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ドイツ 歴史・戦国NEWS

全世界を騒がせているパナマのモサック・フォンセカ創業者は、元ナチス武装親衛隊員の息子だった!(前編)

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パナマ発のリーク文書が全世界を騒がせていますね。入手し、報道をリードしたのが南ドイツ新聞だったのは皆様も御存知でしょうが、実はもう1つ、この問題とドイツとは縁があるのです。

くだんのモサック・フォンセンカの創業者の父親は、ナチスの武装親衛隊員だったのです。つまり、ドイツ人。「へー」って感じでしょ?

スペインのエル・ムンド紙などが報じています(2016年4月10日付け)。

 

小柄ながら、向こう傷の迫力ある曹長だった

エアハルト・ギュンター・モサック

サイトから引用させて頂きます。前列右側の人物が、創業者の父親のエアハルト・ギュンター・モサックなのだそうです。

身長は176センチと、ドイツ人からすれば低いものの、向こう傷があったせいか迫力があったのですって。ナチス親衛隊員の取り決めに従い、左腕の下に血液型を示すタトゥーも入れていました。

モサックは1924年4月16日、グリューブ・エリッカという街で生まれました。

1935年にヒトラー・ユーゲントに入団。ドレスデンの工業高校で学んだ後、カメラ会社のツァイス・イコンに見習い入社します。その後、1940年にUターン就職し、鉱山会社で働きます。やがて1942年11月に武装親衛隊に入隊。第3SS装甲師団に配属されます。別名トーテンコップ師団と呼ばれています。第二次世界大戦に詳しい人なら、あの有名なクルスク戦に参加した師団だと思い出される事でしょう。

同紙は師団での階級に触れていませんが、英国のデイリー・メールによると曹長だったとの事ですから、下士官ですね。むしろ、年齢の事を考えれば出世していた方で、きっと有能な人だったのでしょう。

師団はロシアのデミャンスクでの激戦で80%の損耗を蒙ったとされています。そんな中で生き残ったのですから、運が良かったのでしょうね。

 

その後、本人はチェコスロバキアやフィンランド、ノルウェーなどに駐屯。1945年3月にアメリカ軍の捕虜になります。なお、この時にFBIの尋問を受け、その記録がオンライン上で閲覧出来るようになっています

戦後の1945年12月、エアハルトは仲間7人ともどもフランスのル・アーヴルにあった捕虜収容所からトラックを盗み出して脱走。600キロ離れたケルンに赴きます。「意志が強固だったが政治教育は余り受けていなかった。典型的なヒトラー・ユーゲントの青年だった」と、1946年12月4日の日付があるFBI文書には書かれています。この文書は全部で20ページあるのですが、エアハルトが情報提供者として働きたいと申し出たと書かれています。アメリカ側は乗り気では無かったそうです。「元ナチスで、その後共産主義者に転向した地下組織と関係があったが、抜け出したがっており、その為に申し出たのだろう」と推測しています。

なお、エル・ムンド紙では、アメリカ国内に残るエアハルト関連の文書を入手・掲載しています。下記の左1つがCIAのものでして、1963年に本人がアメリカ軍の諜報機関と接触した事を示すものだそうです。右2つがFBIの文書。1946年11月の日付があります。

エアハルト関連の文書

私生活では、ルイザ・ヘルツォークという女性と恋に落ちます。寡婦で、ホルストという子供がいました。このホルスト氏は今も健在でして、今回の文書発覚を受けて英国のデイリー・メールのインタビューに応じています(それが上記のリンク先の記事となるのです)。

なお、南ドイツ新聞では戦後のアメリカ諜報機関の文書も入手しています。それによると、エアハルトはカトリックの超保守系新聞社の編集者として働く一方で、連合軍側向けに情報収集にも当たり、二足のわらじで生計を建てていたのですって。

やがて結婚。1948年にロルフ・ディーテル・ユルゲン・モサックという息子がババリアのフルスで生まれます。このユルゲン・モサックが、モサック・フォンセンカを創業したのでした。

 

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父親は、戦後「ドイツ人のエンジニア」として…

さて、1960年に家族はパナマに移住します。そして、父親のエアハルトは、何とアメリカのスパイとしてパナマ社会でひっそりと生きていきます。

表向きはルフトハンザの現地法人で働いていましたが、一方でCIAのスパイとしても暗躍しました.活動範囲は当時の西ドイツのフランクフルトやチリのサンチアゴ、そしてキューバなど多岐に渡ったそうです。

住まいとしたのは、パナマのアルトス・デル・ゴルフという政治家や外交官らが住む高級住宅街。東京で言うと白金みたいな所のようです。あの有名なノリエガ将軍も、ここに住んでいました。

ドイツ人、チュートン、ナチなどのニックネームを複数持っていました。ナチに向こう傷とあれば、迫力があったんだろうなぁ。なお、タトゥーは極力隠したがったとの事です。

 

一方、息子のユルゲンは、父親の過去を隠そうと試みました。ユルゲンの2人の娘さん(ニコールさんとアンドレアさん)によると、エアハルトが武装親衛隊員だった事などには触れようとしなかったそうです。これらが奏功したのか、周囲のパナマ人からは「ドイツ生まれのエンジニア」と思われていました。

ユルゲンはパナマのサンタ・マリア・ラ・アンティグアという私立大学で法律を学びます。その後、ロンドンに渡り、弁護士としてグローバル・ファイナンスを学びます。

そして1977年にパナマに舞い戻り、ユルゲン・モサック法律事務所を開業。当初は法人や海事法、バンキングや海外の投資トラストを扱っていました。ほどなく、パナマの成金として、頭角を現していきます…。

(後編に続く)

 

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