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艦これブログ

【艦これブログ~オレの娘は不沈艦!】 番外編? 宇和島城に登ったった

投稿日:

 

武将ジャパン連載「お城野郎さんのブログに触発され、GW を利用して僕もお城を見に行くことにしました。

ターゲットは我が根拠地・愛媛県松山市から列車(電車ではない!!)で西行すること約1時間半のところにある“宇和島城”。現存12天守のうちの一つです。

 

宇和島へのアクセス

艦これブログ番外編1

午前中に“艦これ”を済ませてお昼頃、特急「宇和海」で宇和島へ向かいます。

四国の首都・松山からの運賃は片道約3000円ほど(特急料金込み)。伊予市から西は電化されていないので、ディーゼル車での旅になります(松山市民は路面電車(伊予鉄)を“電車”、JR を“汽車”と呼び分けたりします)。

 

艦これブログ番外編2

宇和海というのは、伊方原発のある佐田岬半島と、由良半島・日振島(藤原純友が根城にしていた島です)などに囲まれた、豊後水道の愛媛県寄りの海域を指します。

宇和島城は、もとはこの宇和海に直接面し、堀に海水が引き込まれた海城なのです。

 

艦これブログ番外編3

駅弁には「松山鮨弁当」をチョイス。瀬戸内の小魚でとった出汁と甘めの酢で酢飯を作り、そこにテキトーに地の魚を盛り付けたもの。

(^ω^) ウメェ……

ビールが進みます。

 

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いざ、登城!

艦これブログ番外編4

宇和島駅に着きました。四国の地の果てです。

 

艦これブログ番外編5

駅前にはやたら背の高いヤシの木(?)がたくさん生えていました。

松山のある中予(伊予中部)は夏季に渇水で悩まされるのですが、南予の宇和島は雨が多くて、割と南国風味です。

愛媛県(伊予)は“伊予八藩”ともいうようにやたら藩があったので、文化的にも多様です。つまり、交流がなく、互いにあんまり仲が良くない。これは四国全体でもいえそうですけれど。

 

艦これブログ番外編6

駅から15分か20分ほど歩くと、三の丸の登城口が見えてきます。

うっかりして写真を撮り忘れたのですが、登城口には“藩老桑折氏武家長屋門”が移設されていて、訪問客を迎えてくれます。

 

艦これブログ番外編7

天守閣までは330m。木漏れ日の中を二の丸・本丸へと伸びる石段を、一段ずつ登っていきます。

苔むした石垣の雰囲気がとてもよいです。

 

艦これブログ番外編8

――が、ここらへんでもう力尽きました orz

デスクワークばっかりだから、運動不足だ! 宇和島城を攻める足軽じゃなくてほんとによかったです。

 

艦これブログ番外編9

井戸丸。籠城するときにはここで水を汲むんでしょうか?

 

艦これブログ番外編10

だいぶヘバってしまったので、本丸へ行く前に郷土資料館へ寄ってみました。

 

艦これブログ番外編11

松山城みたいに藩主の鎧や藩札みたいなものを展示しているのかと思っていたのですが、かなり生活に密着した品ぞろえでした。江戸から明治時代にかけての生活用具が中心のようですね。

なかには貴重な写真も。

 

艦これブログ番外編12

これは在りし日の追手門。国宝に指定されていましたが、昭和20年7月20日の宇和島空襲で焼失してしまいました。

天守閣が残っただけでも不幸中の幸いか……。

 

艦これブログ番外編13

こちらは闘牛の写真。実は宇和島って闘牛で有名なんですよね。

闘牛.com 宇和島闘牛 公式サイト

大正末期から昭和初期が最盛期で、宇和島近辺の村々の山合いには必ず小さい闘牛場があり、農閑期やお祭りには盛大に闘牛が催されていたとのことです。直径20メートルの土俵で1トンを超える巨大な牛が激突するさま……一度は見てみたいものです。

 

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本丸へ到着ーー orz

艦これブログ番外編14

さて、だいぶ引っ張ってしまいましたが、やっとこさ天守閣が見えてきました。

この宇和島城を縄張りしたのは、梟雄・藤堂高虎。その当時は複合式望楼型の三重天守だったそうですが、のちに宇和島に封じられた伊達家の2代目・宗利(伊達正宗の孫ですね)が現在の独立式層塔型3重3階に建てなおしたのだそうです。

 

艦これブログ番外編15

本丸広場から、天守閣の正面をパチリ。だだっ広い広場にポツンとたっていて、わりと寂しいな? と思いました。

往年は周りに壁や建物が建っていたでしょうし、そのなかに立つ天守閣は勇壮でしたでしょうけれど。

 

艦これブログ番外編16

けれど、斜めから撮ってみると割とかっこいい感じです。

 

艦これブログ番外編17

地元観光協会のページもこのアングルなので、これが“クリステル角度”ならぬ“宇和島城角度”なのでしょう。

 

艦これブログ番外編19

天守閣からの眺め。これは絶景ですね!

今でこそ埋め立てられて、港が沖のほうに伸びていますが、当時は直接宇和海に面していました。

 

艦これブログ番外編20

古い地図を適当に Google Map と合わせてみました

宇和島城は五角形になっていて、これを「空角の経始(あきかくのなわ)」というそうです。

高虎の発想は、城を攻める側は当然方形の縄張を予想して攻めてくる。しかし実際は五角形だから、一辺が空角になる。つまり、城を攻める側にとって、完全に死角になってしまい、攻撃は手薄になる。いわば、この一辺の空角は、敵の攻撃を避けられるとともに、敵を攻撃する出撃口ともなり得る。そればかりではない。この秘かな空角は、物資搬入口ともなり、城から落ちのびる場合の抜け道ともなる。これは守城の作戦上、効果は絶大なものといえるだろう。当時の築城術でこのようなからくりを用いた城は他にはなかった。

from: 宇和島城 - Wikipedia

一筋縄ではいかない、策士・高虎の考えそうな仕掛けですねw

 

艦これブログ番外編21

三の丸から見ると裏に当たる“上り立ち門”を見学して、宇和島城とはさようなら。

銅像は大津事件の際に大審院長として司法権の政治部門からの独立を守り抜いた“護法の神様”・児島惟謙のもの。郷土資料館脇には資料館には、これまた法学の分野で名高い穂積兄弟(穂積陳重穂積八束)の生家が保存されていました。

宇和島は法学に縁の深い土地なのかも?

 

おまけ

艦これブログ番外編22

宇和島城を訪れたのならば、その近くにある“天赦園”も訪れてみたいですね。幕末の慶応3年(1868年)、7代藩主の伊達宗紀による築庭。名前は、

馬上少年過
世平白髪多
残躯天所赦
不楽是如何
(馬上に少年過ぎ 世は平にして白髪多し 残躯は天の赦す所 楽しまずして是を如何せん)

という宗紀(もとは伊達政宗のものとも言います)が詠んだ句に由来します(司馬遼太郎の「馬上少年過ぐ (新潮文庫)」にもとられていますね)。

「この歳までガンバったんだし、悠悠自適に過ごしてもいいよね!」

という意味ですね。僕もこんな庭で、老後を過ごしてみたいものですw

――あと!!

忘れてはいけないのが、宇和島の鯛めし。

 

艦これブログ番外編23

宇和島の鯛めしは、生卵+出汁に鯛の切り身が入っていて、かき混ぜてご飯にかけて食べます。

 

艦これブログ番外編24

これが絶品。卵かけごはんを超ウルトラスーパーハイパー美味しくしたものといったら、少しは想像していただけるでしょうか。

今回は、宇和島城三の丸跡地にある「海鮮割烹 一心」さんでいただきました。

夕方の営業は5時から。歩き疲れた後は、宇和島の魚介と鯛めしで一杯……なんてしゃれ込んでみてはいかがでしょうか。

――あかん、なんか旅行案内みたいな記事になってしもうた /(^o^)\

 

 

 

 

天守閣への道のりは坂道キツそうで萎えたけど、このゴハンを見たら、宇和島いきたくなってきた!という方もそうでない方もポチッとご協力お願いしますm(_ _)m

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文・ やなぎ ひでとし(33歳、独身♂)

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1980年、大阪府大阪市で爆誕。中学・高校時代は伊賀、大学時代は京都で過ごしたため、あちこちの言葉が混じった怪しい関西弁を操る。
現在は東京・千葉を経て、愛媛・松山に在住。普段はWindowsソフトウェアを専門とするフリーライターと、舞鶴鎮守府サーバーの提督(大将)の二足わらじ。
中国史(とくに春秋戦国時代など)が割りと好物で、好きな人物は漢の光武帝、尊敬するのは管仲・晏嬰。コーエイの『三国志』シリーズではもっぱら馬騰で遊んでいる。日本の武将では武田信玄が好き。

 




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