えはない」と再三おっしゃっていましたが、こんな拙いレポートで、本当に申し訳ないです。

 

しかし歴史好きとして、普段は本や雑誌や歴史番組などから、発表されたものを受け取るばかりでしたが、今回、本郷先生の講座を受けて、日々古文書と格闘し、調査し、科学的に分析し、一つ一つ丁寧に慎重に組み立てていく

歴史学者の方々のご苦労を垣間見ることができたのは、とても貴重な経験だったと思います。

 

歴史はいろいろな解釈があり、それぞれの人が持っているイデオロギーを刺激したりもしますから、色々とご苦労もおありだと思いますが、どうであれ、面白い知識をご教授くださる先生は、皆、尊敬すべき先生だと思います。

 

約2ヶ月間の講座でしたが、最後まで終えた時には、本郷先生の趣旨が伝わり、こちらも何かが開眼したような感動がありました。

 

***

 

さて、講座が終わった後の懇親会、

今回は参加しました。

 

2回目ということで、皆さん和気藹々と、とても和やかな雰囲気でした。

 

皆さんから「またこのような講座をやってください」

とのリクエストがありましたが、本郷先生、前日はほとんど眠れず、とても緊張して、とても体が持たない、とおっしゃっていました。

 

でも、またきっと、やってくださいますよね?!

 image009

↑ オマケ・本郷の老舗洋菓子店『近江屋』のお菓子。

 

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