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週刊武春 織田家

“給食”こそ最強の戦略!織田信長が合戦に強かった一番の理由とは?

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戦国時代の天才と言えば、一般的には織田信長が筆頭に挙げられるであろう。

今川義元を桶狭間の戦いで倒し、武田信玄や上杉謙信からの猛攻に耐え(実際には直接ガチで激突してないが…)、柴田勝家、羽柴秀吉、明智光秀、丹羽長秀などを多方面に展開し、日本を席巻したのだから、そりゃあ、誰しも『信長こそ最強かつ天才なり』と結論となろう。

だからこそ我々は勘違いしがちだ。信長は、最新技術や武器を用いて圧倒的兵力を持てた、と。
これはおそらく「3千丁もの鉄砲で三段撃ちをした」という誤った俗説が、世間を間違った方向へ誘導しているのだろう。

たしかに信長は戦争において、かなり革新的なことを実行した。しかし、それは鉄砲や鉄甲船などの武器・技術ではない。
給食だ。

「メシがなぜ戦争の話と直結するのか?」

兵站を軽んじる歴史マンガやドラマの影響だろうか(そもそもそれを描いても面白くない)。世間には戦時の食事の大切さが語られることは少ない。
そこで皆さん、上記のような勘違いをしがちであるが、実は信長の用いた給食制度は、かなり画期的なのである。

というのも戦国時代、合戦に出向く兵士たちは、メシを自分で用意せねばならなかった。これは、ぶっちゃけ痛い。なぜならこの時代は天候が悪く、飢餓の時代だったため、そもそも食うものがないのである。

そんな状況なのに、一家の働き手が大事な食料を持って、戦争に駆り出されてしまっては、国を支える多数の農家たちも困るだけ。農期の忙しいときには、必ず地元へ戻ってこなければならないし、雪が深い時期にも動けない。なんせ、遠くでジックリ構えることができないのだから。

しかし信長の軍団だけは違った。メシを配給制にしていたため、大量の兵士たちを長期間確保することができた。飢餓でメシが食えなくなった連中も信長のもとで働けば、とりあえず腹いっぱいにはなれるのである。
しかも、当時の戦争は毎度毎度、足軽たちがガチで皆殺しになるような展開は少なく、鉄砲で一発ズドンと撃たれない限り、生き残る確率の方が高かった。

そんな状況であるから、メシに釣られて参加する兵士もおり、いきおい大量の兵力が確保できるようになり、それで相手を圧倒できる。遠回りのようでいて、実は最強の作戦だったのかもしれない。

ならば他の大名たちもやればよかったじゃないか? そのツッコミのとおり、実際、北条氏なども同じことを試みている。ただし、

「給食をやるから、おまえら戦争に参加せよ!」
「えっ、ウソだべ? オラ、遠い戦地で餓死なんかしたくねぇ」
と、北条氏については、失敗したそうだ。

長篠の戦いや桶狭間の戦いなど。現在まで伝わっている信長の逸話は大半が作り話であるが、給食がヒット作だったのだけは間違いない。

 

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