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文京区の「切支丹屋敷跡」から宣教師シドッティの人骨出土! 和服帯刀姿で来日したイタリア人

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博学の新井白石を驚嘆させたシドッティ

東京都文京区は4日、同区の小日向にある「切支丹屋敷跡」から人骨が発掘され、当時、ここに幽閉されて亡くなったイタリア人宣教師ジョバンニ・バッティスタ・シドッティ(1668~1714年)のものである可能性が高いと発表した。

シドッティは、儒学者や政治家として名高い新井白石の尋問を受けて逆に白石を驚嘆させ、その後白石がまとめた『西洋紀聞』や『采覧異言(さいらんいげん)』に多大な影響を与えたことで知られている。

 

文京区によると、2014年に行われた発掘調査で屋敷跡の墓の遺構から3体の人骨を発見。国立科学博物館などがDNA分析を行ったところ、そのうちの1体がイタリア人のシドッティである可能性が高いと判明した。

シドッティは、シチリア島パレルモ出身の司祭で、1668年に貴族の第三子として生誕。その後はローマ教皇庁の法律顧問になるなど順調な活動を行っていたが、1703年、教皇クレメンテ11世の命により欧州から船で出航すると、マニラなどを経て1708年、大隅国の屋久島に到着した。

到着したときには「和服帯刀」姿だったといい、キリスト教布教のため友好的な姿勢を表明していたが、ただちに捕らえられて長崎へ送られ、その後は小石川の切支丹屋敷で4回にわたり新井白石の尋問を受けていた。

このとき「宣教師」として来日したことが発覚し、屋敷に幽閉され、後に番人として働いていた夫婦に洗礼を受けさせたことが発覚してしまい、1714年、地下牢に移されるとそのまま病気で亡くなった。

シドッティは、新井白石にキリシタン侵略説の誤解を解き、さらには博学で知られていた白石を驚嘆させる知識や人格などで感動・尊敬させたという。

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【参考】東京都文京区 国史大辞典

 



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