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週刊武春 武田・上杉家

from 上杉謙信 to 武田信玄 マジで敵に塩を送っていた!?

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武田信玄は今川義元亡き後、それまでの同盟を破棄して駿河へ攻め込んだ。
武田信繁や山本勘助、古くは板垣信方などの部下を失うなど、多大な犠牲を払って北信濃を制覇したが、そこからの北上、つまり上杉謙信のいる越後攻めはさすがに無理と判断したのである。

ただし、駿河への南下政策を進めたときには、嫡男の義信が猛反発、結果、その長男を切腹に追い込むというお家最大の不幸にも陥っている。
義信が反対したのは、彼の嫁さんが今川義元の娘だったからである。ヘタをすれば、武田家は危うく実父・信虎に続き信玄も二代続けて父追放という憂き目に遭う所だったかもしれない。
武田家が領土拡大を続けるには、そんなリスクを押し通してでも駿河へ攻めなければならなかった。

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塩がなければ信玄の“馬”も動けまい

もちろん今川の心中は穏やかではない。
即座に甲斐・信濃への物資や塩の輸出を禁じた。

『塩がなければ、クソ信玄も、ヤツの“馬”も動けまい、ニヤニヤ(´◔◞౪◟◔)』

塩を必要とするのは実は人間だけではない。馬も大量消費するのである。
というのも馬は他の動物よりも汗っかきなため、少し運動すれば汗に含まれた塩分が外に出てしまい、その補給のための塩が必要となる。これでは武田家名物の騎馬軍団もボロボロ。当然ながら合戦もできずに滅亡である。

そこで颯爽と現れたのが、ライバルである上杉謙信!

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マジで塩を送っていた?

『敵に塩を送る』とは、実際に越後から信濃・甲斐へ塩が運ばれたことからきた言葉なのである。マジだったとは、ちょいとビックリ!
と、思ったらコレには但し書きがついており、決して我々が妄想しがちな美談ではなかった。

今川や北条では国として塩流通を禁じたが、越後ではその措置を取らなかった。ただそれだけのことだったのだ。
そもそも、信玄もバカではないので、大切な塩分確保のアテもなく駿河へ侵攻するワケがなく、このときは同盟を組んだ織田信長から塩流通の担保をとっていた。さすが腹黒いというか、計算高いというか。

でも、そういう黒い信玄が大好き♪ かくして風林火山の旗は今も人心にたなびくのである。

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文・川和二十六

 




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