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ロシア 歴史・戦国NEWS

人類初の宇宙飛行をしたソ連の宇宙船の設計士が92歳で死去

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世界で初めて宇宙に到達したユーリー・ガガーリンを乗せたボストーク号を設計したデザイナーが、92歳で死去したそうです。マレーシア・ダイジェストが報じています(2014年9月19日付け)。

モスクワ発のAFP電を掲載しています。それによると、亡くなられたのはオレグ・ジェニコヴィッチ・イワノフスキーという方でして、18日だったと、ロシア宇宙庁が発表しています。

イワノフスキー氏はOKB−1との暗号名を付けられた、ボストーク号の設計工場で、上席デザイナーをしていました。この宇宙船が、1961年に世界初の有人宇宙衛星となり、ガガーリンともども世界を驚愕させたのでした。

「イワノフスキー氏は、最初の飛行の際、陣頭指揮を取っていた。何しろ、打ち上げ直前にガガーリンと最後に握手したのも、イワノフスキー氏だったし、ハッチを閉める際に手伝ったぐらいだ」(宇宙庁)。

同紙のサイトには写真が無かったので、シンガポールのストレーツ・タイムズのサイトから引用させて頂きます。オレンジ色の宇宙服の横の、青いオーバーオールを着ているのが、生前のイワノフスキー氏です。

本当に、ハッチを閉じる手伝いをしていますね。

2007年に行われたロッシカヤ・ガゼッタとのインタビューで、同氏は「船室に入るのに身をかがめ、彼と抱き合い、握手し、出る際にヘルメットをポンと叩いた。数分後、ハッチを閉じたんだ」と、当時を回想しています。

 

「ハ、ハッチが閉まらないとの表示が」

チーフ・デザイナーとして、打ち上げの瞬間は緊張するもの。分けても、同僚のセルゲイ・コリョロフ氏がハッチのロックが締まらないとの警告エラーが出ていると報告してきた際には、特にそうなった事でしょう。

イワノフスキー氏は32個のボルトを調整し、即座に外さねばならないと悟ります。落ち着かねばならない。そう自分に言い聞かせるように、「祖国は聞き、祖国は知る」という歌を口笛で吹いたそうです。その間、ガガーリンは鏡越しにイワノフスキー氏を見守っていました。

結局、これは管制センターの表示エラー。ハッチには問題は無かったのです。心臓バクバクだったんでしょうね(苦笑)。

こうした経緯があっての打ち上げ。もしガガーリンが意識不明になったり、訳の分からない事をしゃべり始めた場合の秘密の対処法も、技術チームは用意していたそうです。

「それまで7回のボストークによるフライトがあったが、成功したのは3回だけで、しかも地球に戻れたのは2回だった。だから大きなリスクがあったのは言うまでも無い」とイワノフスキー氏。

「しかし、当時の持てる限りの能力と知識を用いて、安全策を講じた」。

その結果が、歴史に残る大成功だったのでした。

イワノフスキー氏はモスクワ生まれで、第二次世界大戦にも従軍。赤の広場での戦勝パレードにも参加しています。これはこれで、1つの歴史ですね。

戦後モスクワ・エネルギー研究所で学び、1957年から宇宙船建造の上席デザイナーとして働き始めます。後には、ソ連の無人月面探査でも辣腕を振るいました。

「途方も無い人だった。人生を科学に捧げ、祖国に尽くして下さった」と、宇宙庁では最大限の哀悼を捧げています。

文字通り、天に召されたのですね。ガガーリンと、涙のハグを今頃しているのでしょうか?

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南如水・記

 




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