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見つかった遺跡

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インダス文明は海を越えて~2300年前に中東のオマーンにまで影響か

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オマーンのシナウという、内陸に100キロ近く離れた所にある遺跡が、2300年前のインダス文明(パキスタン)の影響を受けていた可能性がある事が発掘によって明らかになりました。

タイムズ・オブ・オマーン紙が報じています(2014年6月10日付け)。

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同国の遺跡文化省が明らかにしました。それによると、鉄鋼の剣と短剣とが合葬された男性の遺体が発掘されたのだそうです。これらはインダス文明の時代に作られたとされている為、この地にまで影響を及ぼしていたのだろうとしています。

見つかった遺跡

見つかった遺跡(タイムズオブオマーンより)

遺跡文化省の発掘考古学研究ディレクターを務めるサルタン・ベンサイフ・アル・バクリ氏は、今回の発見は、2300年前にオマーンにインダス文明の影響があった事を証明するかもしれないと答えており、今後の更なる研究が必要だと話していました。

発掘では地下に小部屋があるのが明らかになりました。埋葬されていたのは50代の男性で、生前使っていた武器も添えられていました。また雄と雌の駱駝も合葬されていたとの事です。どうやら、男性の死後に屠られたらしい。ちなみに、駱駝の墓の壁は石で作られていたのだそうです。

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駱駝と剣とともに埋葬

バクリ氏は、男性と駱駝は別々に埋葬され、死者の右側に駱駝の墓が作られていました。一方、剣の長さは88センチ。幕末の志士らが使った勤王太刀と呼ばれる刀が90センチ前後だそうですから、良い勝負ですね。なお、短剣は2振り見つかっており、それぞれ左右の手首に紐で結びつけられていたとの事です。

外見などの特徴から、長剣と短剣は最初にインダス文明で作られ、その後、周辺諸国に普及していったのだろうと推定されています。その1つがオマーンだったとバクリ氏は話しています。
バクリ氏によると、剣は顔に向き合う形で置かれていました。柄巻の部分には鷲の嘴が掘られた象牙で、部分的に覆われていたそうです。こうした事から、埋葬された男性は部族の族長だったと推定されているのだとか。なお、革製の靴を履き、帽子が頭の近くに置かれ、枕が敷かれていたとの事です。

遺跡文化省では、これらの刀を修復し、今年末に完成予定の国立博物館に展示したい意向です。
今回の発掘はシナウとドゥグム間を結ぶ道路の建設に伴い、確認のために行われています。遺跡文化省と、運輸省の共同調査なのだそうです。

で、実際に発掘する内に、100平方メートル規模の墓地が見つかり、35基の墓が見つかったというのが話の流れ。考古学者によると、別々の時代に埋葬されたと推定されています。1つは紀元前3000年前(原文は300万年前となってますが人類はお猿さんなので)、もう一方は紀元前1000年頃のものなのだとか。墓石の他に陶器や調理器具などが見つかっています。
エライまた古い時代の墓地なんですね〜。だからインターネット版で報じてるんでしょうけど…調査で道路の完成が遅れるかもしれませんね。

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南如水・記

 




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