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週刊武春 江戸時代 欧州

江戸時代の鎖国は強欲なオランダ人に仕組まれた罠だった!?

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皆さんは、江戸時代の鎖国がなぜ導入されたかご存知ですか?

普通、歴史の授業では『キリシタンを根絶するため』と教えられますよね。

1637年に起きた島原の乱で3万人ものキリシタンや農民が参加したのが決定打となり、慌てた幕府が1639年にポルトガル船の来航を禁止する命令を出した。
ついでに、キリストの看板を踏ませる踏み絵とかもやっちゃって、宗教も変えさせて、1億総封建時代!みたいな。

踏まれすぎて少し摩耗してる?それとも単に古いだけ?/wikipediaより

踏まれすぎて少し摩耗してる?それとも単に古いだけ?/wikipediaより

これが一般的に学校で習う内容でしょう。

しかしコレ、かなり事実が歪曲されております。

 

そもそも「鎖国令」という法律は存在しない 

もちろん島原の乱などの出来事は史実でありますが、そもそも鎖国令は「鎖国令」という名前の法律があるわけではなく、「日本人の海外渡航禁止」とか「ポルトガル船の入港禁止」など段階的に別の法律が5回出されたもので、なにもキリスト教のみを警戒したのではありません。

実際、オランダ人と中国人は出島で貿易をしておりました。もし、ポルトガル人による布教活動がアウトならば、彼らとも出島限定で付き合いを続けていればよかったのです。

なのになぜか、欧米諸国とは、オランダとしか付き合いがない。
これ、冷静に考えたら不自然だと思いません? なんでオランダ人ならOKなの? 他の欧米人はダメなの?と。

始めに結論だけ申します。

実はこの鎖国、東南アジア圏での商売を企んでいたオランダ人の罠だったのです。一言で言うなら、幕府はハメられたんすな。

場所が限定されるなら、どこの国と交易してもいいはず/wikipediaより

場所が限定されるなら、どこの国と交易してもいいはず/wikipediaより

 

ではオランダはなぜ幕府をハメたのか?

それにはまず、当時のアジア貿易事情をご説明せねばなりません。

 

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ポルトガルと日本の利権を狙ったオランダ

1543年に種子島へ漂着し、鉄砲を伝えたとされるポルトガル人たちは、1549年にキリスト教を日本に伝えると、それ以降アジアでの交易はマカオ-日本間を主軸に置いておりました。
一方、日本人たちは、こうしたポルトガル船との交易を進めながら、自分たちも朱印船貿易を展開し、アジア各地に拠点を押さえておりました。

最も有名なのが、山田長政が築いたシャム(現在のタイ)の日本人町でしょう。
この頃のジャパニーズはクローズカントリーどころか積極的にオーバーシーへGO!するルー大柴だったのです。そのまま海外展開していたら、もしかしたら今頃は英語やスペイン語がペラペラだったかもしれませんね。

ともかくポルトガルがマカオと日本を結び、日本は独自の朱印船貿易でアジア各地に拠点を持っておりました。

そこへ割って入ろうとしたのがオランダだったのです。

互いを見物し合う出島の日本人とオランダ人/wikipediaより

互いを見物し合う出島の日本人とオランダ人/wikipediaより

東インド株式会社で知られるオランダですが、当時はさほどの勢力もなく、アジア交易圏に割って入るには、どうしてもポルトガルが邪魔であり、また日本が各地に開いた朱印船貿易の拠点も邪魔者でした。

ポルトガルと日本をアジア圏から追い出しちゃえ!

彼らの利益とは、まさにポルトガルと日本の不利益であり、これを敢行するには「日本を鎖国にすること」が最高の一手だったのです。

でも、どうすれば?

いくら幕末の徳川政権が情けない最後だったとはいえ、この当時はまだ家康~秀忠~家光と、イカつい武将たちの時代です。
仮にオランダ人が妙な画策をして、それがバレたら首をバッサリいっても不思議じゃありません。当時はまだイケイケ武断政治が続いておりました。

 

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オランダの最終兵器はザ・チクリ!

絵・くらたにゆきこ

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では、オランダ人たちはどうしたのかというと、結論から言えば日々のチクリ、つまり将軍家光の耳元で「ポルトガル人は危ないYO!私達だったら安全だYO!」と囁きかけたのです。

まぁ、実際には家老なんかに書状で伝え、将軍家を脅したのでしょう。そして、オランダ人の密告には、残念ながら多少の論拠も見られたのです。

まず第一に、ポルトガルとスペインと違い、オランダには「布教活動の意志」はありませんでした。宣教師を送り込んで市民を洗脳し、国を盗る両国と違い、カネに直結する貿易を望んでいたのだから当然のことでしょう。

第二に、この頃、日本人がタイでスペイン人に襲撃される事件がありました。「スペイン人はポルトガル人と同類だから危険だYO」とオランダ人が密告した記録も残っております。

第三に、これが極めつけなのですが、なんとポルトガル人は、日本人を奴隷売買していたのです。マカオと日本を結ぶ交易の中に奴隷が入っていたのですから、もうシャレになりません。

ただしこれは、ポルトガル人だけが悪いのではなく、当時は日本人自身が戦争で襲った村などから人をさらってきては、売り飛ばすのも、ごくごく普通のことでした。皆さんの大好きな武将や大名さんたちも、涼しい顔して人を売買してたんすな((((;゚Д゚))))
※参考資料『雑兵たちの戦場』(著・藤木久志/朝日新聞出版)

九州に近い地域では、積極的に海外へも売られており、ポルトガルでは、これを禁止したり黙認したりと、なんだかんだで甘い汁を吸っていたので、まずは秀吉の怒りを買います。

秀吉も、それまで平気で人心売買していたくせに、戦国末期から国が治まり始めると「奴隷売買もってのほか!」と態度を急変させたのです。

もうね、ポルトガル人はビックリでしたでしょうね。

ただ、彼らも後ろめたさは1000%ありました。そもそも連中は、人身売買だけではなく、日本国内にキリスト信者を増やし、あわよくば国全体を侵略してやろうという魂胆だったのですから。

 

エゲレスのアホ共はポルトガル王室と結婚してますぞ 

そこへ1637年の島原の乱がズドン!

これ幸いにと、オランダは幕府へポルトガル排斥を訴えかけ、見事、日本はそれに応じるのです。

ただし、ここで一点ご注意を。この時代に5回出された鎖国令の内容は、国を閉ざすコトではございませんでした。主に、ポルトガル人の来航と、日本人の海外渡航(出国と帰国)を禁じただけであって、もし、他の国が来たら交渉次第では交易もなり得たのです。

実際、1672年にイギリスの船が日本にやってきたことがありました。
しかし、オランダ人が事前に「もうすぐエゲレスのアホ共が来ますがね、あいつらポルトガルの王室とケコーンしてるような連中ですぞ。気をつけてくだされ」と幕府に密告したのが効いちゃったのか、日本はイギリス船を追い返してしまいます。

少しお堅い話になりますが、最近の学会では、そもそも「鎖国なんてなかったよね、ぷぎゃー」という論調になっておるそうです。

鎖国令といのはあくまで通称であり、この語句自体がなんと「誤訳」というのです。

どういうことかと言いますと、「鎖国」という言葉が初めて見えるのはドイツ語の原書で「日本国において自国民の出国、外国人の入国を禁じる」→英語「KEEP IT SHUT」→日本語「国を鎖(とざ)す」とやっちゃたんですな。

たしかに日本人の海外渡航を禁じる法律(これが鎖国令の一つ)が出されておりますが、「国を閉ざす」という消極的なものではなく、江戸幕府が主体的に交易相手の国を選んだ、という評価になっております。

ゆえに、イギリスとの国交の可能性もあったわけで、もし、これが成立していたら、我々の歴史の授業も大きく変わっていたでしょう。

オランダ人に本当に騙されたのか?それとも騙されたフリなのかい、家光さん・・・

オランダ人に本当に騙されたのか?それとも騙されたフリなのかい、家光さん・・・

何はともあれ、日本が撤退した朱印船貿易の地には、オランダがまんまと商館を建て、その間にもヤツらはポルトガルの商船を襲っては、その物資を転売し、利益を貪ったワケであります。

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ほんと世界中を植民地化した欧米人は業が深いですな。

 

 




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