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新発見の織田信長の文書原本はバカ息子信雄のお手紙とセットだった

更新日:

 

先日、織田信長の文書が発見され、当サイトでも[若き信長の文書の原本が名古屋で見つかる」と報じましたが、名古屋市博物館で展示しているその文書を読者の方が見に行っていただきました。以下は、そのルポです。ありがとうございます。

信長文書

こんにちは、名古屋市在住の千種メイエキ(仮名)と申します。いつもサイトを欠かさずチェックしています。
今回、地元のニュースが載っていてびっくりしました。地元でもほとんど報道されていなかったことなのでありがたかったです。22日まで展示しているということなのでギリですが行ってきました。ちょうど妖怪展というのをやっていて、子供が妖怪ウォッチにはまっているので行きたかったからです。

信長の文書は2階の常設展示の目立つ場所にありました。写真撮影は申し込めばOKなのですがブログとかに載せるのはだめとのことでした。

正式の資料としての名前は「織田信長判物」でした。つまり自筆文書ではなくて印鑑(ここでは花押でした)を押したものということです。驚いたのが、ほぼ同じような内容の「織田信雄判物」という資料もセットで寄贈・展示されていたことです。

内容は、先の記事に書かれていましたが、桶狭間の戦いよりも前の1557年に、信長が熱田神宮の有力な神主、熱田祝師という役職につく田島仲安という人物あてに送ったものです。

訳も、さすが?武将ジャパンさんが訳した内容とほぼ同じでしたが、メモしてきたのでそのまま書きます。

敵味方からの預物や神田・どのような没収地であっても、(貴方に限っては)問題ありません。門外まで使者を立ち入らせたり、竹木の要求や郷質を差し押さえたりしないことを、永久に保証します。

面白いなと思ったのは先に触れましたが、信雄の文書です。

安土城を燃やしたなどバカ息子評価の「高い」織田信雄だが(Wikipediaより)

熱田祝師の進物・神田や敵味方からの預物などは、いかなる没収であっても問題ありません。特に門外まで使者を立ちいらせたり、竹木を要求や郷質の差し押さえを禁止したりすることは、信長文書(*上様御判形)の通り明白なので、先例の通り保証します。

1584年4月4日の文書で、父親が桶狭間の戦いの前だとすると、息子は小牧長久手の戦いのまさにその時に出したものです。その間、25年。

小牧長久手では信雄は家康と同盟を結び、秀吉と対峙していましたが、織田家が熱田神宮とがっちり結ばれていたのだと感じるとても面白い資料と思いました。

つたない内容ですが、レポートでした。

 

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編集部より
千種メイエキさん、ありがとうございました。信雄はその後、敗者になるのに熱田神宮側はよく保存しておきましたね。そういう点でもおっしゃるとおり織田家と熱田神宮の関係の深さが分かりますね。
武将ジャパンでは、読者のみなさんのこのような日本各地の歴史系の展示、イベントなどの投稿をお待ちしています。
送り先は bushoojapan@gmail.com です。

 




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