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ナスカの地上絵(Wikipediaより)

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ナスカの地上絵の謎が解明できないのは古代アンデスの民が異常気象で移住したから?

更新日:

ナスカの地上絵などで知られる南米ペルー。なぜあの地上絵が描かれたのかは諸説ありますが、住んでいる人たちも理由も存在も伝承されておらず謎のまま。ところが、異常気象による移住の繰り返しで「どうして伝承されていないのか」が説明できるようになるかもしれません。もっとも、「どういう意味があるのか」の謎は解けないままですが、「雨ごい説」を補完するかもしれません。

*ナスカ文明(紀元前3世紀頃~紀元後9世紀頃)

*ナスカの地上絵(諸説あるが紀元後7世紀頃との説)

ナスカの地図(Wikipediaより)

ナスカの地上絵→異常気象→アンデス山脈へ移住→異常気象→ナスカへ帰る

ナスカの地上絵(Wikipediaより)

ナスカの地上絵(Wikipediaより)

古代のペルー地方の異常気象が、当時の文明の勢力図に影響を与えていた可能性が出てきているのだそうです。住めなくなった地を放棄し、新たな約束の地を見つけて繁栄していったのではないかとの学説が出ているのですって。

popular-archaeology.comというサイトが報じています(2014年6月14日付け)。

提唱しているのは人類学者のラスフェーレン・シュミッツ氏ら。ペルーのリオ・グランデ・デ・ナスカ(ナスカ文明のあった地)に埋められていた遺体207人のミトコンドリアDNAを採取した所、紀元前840年から西暦1450年ぐらいにかけてのアンデス山脈に住んでいた人達のミトコンドリアDNAと非常に似ている事が明らかになった為です。

つまりコロンブス以前のペルーのアンデス社会で、地域の気候変動が原因で大規模な移住があり、落ち着いた先がナスカやワリ、ティワナコだったのではないかとしています。

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600年間の留守の間に地上絵のことを忘れてしまった?

こうした遺伝子をベイズ統計という手法で調べた所、西暦640年頃にペルー南部の海岸地方にある渓谷からアンデス高地に移動したのだろうと推定できました。恐らく、この頃に気候変動があったのだろうとしています。

その後、西暦1200年にアンデス高地から海岸地方に再度の移住があった可能性があるとしています。この時は高地地方で干魃があったからだとしています。こうした研究から、ペルー南部で遺伝的な均質化が進んだのだろうとの推定が成り立つようになったとの事です。

猿の地上絵(Wikipediaより)

「気候の変動性の影響や、古代の人口統計を分析している研究の大部分は、狩猟社会を対象にしている。しかし、今回我々は、農業社会にも気候変動が複雑な影響与えた事を示せた。考古学上の記録から見る限り、農業への順応が広範囲に渡っていたようだが、海岸と高地のエコシステムが変動しやすく、それが危険値に達したので最終的に人口維持の為に移住をせざるを得なかったのだろう」との事。
なお、詳細は全米科学アカデミーに発表されるそうです。

いわゆるナスカの地上絵については雨乞いをする為に描かれたという説がありますよね(ウィキペディア日本語版より)。それを裏書きする材料になったかもしれない訳ですから、興味深いな。

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