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ヒッチコック監修の幻のナチス強制収容所解放ドキュメンタリーが70年目にして初公開

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アルフレッド・ヒッチコックといえば、サスペンス映画の巨匠として知られていますが、第二世界大戦中に連合軍が撮影したナチスの強制収容所の解放の模様を収めたドキュメンタリー映画の監修を勤めていた事もあったのだそうです。

そのドキュメンタリーが、撮影70年目にして初めて正式公開されました。英国のデイリー・ミラーが報じています(2014年9月19日付け)。

 

 余りの惨状に驚愕!

サイトより引用させて頂きます。
撮影したのは英国陸軍の撮影班だったマイク・ルイス軍曹という方だそうです。

当時、ルイス軍曹等は実戦部隊に同行しながら、解放されたばかりの欧州各地をフィルムに収めていたそうです。「英国陸軍が来てくれた!」と歓迎する人には喜びを隠せませんでしたが、一方で戦地の惨状に愕然とする事もあったのだとか。また、撮影中に敵の攻撃を受けるなど、文字通り命がけだったそうです。

中でも、特に驚愕させられたのが、強制収容所を訪れた時でした。大量殺人や拷問その他の悪逆非道に、言葉を失いつつもカメラを必死に回しました。

そして、これを見た人(記事にはありませんが、英陸軍の高官だったのでしょう)が、当時のメディア関係者らに声をかけ、制作委員になって貰います。

メディア王だったシドニー・バーンシュタイン(戦後、民放大手のグラナダTVを創業)や作家で労働党の政治家だったリチャード・クロスマン、そして、アルフレッド・ヒッチコックが、委員会に名を連ねたのです。

 

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名だたる人による制作だったが…お蔵入り

脚本がクロスマン、監督がバーンシュタイン、ヒッチコックは監修役となりました。題名は「ドイツ強制収容所の実態調査」(German Concentration Camps Factual Survey)。

「世界がこの映像が教える所から何も学ばないのなら、夜の帳が下りてこよう。そして神の恩寵により生きてきた我々は、その事を思い知ろう」と、衝撃的な内容を、直接的には表現しないものの、何とか伝えようとしています。

ところが、帳が下りてしまったのは、映画のプロジェクトそのものでした。戦後の政治情勢などが影響し、75分間の作品に編集されたにもかかわらず、1945年にはお蔵入りとなってしまったのでした。

70年目にして世に問うたのは英国フィルム研究所。帝国戦争博物館や、フィルムを当時飛行機で持ち帰ったアンドレ・シンガー氏らの協力を仰ぎながら「夜の帳が下りるだろう」(Night Will Fall)と題名を変えられ公開される事となりました。

現在、英国各地で公開されているそうです。DVDで予告編を見たミラーの記者は、恐ろしさと腹立たしさで、涙無くして見られなかったと書いているほどです。

 

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「生涯忘れる事は出来ないだろう」

もっとも、その思いは当時のルイス軍曹にしても同じでした。ベルゲン・ベルゼン強制収容所を訪れたこう回想しています。「その時見た光景は、それまでの戦場で見た光景のどれよりもショッキングだった。そう、今まで見た事の無い光景だった。見ていて辛かったが、これが収容者の身の上に起きていた事だったのだ。 数百もの遺体が山積みだった。そこら中に死があった。ローン・テニス・コートぐらいの大きさの穴の中に赤ん坊や若者、少女、男性、女性の遺体があった。どのぐらいの深さの穴か、分からないほどだった」

そうした思いを、途切れ途切れに伝えていたそうです。「所内を見ると、瀕死なのに歩いている人がいた。目を明け、間違い無く死んでいる人も。悪臭が漂い、ドンヨリとした空気だった。まるでこの世の終わりのようだった」。

「現実を見てないのだ。これはダミーで、人形なんだろう。そう思ってしまった。ここから引き揚げて良いのかどうか、分からなかったぐらいだ。しかし、生涯忘れる事は出来ないだろう。『ここは別世界なんだ。我々は全く隔絶されていたのだ』。ずっと関わっていたら、そうでも考えない限り、多分全員が発狂していただろうさ」。

傍証となる証言もあります。ソ連赤軍のアレクサンデル・ヴォロンツォフ大佐のそれです。ポーランドに進攻し、マイダネク強制収容所を発見した際に、こう言い残しています。「見た瞬間に、直ちに歩哨を撃ち殺したぐらいだ」。

 

 生き残りの中に、あの「シンドラーのリスト」を制作した人が

ちなみに、ベルゲン・ベルゼン強制収容所で辛くも生き残った人の中には、意外な名前がありました。ブランコ・ラスティグという人物。後に、あの「シンドラーのリスト」を制作した方です。この映画をご覧になられるのでしょうか。

映画は1945年4月にドイツ北部を進軍する英国軍の映像から始まります(ナレーターを務めるのは英国の女優、ヘレナ・ボナム=カーター氏)。進軍時、ベルゲン・ベルゼン強制収容所はSSが管理しており、所長のヨゼフ・クラマーも逃げずにいました。
直ちに捕虜となったのは言うまでもありません。収容者の中からマニア・サリンガーという人が、鉄条網に向かっては知りだし、こう叫んだそうです。「ドイツ軍は出ていったのよ! 英国軍が来てくれたわ!」。

後に、こう回想しています。「忘れる事は決してないわ。兵隊さんたち、こう言ったのよ。『助けるのは我々英国兵士の義務であります』。嬉しかったって言うどころじゃあなかったわよ」。泣き出した女性が、助けようとおんぶした兵士の手にキスをする光景もあったそうです。

処刑された人達の髪は剃られ、ナチスの資材として使われました。靴や衣服、スーツケースなどの日用品も所蔵されていたそうです。

 

 「やらせ」と思われないよう、ヒッチコックが指示も

こうしたドキュメンタリーでありがちな「やらせではないか」との批判を封じるべく、指示を出したのがヒッチコック。「フィルムは長回ししなさい。そうすれば、やらせと誰も言えなくなるから」

また、こうした状況を見て見ぬ振りをしてきたドイツ人に罪の意識を感じさせようと、収容所と住宅街との距離を示す大きな地図を画面に挿入させました。中には1マイルという距離の所に住んでいた人もいたのに、本当に何も知らなかったのかと問いかけたのです。

流石はヒッチコックならではのセンスですね。

 

ドキュメンタリーでは、生き残った収容者が、元の看守につかみかかろうとする場面も収めています。また、収容所には長く滞在したらしく、食事治療などで快方に向かう収容者の様子も撮影しています。良くなる決め手となったのは、新しい服と髪の手入れだったそうです。

では、何故これがお蔵入りとなったのか。英国政府による秘密の横槍があったからでした。

「無気力状態になっているドイツ人を刺激し、励まし、生への興味を持たせる事が、喫緊の政策である。司令部には『極悪な映画は不要だ』との意見をしそうな人で固められている」。

つまり、遠回しに止めろと。

アメリカ側で似た趣旨のプロパガンダ映画が制作されたのも影響したようです。「死の圧搾機」(Death Mills)という題名の、強制収容所の実態を知らせ、ドイツ人を教育するという目的で作られた映画です。しかも、監修したのが、あのビリー・ワイルダー。強力なライバルですね。

それでも一応は試写会っぽいお披露目を行ったのですが、観賞したドイツ人500人の内、気分が悪いと訴えたり、良心の呵責に耐えかねて最後まで見なかった人が75人もいたそうです。色んな意味で、ケチが付きまくった映画になってしまったのですね。

もっとも、フィルムの一部はニュルンベルグ裁判で証拠として使われ、クラマーの死刑判決にも繋がった訳ですから、全く役に立たなかったのではありませんでしたが。

それにしても、色んな意味で今まで公開されなかったのが惜しまれます。戦後のヒッチコックと言えば、「ロープ」のような誤った選民思想に取り憑かれた青年2人や、或いは幼児期の苦い体験が元でおかしな行動をとってしまう「白い恐怖」の主人公など、人間の心理の奥底にある狂気を描いた作品(『サイコ』は、その極限でしょう)が多いのですが、この幻のドキュメンタリーが、本人に何らかの影響を与えた結果かもしれない。そう考えると、映画史にとっても重要な一作なのかも。日本で公開しないのかな。

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