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ナチスの工業力に大打撃を与えた英国空軍の「ダムバスターズ」とは? その最後の搭乗員が96歳で死去

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第二次世界大戦中、チャスタイズ作戦として知られるナチスの工業生産力などに大打撃を与える任務に従事していた英国空軍第617中隊の最後の搭乗員が死去しました。享年96。

英国のメトロ紙が報じています(2015年8月4日付け)。

サイトより写真を引用させて頂きます。亡くなられたのはレス・ムルノ氏。ニュージーランドのタウランガの病院で亡くなられたと、生前の友人だったロン・メイヒル氏が明らかにしました。

ここで、ウィキペディア日本語版から第617中隊の歴史について引用させて頂きます。

 第二次世界大戦中の1943年3月15日、スキャンプトン空軍基地の第5爆撃機集団(No 5 Bomber Group)に第617中隊が設けられた。 目的はドイツの兵器生産の中心地のルール工業地帯に工業用水や電力を供給するメーネ・ダム、エーデル・ダム、ゾルペ・ダムを破壊することであった。初代指揮官はガイ・ギブソン中佐、すでに殊勲章と空軍殊勲章を受章するほどの実戦経験があった。

中佐は、ドイツのダムを特殊な爆撃法で攻撃する作戦の詳細を知らされずに隊の編制にあたったが、特殊な爆撃を行うために地上要員も含めて、要員には優秀な者を選抜した。(中略)

ダム破壊作戦はチャスタイズ作戦と名付けられ、1943年5月17日に敢行された。中隊は、バーンズ・ウォリス技師が開発した反跳爆弾を使用して成功を収めた。この功により、ガイ・ギブソンにビクトリア十字勲章が授与された。

チャスタイズ作戦の成功を記念し、5月27日に第617中隊のパッチが制定された。破壊されたダムの堰堤から水が溢れ出る情景を描写し、部隊訪問中のキング・ジョージ6世にも承認された。

国王がご視察なさるほど期待されていた訳ですね。大殊勲となったチャスタイズ作戦についても引用させて頂きます。

 チャスタイズ作戦(Operation Chastise)は、第二次世界大戦中の1943年5月17日に実行された(作戦自体は同年3月10日より始まる)、イギリス空軍第617飛行中隊による、ドイツ工業地帯のダムの破壊を目的とした作戦。この作戦には「反跳爆弾」が使用された。作戦後、同中隊は「ダムバスターズ(ダム攻撃隊)」として知られるようになる。

計画はビッカース社のバーンズ・ウォーリス技師が開発した反跳爆弾を使用することで進められた。ウォーリスは航空機の設計士であり、爆撃機の設計によって功績が認められた。ビッカース・ウォーリス爆撃機の開発の傍ら、ダムに対する爆弾の開発に着手する。 研究当初、10トンの爆弾を高度40,000フィート(約12,192m)から投下する予定であったが、当時その重量の爆弾を搭載できる爆撃機はなかった。 さらに、主要なドイツのダムは、魚雷による攻撃を防ぐために魚雷防御網によって守られていた。そこでウォーリスは、ドラム缶型の爆弾が水面を水切りによって飛び跳ねた後にダムに着弾し、水中に沈んでから爆発するようにした。この爆弾の命中精度は高く、テストと多くの作戦会議の後、計画は1942年2月26日に予定された。 爆弾はコードネーム「Upkeep」と呼ばれた。作戦はダムの水位が一番高い5月に予定された。任務は第5爆撃機集団に与えられ、新たに部隊が構成された。当初X中隊と呼ばれ、170以上の戦歴をもつガイ・ギブソン中佐が隊長となり、21人の搭乗員が爆撃機集団から中隊に選ばれた。
標的として、ルール工業地帯のメーネ・ダム、ゾルペ・ダム、エーダーゼー貯水湖を形成するエーデル・ダムが選ばれた。水力発電施設の破壊だけでなく、工業地帯、都市部を流れる運河への影響も重要視された。

(チャスタイズ作戦の攻撃目標となったエーデル・ダム。)

(実際に作戦で使われた反跳爆弾 ダックスフォード王立戦争博物館にて)

中隊はタイプ464臨時改造アブロ ランカスターMk.IIIで構成された。重量を減らすために背部銃塔などの武装は撤去された。 爆弾倉扉は取り外され、爆弾は機体の下部に取り付けられた。爆弾を2本の支柱で取り付け、投下時に補助電動機によって回転させた。

爆弾を上空18mから時速390kmで目標に着弾させるには、熟練した搭乗員、夜間での低空飛行訓練だけでなく2つの技術的問題の解決が必要となった。一つ目は、機体と標的との正確な距離を知ることであった。エーデル・ダムとメーネ・ダムの端には塔があり、その塔と照準装置の角度を調節することにより、爆弾投下のタイミングを知ることに成功した。2つ目の問題は、機体の正確な高度を知るのが、当時の高度計では困難なことであった。そこで、機首と胴体にそれぞれスポットライトを取り付け、2本の光線が機体の下18mで交わるようした。照射光を水面で重なり合わせることによって、機体高度を知ることに成功した。搭乗員はレスターシャー州のEyebrook貯水湖とダービーシャー州上空で訓練を行った。

引用終わり。ジャンプを繰り返しながら目標に命中させる訳ですから、高度な技量と、途轍も無い勇気を必要としたのは言うまでもありません。現代の英国空軍でも低空飛行は行いますが、最低でも250フィート(約76メートル)。ところが、この中隊は上記のように60フィート(18メートル)での突入。しかも、アブロランカスターという大型の爆撃機での突入でした。

生前、そのランカスター機の写真を掲げながら嬉しそうなムルノ氏の様子をサイトから引用させて頂きます。ニュージーランド爆撃司令協会長を務めるメイヒル氏は「とても素晴らしい人物で、その死は言葉で言い尽くせないほど寂しい」と哀悼の意を評しています。

戦後は市議会議員や市長を歴任。「正に公務に生涯を捧げた人生でした」とメイヒル氏。その公正な姿勢は皆に愛されたそうです。

ここ1週間ばかり体調が思わしく無かった中での死。大空を、今度は高々と舞いながら天に旅立たれた訳ですね。合掌。

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