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イギリス 歴史・戦国NEWS

第一次世界大戦の西部戦線に40万人以上のイスラム教徒が英国陸軍で奮闘した史実が消されていた

更新日:

100年前の第一次世界大戦で、英国陸軍の兵士として、当時植民地だったパキスタンから40万人もの兵士が西部戦線で勇敢に活躍していた事は、この武将ジャパンの読者の皆様にしても初耳だろうと思えます。

それもそのはず、英国では忘れ去られていた事実だったのですが、在住のイスラム教徒らが「自分達と英国の繋がりを再確認しよう」と紹介しているのですって。

バーミンガムメールが報じています(2015年10月24日付け)。

歴史書からも削除されていた

サイトより写真を引用させて頂きます。ガスマスクを装着していますね。

このように塹壕で奮闘しながら、歴史書からは何故か削除されていたのだそうです。その為、多くの英国人にも知られていなくなっていました。
実際、英国のブリティッシュ・フューチャーというシンクタンクが行った世論調査でも、こうした兵士の存在を知っていたのは全体の22%に留まっていたそうです。そこで、全英で行われた「知られざる、語られざる歴史ーイスラム教徒の第一次世界大戦に果たした貢献」というプロジェクトに参加し人種間の融合を目指そうとするシンクタンクのプロジェクト・コーディネイターを務めるアヴァエス・モハメッドさんが、バーミンガムの小学生児童らに、当時の英国がインドを植民地にしていた事や、その支配していた地域には今のパキスタンも含まれていた事、そしてパキスタン出身のイスラム教徒の兵士が、大変勇敢に戦った事などを教えました。
こうした歴史的事実を教えるにあたっては、ローゼルズという街でイスラム教徒向けに歴史の授業を行っているヤハン・マフムッド氏や、キングスタンディングという街の非イスラム教信者団体などの協力を仰いだそうです。

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こうした貢献を忘れてはならない

プロジェクトでは、「こうしたイスラム教徒の兵士による貢献を忘れるべきではない。記憶に留める事こそが現代にとって重要なのだ」と意義を説きます。そのような意義に共鳴したニュー・ホライゾンズ・イン・ブリティッシュ・イスラムという団体も協力を申し出て、地元の宝くじ財団から融資の取り付けに成功しています。

「約50万人近い男たちがインドからやってきて、戦争に参加したのです。他の植民地の、どこよりも多かったのです。西部戦線の塹壕で、ドイツ軍が突進して来る中を軍の中核として戦っていました」とアヴァエスさん。

「彼らの献身を忘れるべきではありません。記憶に留める事こそが現代にとって重要なのです。哀悼は、社会に一体感を与える意味でも良いと思います。地域への帰属感を作り出し、若い人たちに関心を与えるでしょう」

サイトより写真を引用させていただきます。戦闘中もお祈りは欠かさなかったのですね。

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総勢130万人。ヒンズー教徒らと共に戦う

開戦時に派遣された兵士の総勢は130万人。シーク教徒が10万人。ヒンズー教徒が80万人もいました。残りがイスラム教徒だったのですね。
戦死者は6万2060人にも及びました。あの有名なソンムやイープルなどの激戦にも加わりました。勇敢ではあったものの、無益な死を重ね、ヌーヴ・シャベルという地に眠っているそうです。
また、トルコのガリポリでは1000人以上が戦死。メソポタミアでは70万人以上が動員されていたそうですから、縦横無尽の戦いをしていた事になりましょう。

夏服で冷たい塹壕戦を余儀なくされ

何の手違いなのか、与えられた軍服は熱帯で使われる防暑服。早い話が夏服なのですが、何故かこの服装で冷たい塹壕で戦わされたのだそうです。

「多くの兵士にとって、渡英は初めてでした。気候や地形は完全に違っていましたし、雨は多いというのに防暑服だったのです。欧州で戦う準備が出来てなかったのですね。飛行機やマシンガンが大量に使われる初めての戦争となっていました」(アヴァエスさん)。
見るもの聞くもの珍しい事ばかりで、ある兵士は飛行機を見て「ドラゴンのような音を出す」と故郷に手紙を書いたり、「蛇のような兵器がある」と記録した兵士もいたそうです。ドイツ軍のUボートを見て、そう思ったらしい。

なお、塹壕に打ち込まれる砲弾は「さながらモンスーンの時期の雨のようだ」と、肉親に宛てた手紙に書き記していた兵士もいたのですって。

特に、次のような描写には戦慄させられます。

「大地には、そこら中に遺体が転がっている。まるで収穫期に束ねられたトウモロコシのようだ」

勇戦にビクトリア勲章を授与される兵士も

勇敢な戦いぶりを賞賛され、8人の兵士がビクトリア勲章を受賞しています。中でも、その1人は特筆すべき活躍をしたそうです。

サイトより写真を引用させて頂きます。

第129コンノート・バルーチ族連隊所属のクァダッダッド・カーンという男性で、1914年10月31日のイープルの戦いで、たった一人でドイツ軍の襲来に持ちこたえたのです。

新たに投入されたばかりの連隊には、重大な任務を担わされました。敵陣に突進して、ブローニュとニューポールという港を確保せよと命令が下ったのです。

当然、激戦となり、大勢の死者が出ました。バルーチ族連隊所属の2つの部隊がホレベーケという地区の村でドイツ軍の主力部隊と遭遇してしまったからです。

クァダッダッドは重機関銃を応射しながら、敵軍を食い止めようとします。気が付けば自分1人だけが最後まで残っていたそうです。無傷ではありませんでした。仲間の部隊が見つけた時は重傷を負っていました。ただ、余りの損失にドイツ軍は撤退を余儀無くされ、その後、兵士が補充されるまでは攻めて来なかったそうです。

その後、負傷から回復し、帰郷。独立を見届け、1971年まで生きました。

アヴァエスさんは「最初にビクトリア勲章を与えられたイスラム教徒となりました。それはイスラム教徒が英国と繋がり、貢献し、勇気を認められた最初の事例となったのです」と解説します。戦場で仲間が倒れたら、決して見捨てずに連れ帰るという行為を当たり前のようにやってのけたのも、こうしたパキスタンの兵士でした。「それがイスラムの文化だったからです。埋葬せずして去ってはいけないのですよ」。
埋め合わせとしてではなく、英国の将軍は立派な兵士として見なしていたそうです。

こうした勇気は、世代を超えて称えていかねばなりますまい。なお、児童らは今後、そうした兵士の子孫にインタビューしていくそうです。果たしてどんな話が出てくるのでしょうか?

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