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【艦これブログ】第110隻 水上機母艦「秋津洲」を改造するやで! / “秋津洲流戦闘航海術”ってなに?

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この前のイベントでゲットした水上機母艦「秋津洲」(【艦これブログ】第107隻 E-6 打通作戦!ステビア海を越えて | BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン))が、無事、改造レベルの Lv35 に到達。

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ちなみに、必要資源は弾薬700、鋼材350です。まだイベントの痛手から十分に立ち直っていない我が司令部にとってはちょっとデカい出費です。

 

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でも、改造によりスロットが 2 → 3 へ。イベントでゲットした二式大艇×2+改造時にもってくる二式大艇×1=3機すべてを積むことができます。これで索敵値が驚異の +36 に! 問題はこれをどう活かすかですが……。

あと、改造による地味な強化点として、ソナーを装備可能になったことが挙げられます(爆雷は搭載可能でした)。これにより、爆雷+ソナーの組み合わせが装備可能になっています。ただ、潜水艦を攻撃するには別途対潜値のある水上機を装備しておく必要があります(でないと攻撃できない!)。たとえば二式大艇ちゃんは対潜が +1 だけありますので、潜水艦を攻撃可能です。

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水上機母艦「秋津洲」ってどんなフネ?

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水上機母艦「秋津洲」は、マル4計画(戦艦「大和」たちと同級生ですね!)にもとづき川崎重工業神戸造船所で起工され、戦中の1942年4月に竣工しました。ちょうどマッカーサーがフィリピンを脱出し、サンゴ海海戦がしようとしている頃です。計画排水量は5,500tで、だいたい夜戦夜戦うるさいあの軽巡と同じぐらいのサイズでした。

「秋津洲」をみて真っ先に目につくのは、艦尾の巨大なクレーン(電動35t)でしょう。これは飛行艇を吊り上げるもので、重量31トンの二式飛行艇を吊り上げる力があったそうです。

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来るべき戦争に備え、海軍は4発のエンジンを備え、長大な飛行距離をもつ爆撃機を欲していました。そこで中島に陸上機「深山(十三試大型陸上攻撃機)」、川西に飛行艇「二式大艇(十三試大型飛行艇)」を発注し、競争させました(この過程は『最後の二式大艇』に詳しいです)。

残念ながら「深山」の開発はうまくいきませんでしたが、「二式大艇」の方は飛空艇ながら小型機並みの操縦性(雷撃するのに重要!)を兼ね備えた傑作機になります。懸念であった離陸時のポーポイジング(水上走行時にイルカの泳ぎみたいに前後に跳ね、海面に激突する現象。離陸に失敗して大破する)も、船艇に「カツオブシ」と呼ばれる整流板を取り付けることで解決しています。陸上機と異なり、大きな飛行場を必要せず、海面さえあれば離着陸できる点も、島嶼が多く、土木能力の低い日本にはありがたい要素でした。これをいっぱい用意して、ハワイとか爆撃しまくれば勝つる!――というのが、参謀たちの目論見です。

なんといっても、「二式大艇」の航続距離は、7,153km。だいたい日本を一周できる距離で、空母艦載機よりも全然足が長い。空母を前線に出して危険にさらさずとも、一方的にアウトレンジ攻撃が行えます(レーダーがなければ。あと、護衛の戦闘起動するつもりだったかな?)。

しかし、遠くハワイや南洋を行き来するにはさすがに航続距離が足りず、途中で補給が必要です。また、飛行場が要らないといっても整備の必要はあります。

「秋津洲」の仕事は、この二式大艇を収容して整備・補給を行うことでした。艦内には航空隊員用の居住施設や、飛行艇に搭載するための魚雷・爆弾・機銃弾などを蓄えておくための弾薬庫、燃料タンク、工作施設を備え、飛行艇たちを支援するための通信設備も充実していたといいます。

ただ、飛空艇を搭載した状態では航行できなかったようで、補給・整備は停泊状態で行わなければなりませんでした。カタパルトで射出、なんていう芸当ももちろんできず、「千歳」「千代田」よりも、どちらかというと飛空艇用の「大鯨」というか、(飛空艇専門の「明石」+補給・兵員の休養を担当する「間宮」)÷2 に近い感じです。艦これでも、ちとちよとは異なり魚雷が装備できなかったりと(そもそも雷撃戦に参加しない)、戦闘にはあまり向かない感じで、そこも「大鯨」っぽい感じですね。「やられたかもー。わたし、前線とか苦手かもー。後方支援とかならばっちりかも…」

兵装は12.7cm連装高角砲×2、25mm連装機銃×2などの対空兵装を少し積んでいた程度。ほかに零式水上戦闘機(零戦にゲタをはかせて水上機にしたもの)を1機積んでいたそうです。

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なお、「秋津洲」には2隻の姉妹艦が予定されていたほか、潜水艦型の支援艦も計画されていました。残念ながらどちらも未完成に終わりましたが、「伊19」など潜水艦による補給は実際に行われています。

 

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今こそ、秋津洲流戦闘航海術実践の時。出撃するかも!

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さて、「秋津洲」のもう一つの特長は、その独特な迷彩。これは初代艦長(艤装も担当しました)の黛 治夫(まゆずみ はるお)大佐が施したものです。砲術の権威で、『坂の上の雲』を読んだ方なら名前を耳にしたことがあるかもしれません。日本海海戦時の日本海軍の練度や砲術について解説しています。

『ライオン艦長 黛 治夫』によると、この迷彩には

艦首に35ノットもも出ているような大白波を描かせ、艦尾にも20ノットぐらい出ているかのような中白波を描かせた。どっちに何ノットで走っているのか、わからなくしようというのである。

という目的があったそうです。ちなみに、「秋津洲」の速力は19ノットです。当時、とくに雷撃は相手の速力を“波の立ち方からだいたいを予測して”、その進路上に扇型に複数本、放射状にばら撒いて当たるのを祈るといった感じでしたから、これはなかなか理にかなったやり方だったようです。「厚化粧ですって!? 失礼かも!」

しかし、連絡なしに飛来した味方航空機を撃ち落そうとしたり、「大和」型は艦首を狙われると浸水して大変だから兵員質を潰してゴムを詰めて、兵員は「秋津洲」みたいな支援艦で世話すればいいなどと言い放ったり(でも実際に「武蔵」は艦首の浸水で沈んだ)、上層部にとっては使いにく人材でした。戦艦至上主義の海軍で、しかも砲術の大家であったにもかかわらず、「秋津洲」などの艦長をやらされていたのも、そういったことが災いしたのかも。とにかく、ユニークな人でした。

極め付けが、彼の編み出した「秋津洲流戦闘航海術」。

たとえば、錨を長く伸ばした状態で停泊し、空襲を受けた時、爆弾が投下されるのを見計らってそのまま前進全速。錨をつかったターンで爆弾を回避するという大技です。

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映画『バトルシップ』にでてくるアレやな。投錨ターンでドリフト射撃かますヤツやな(観てない人は観てみてね!)。むしろ、元祖は「秋津洲」であり、『バトルシップ』の戦艦「ミズーリ」はそれを真似したといっても過言じゃない、かも!

是非艦これでも実装してほしいものデス。

 

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文・ やなぎ ひでとし(33歳、独身♂)

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1980年、大阪府大阪市で爆誕。中学・高校時代は伊賀、大学時代は京都で過ごしたため、あちこちの言葉が混じった怪しい関西弁を操る。
現在は東京・千葉を経て、愛媛・松山に在住。普段はWindowsソフトウェアを専門とするフリーライターと、舞鶴鎮守府サーバーの提督(大将)の二足わらじ。
中国史(とくに春秋戦国時代など)が割りと好物で、好きな人物は漢の光武帝、尊敬するのは管仲・晏嬰。コーエイの『三国志』シリーズではもっぱら馬騰で遊んでいる。日本の武将では武田信玄が好き。

 




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