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ギリシャ 歴史・戦国NEWS

世界の7不思議「ロドス島の巨像」がギリシャでよみがえる?!

更新日:

財政破綻によって国民の苦難が続くギリシャですが、少しでも海外からの観光客を呼び込もうと、その昔「世界の7不思議」と称されたロドス島の巨像を再現するプロジェクトが進行中なのだそうです。

グリークレポーターというサイトが報じています(2015年10月28日付け)。

自由の女神に匹敵する大きさだった

例によって、ウィキペディア日本語版から引用させていただきます。

ロドス島の巨像(ロドスとうのきょぞう、Colossus of Rhodes)は、紀元前3世紀頃にリンドスのカレス(英語版)によってエーゲ海南東部のロドス島に建造された、太陽神ヘーリオスをかたどった彫像(コロッソス)。世界の七不思議の一つ。
全長は34メートル。台座まで含めると約50メートルになり、現代のニューヨークの自由の女神像に匹敵する大きさであった。ヘーリオスは同じ太陽神のソルやアポロン(ローマ名アポロ)と混同されたため、アポロの巨像とも呼ばれる。

(中略)

紀元前323年、アレクサンドロス3世が死亡。彼には後継者が存在しなかったため、マケドニア帝国は有力な将軍たちによって分裂し、ディアドコイ戦争に突入した。この戦争において、ロドスはエジプトを領するプトレマイオス1世に協力した。
プトレマイオスの対抗者であるアンティゴノス1世は、紀元前305年、息子のデメトリオスに40,000の軍を率いさせてロドスへ派遣した。城壁で囲まれたロドスの防備は固く、デメトリオスは攻城塔を作って接近しようとした。まず、6隻の船に攻城塔を搭載して送り出したが、嵐のために接近できなかった。デメトリオスは、ヘレポリス(英語版) (Helepolis) と名づけたさらに大型の攻城塔を建設し、これを陸上からロドスへ送り込んだ。しかし、城内から出撃したロドスの守備隊が、城壁に到達する前にヘレポリスを阻止した。紀元前304年、プトレマイオスの派遣した軍隊がロドスに到着、デメトリオスは大いに慌て、急いで軍を引き揚げさせた。あまりにも急な撤収だったため、多くの装備が置き去りにされていた。なお、デメトリオスはロドスの征服には失敗したが、他の都市を多く包囲、陥落させたため、ポリオルケルテス (Poliorcetes、ポリス攻囲者) と呼ばれた。
(中略)
ロドスの人々はこの勝利を祝い、太陽神ヘーリオスへの感謝の証として彫像を作ることとした。建造の指揮はリンドスのカレス(英語版)に任された。彼は20メートルを超えるゼウス像を建造したリュシッポスの弟子だった。また、かつて大彫像の制作に関わったことのあるロードスの住民も協力した。
古代の記述に拠れば、ロドスの巨像は以下のようなものだった。まず、ロドスの港の入り口付近に、高さ15メートル (50フィート)の大理石製の台座を設置した。その台座の上に鉄製の骨組みを作り、さらに薄い青銅板で外装を覆った。外装はデメトリオス軍の遺棄した武器や攻城塔を鋳潰したものが使われた。建造には盛り土の傾斜路を利用し、組み立てが進むにつれて、傾斜路の高さを調節して対応していたと考えられている。彫像自体の高さは34メートル(110フィート)、台座を含めると約50メートルに達した。巨像が完成したのは着工から12年後の紀元前284年であった。

引用終わり。何とも大きな像だったようです。で、ギリシャからデイォニソス・ムポタスというPR業務のお仕事をなさっている方が、スペインの民間エンジニアであるエンリケ・フェルナンデス・メンデンツ氏やマチルダ・パリア氏らとタッグ。更にイタリアからオンブレッタ・イアノーネという建築の専門家と、英国のエラール・デュプイという民間エンジニアが加わるという混成部隊によって再現したろうやないのという話になっているそうです。既に融資も取り付けているそうです。

サイトより写真を引用させて頂きます。これが完成予想図だそうです。

「アントニオ・ガウディは苦労して資金集めをしてサグラダ・ファミリアのプロジェクトを推進しました。我々もそれに倣ったのですが、幸いな事に、テクノロジーの進化によって世界中のひとが参加して下さいました。かくてロドス島のコロッサスは『世界的な』モニュメントとなりましょう」と、ワクワク感たっぷりのPRをしています。
なお、こちらが公式サイト

「ニュースレターも出していますけど、如何なさいますか」と勧誘されてしまったぞ(笑)。

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目指せ150メートル!牛久の大仏様って実はすごい!?

プロジェクトが手始めに行っているのが「ロドス島に建てられていた元の像の場所を購入し、歴史的な価値のリストアをする」事なのだそうです。同時に、関連する史跡に光を当てて観光資源の発掘としたいのだとか。シナジー効果を狙っているわけですね。

YouTubeでプロモーションも展開中です。


「どうせなら」という事なのか、今度はドドーンと150メートルにしようぜという話になっているらしい。像の近くには文化センターや図書館も併設し、地元の歴史を紹介する予定だそうです。また、像の表面にはソーラー・パネル機能を付けて電気を賄うという、いかにも今風な取り組みもしています。

牛久の大仏様が120メートルですから、完成の暁にはギネス認定を取り消されるかも。危うし!

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