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艦これブログ

【艦これブログ】第172隻 「見てらんないったら!」 駆逐艦「霞」の戦い(後編)

更新日:

前回(【艦これブログ】第171隻 「見てらんないったら!」 駆逐艦「霞」の戦い(前編) | BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン))のあらすじ――

朝潮型の下から2番目として生まれた駆逐艦「霞」は、ちょっとドジな普通の女の子♡ でも、生まれていきなり第二艦隊第二水雷戦隊というブラック職場(?)に放り込まれてしまうの!

それでも開戦当初は連戦連勝の機動部隊につきしたがって武勲をあげるんだけど、ミッドウェーでは苦い敗戦を経験。休む間もなく北方に回されちゃうんだ(_; もうずっと働き詰めだよぉ……

そんな私たちをかわいそうに思った担任の先生<司令官>は優しくしてくれたんだけど、これが逆に不良<敵潜水艦>たちの付け入るすきになっちゃって、艦隊は大・壊・滅★ 司令官はハラキリだし、駆逐隊<クラス>はなくなっちゃうし、もう、私たちどうなっちゃうんだろう!?

わたし「霞」が病院で寝ている間も、 姉妹が次々と戦場に散っちゃうし……もうムズムズ!……そしてとうとう退院を果たしたんだけど……待っていたのは地獄なのでした☆(ゝω・)vキャピ

リハビリのあとに……復活の第18駆逐隊

さて1943年(昭和18年)6月、ようやく舞鶴を退院した「霞」は、十一水雷戦隊に編入されます。これは訓練・錬成を目的とした艦隊で、要するにリハビリですな。ちなみに、お仲間は旗艦・軽巡「龍田」以下第6駆逐隊(響、電、雷)、夕雲型9番艦「玉波」と秋月型6番艦「若月」、「島風」および「霞」でした。キスカ島撤退作戦には間に合いませんでしたが、「大和」の電探(レーダー)射撃訓練などに参加しています。

そして8月、「霞」は第9駆逐隊(朝潮型「朝雲」、吹雪型「薄雲」「白雲」)へ編入。第五艦隊・第一水雷戦隊(司令官木村昌福少将、旗艦「阿武隈」)に所属して、北千島方面で船団護衛に従事しました。「朝雲」が第10駆逐隊へ転出してからは、駆逐隊旗艦も努めます。

こうした努力が認められたのか、翌1月には、腐れ縁の「不知火」が加入。3月には駆逐艦の雷撃をうけ「白雲」を目の前で失うという悲劇を経験しますが、もといた第18駆逐隊が再結成されます。メンバーは、「薄雲」「霞」「不知火」の3人(ただし、「薄雲」は9月に潜水艦の雷撃で撃沈)。

しかし、この新編第18駆逐隊をまっていたのは、レイテの海だったのです。

途中で対空兵装も強化されていたり。「旗艦「霞」出撃!敵艦隊を撃滅せよ!」のご褒美が集中配備機銃なのもそのせい?

途中で対空兵装も強化されていたり。「旗艦「霞」出撃!敵艦隊を撃滅せよ!」のご褒美が集中配備機銃なのもそのせい?

 

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レイテ沖海戦と多号作戦

10月、第18駆逐隊は第五艦隊司令長官志摩清英中将が指揮する第二遊撃部隊(那智、足柄、阿武隈、第18駆逐隊(不知火、霞)、第7駆逐隊(潮、曙))の一員として出撃。スリガオ海峡に突入します。

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攻撃を受ける「扶桑」と「最上」 Japanese battleship Fusō - Wikipedia, the free encyclopedia

しかし、そこにいたのは敗残の西村艦隊でした。米艦載機の迎撃によりほぼ全滅した西村艦隊は、「時雨」と満身創痍の「最上」を残すのみ。一方、後続してスリガオ海峡へ向かっていた志摩艦隊も、「阿武隈」が被雷して落伍、「那智」と「最上」が衝突するなどして大混乱。「阿武隈」に座乗していた第一水雷戦隊の木村司令官は、「霞」に将旗を移さざるを得なくなりました。これが木村司令官と「霞」の出会いです。

艦これブログオレの娘は不沈艦20160207-3

キスカ徹底作戦などを成功させた木村司令官。「不知火」亡き後、「霞」のパートナーに?

レイテ沖海戦に敗れた日本軍でしたが、レイテ島への部隊増援はあきらめません。「霞」たちは行きつく暇もなく、9次にわたる「多号作戦(たごうさくせん)」に従事することになります。

第1次は、「鬼怒」「浦波」らによって行われました。輸送そのものは成功したのですが、マニラへの帰りに敵機の襲撃を受け撃沈。一水戦の手持ち艦艇が「霞」(旗艦代行)と「不知火」(第十八駆逐隊司令)の二隻しかいなかったため、「不知火」を救援に出しますが、この「不知火」も途中で撃沈されてしまいます。長い間腐れ縁だった「不知火」とも、ここでお別れ。

第2次は、霞、沖波、曙、潮、初春、初霜による警戒隊を編成(「霞、出るわ。見てらんないったら!」)。輸送船「能登丸」を失うも、ルソン増援のため上海から到着した第一師団を、無事マニラからオルモックへ届けることに成功しました。「霞」だけは居残って、「能登丸」の乗員を救出。「撃沈された艦は放置してサッサと作戦を終わらせ、乗員はあとで司令自ら救出」という木村司令のスタイルはこの辺りから確立し始めたのかな?

しかし、成功に終わった第二次多号作戦もつかの間、帰ってきたマニラ港で「霞」たちは大空襲をうけます。ここで第五艦隊の旗艦を務めてきた「那智」を喪失。、「那智」を護ろうと続航した「曙」も被弾大破してしまいました。

艦これブログオレの娘は不沈艦20160207-6

三次作戦で失われた「若月」 多号作戦 - Wikipedia

 

輸送作戦の方も、第4次(三次に先駆けて行われました)作戦は大失敗。陸軍が大発を十分に用意できなかったため(準備できたのは予定の一割らしい)揚陸作業が長引き、結局、敵の空襲の中、兵士と携行弾薬のみを下ろしただけで、重火器は下せませんでした。しかも帰りに空襲に遭って輸送艦2隻が爆沈、護衛隊も中大破が相次ぐという惨状です。しかも、上級司令部はこれを十分反省せず、第三次作戦でも戦力を小出しにして壊滅。「霞」は毎度毎度、沈んだ船の救助をやる羽目になりました。「ったく…どんな采配してんのよ…本っ当に迷惑だわ!」「何度言わせんのよ、このクズ!

そして11月、マニラ湾は再び空襲を受けます。この空襲で、一水戦旗艦として回航されてきた「木曾」が大破着底。そのたもろもろも大きな被害を受け、艦隊としての体をなさなくなりました。ここで第十八駆逐隊、第一水雷戦隊は解隊。「霞」は第七駆逐隊へ編入されることになりました(今度、移籍回数をカウントしてみようかな? 「霞」はかなり上位に入りそう)。

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最後の勝利――礼号作戦

艦これブログオレの娘は不沈艦20160207-8

マニラを脱出した「霞」たちが、あらたに根拠地にすることになったのは、リンガ泊地でした。ここは燃料の入手が容易で、訓練にはもってこい。第二水雷戦隊が木村少将のもと再編成され(「矢矧」が来ないので、旗艦は「霞」)、これまでの輸送作戦の教訓をもとにした敵地突入の訓練が行われます。

 

11月、ミンドロ島に上陸するアメリカ軍

11月、ミンドロ島に上陸するアメリカ軍

そして12月、礼号作戦が発令。航空支援なしで、ミンドロ島の敵輸送艦隊を襲撃白という無茶ぶりでした。「霞よ。ガンガン行くわよ。ついてらっしゃい!」

メンバーは、

重巡:足柄(第五艦隊) 軽巡:大淀(南西方面艦隊) 駆逐:、(第二駆逐隊)清霜、朝霜、(第三一戦隊(対潜))榧、杉、樫

の8隻。二水戦の旗艦は転々としており、作戦当時の旗艦は「大淀」でしたが、実際の作戦で旗艦に指名されたのは、木村少将と縁の深い「霞」でした。理由は「所詮、(足柄は)借り物だから」「だって君、僕は駆逐艦乗りだよ?」とのこと。

行きに「清霜」を失うものの、木村少将はそのままフィリピンのサン・ホセ泊地に突入し、奇襲を成功。帰りに「霞」「朝霜」のみで「清霜」乗員の救助を行い、手早く撤退しています。

それほど大きな打撃を与えたわけではありませんが、成算のほぼない作戦を少ない犠牲でキッチリ成功させたのでした。「少しは出来る奴が居るようね…褒めてあげるわ。」

1945年(昭和20年)3月、船団護衛中に沈没した「時雨」の代艦として「霞」は第21駆逐隊に編入(初霜、朝霜、霞)。4月、「大和」を護衛して天一号作戦に参加し、空襲で損傷。「冬月」による処分雷撃により沈没しました。これで朝潮型と21駆逐隊は全滅、駆逐隊は解体されました。まもなく、第二水雷戦隊も解隊。日本海軍はここに潰えたのです。

おわりに

1940年に撮影された、駆逐艦の複縦陣。Mechanisms of Imperial Japanese Navy Warships in 3-D によると、手前の列が満潮、霰、霞、不知火、黒潮

1940年に撮影された、駆逐艦の複縦陣。Mechanisms of Imperial Japanese Navy Warships in 3-D によると、手前の列が満潮、霰、霞、不知火、黒潮

 

長くなりましたが、最後はちょっといいお話(?)で締めましょう。

最後の戦いで、「霞」は米軍艦載機の爆撃を受けます。機械室で炸裂した爆弾は船体に大穴を開け、ボイラーは破裂。煙突は吹き飛び、航行不能になりました。文字通り、刃折れ、矢尽きたのです。

そこへ救出しに来たのが、駆逐艦「冬月」。奇しくも「冬月」の艦長は、直前まで「霞」の艦長を務めていた山名寛雄中佐でした。「霞」の乗員たちは開戦からずっと「霞」と共に戦ってきた者が多く、舞鶴での長期入渠から艦長職にあった山名中佐とは熱いきずなで結ばれていたようです。

「霞」の乗員は「山名艦長が来た!」と口々に叫び、横付けされた「冬月」へ映っていったそうです。最後まで戦い抜きやれることはすべてやったと、まるで凱旋将軍のように胸を張りながら。また、「霞」は満身創痍になりながらも、戦闘が終わるまで沈みませんでした。まるで、乗員の退艦を見送るかのようですね。

なお、「霞」の退艦時には、松本艦長の命令で一円札がざっと三万枚ほど詰まった袋が士官室の金庫から運び出されたのだそう。このお金は、乗員たちの餞別として掴み取りに供されました。まぁ、帳簿上は海の底だしね! 転勤命令を受けた元乗員達は、この餞別を手に互いに健闘を約束し、去っていきましたとさ。ちなみに、士官に対しては一銭も渡されなかったのだそうな。

 

 

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文・ やなぎ ひでとし(33歳、独身♂)

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1980年、大阪府大阪市で爆誕。中学・高校時代は伊賀、大学時代は京都で過ごしたため、あちこちの言葉が混じった怪しい関西弁を操る。
現在は東京・千葉を経て、愛媛・松山に在住。普段はWindowsソフトウェアを専門とするフリーライターと、舞鶴鎮守府サーバーの提督(大将)の二足わらじ。
中国史(とくに春秋戦国時代など)が割りと好物で、好きな人物は漢の光武帝、尊敬するのは管仲・晏嬰。コーエイの『三国志』シリーズではもっぱら馬騰で遊んでいる。日本の武将では武田信玄が好き。

 




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