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「寛政3大奇人」高山彦九郎とは?群馬の高山神社が年末に炎上

更新日:

年の瀬の12月30日夜に、群馬県太田市の高山神社が火事で全焼し、ニュースになっています。
幕末の勤王の志士高山彦九郎という人物をまつっている神社です。

地元の方がツイートしています。

報道によると10月にも近くの別の神社が火災にあっており、連続放火の可能性もあるのだとか。もしそうだとしたら許せない所業です。

農民出身ながから偉大な先祖にあこがれて寛政3奇人となるまで

ところで高山彦九郎とはどんな方だったのでしょうか?

吉村昭が小説「彦九郎山河」という小説を書いているように、幕末マニアの間では少々知られた人物です。
奇行が多いことで知られ、なんと通り名が「寛政の三奇人」(ほかの2人は蒲生君平と林子平)です。

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農民だったが先祖を調べていたら新田義貞!足利将軍ゆるさねぇ!墓碑をムチで殴打

高山彦九郎正之は、1747年に上野国新田郡細谷村(現・群馬県太田市細谷)で、地元の農民の次男として生まれました。
13歳の時に、『太平記』を読んでいたら、自分の家の先祖が新田義貞につながることを知り、「足利尊氏にやられなければ俺が将軍だったのに」(超中2訳)と学問の道に進みます。

「大学生」になっても中2ぶりはとまらず、18歳の時には農民だったのに帯刀して、京都に留学しましたが、三条橋の上で京都の御所(皇居)を伏拝したかと思うと、「草莽の臣!高山正之」と絶叫を繰り返して、都会の人たちを驚かせ、そして失笑させました。もんげー。

さらには、足利将軍家の菩提寺の等持院に行って、足利氏累代の墓碑を鞭で打つというとんでもないことをして、有名になっていきます。

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尊皇攘夷のヒーローと持ち上げられるも、実家は一家離散

足利尊氏はご存じの通り、当時の天皇に反逆して南北朝を引き起こした人物ですので、幕末においては不人気でした。それをたたく高山は、ネトウヨならぬ過激な尊皇思想の志士たちから「切り込み隊長」として持ち上げられ、公家の家にも出入りするようになります。

神道界の最高峰である吉田家(吉田兼好の家ですね)からおじいちゃんとおばあちゃんの神号や寿号を下付されるなど、スペシャルな待遇を受けます。もともと、農民だった彼が舞い上がるのも当然といえましょう。

ところが、過激な尊皇思想というのは現代のネトウヨ同様に当時の一般社会にとっては危険思想でありましたので、京都でぶいぶい持ち上げられている一方で、実家は領主の圧力などでなんと一家離散してしまいます。あらあら。

実家がなくなったこともあり、諸国で過激な思想をぶちながら旅してまわりましたが、当然、幕府から目をつけられ追い込まれた高山は、寛政五年(1793)6月27日、九州の久留米で、白昼、切腹して自刃しました。47歳でした。

お墓は、死地の久留米市寺町遍照院にあり、太田市の高山彦九郎宅跡とともに国の指定史跡になっています。

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参考:上毛新聞 国史大辞典

 




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