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ソ連に嫉妬まるだしのアメリカの新聞。冷戦なってもう若い人は知らんでしょうが

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週刊武春 ロシア

おそロシアに暗殺された説もあった人類初の宇宙飛行士ガガーリンの死の真相、45年目にして決着!

更新日:

ユーリー・ガガーリンと言えば、人類初の宇宙飛行に成功したソ連の空軍大佐。1961年4月12日の事でした。当時の報道を見ると、世界が文字通り仰天した事が分かります。実際、新聞事業を研究するアメリカのコロムビア・ジャーナリズム・レビューというサイトに掲載された2013年4月12日付けの記事を見ると、このような報道ぶりでした。

あのニューヨーク・タイムズが、紙面を一杯一杯使って見出しを載せています(同紙は、よほどの大ニュースでない限り、このようなレイアウトをしません)。

「地球は丸かった」と一面で報じるニューヨークタイムス

一面で宇宙飛行の成功を報じるニューヨークタイムス

 

特に、こちらのオハイオ州で発行するハンツビル・タイムズの1面には、「’So Close,Yet So Far’Sighs Cope=実現間近だけど、まだ無理だ」と溜息つくケープ(当時のアメリカの宇宙基地関係者)の記事が左に掲載されています。口惜しさがありありって感じです。

 

ソ連に嫉妬まるだしのアメリカの新聞。冷戦なってもう若い人は知らんでしょうが

ソ連に嫉妬まるだしのアメリカの新聞。冷戦なってもう若い人は知らんでしょうが

暗殺説、UFO衝突説、植物人間説まで

 その成功が衝撃的なら、最期もまた衝撃的でした。1968年3月27日、飛行訓練中に事故死してしまうのです。しかし、ここからが本人と遺族にとっては迷惑の始まり。曰く。「宇宙飛行後、ソ連の動く宣伝塔として世界中を行脚し、来日した事もあるガガーリンは、西側の様子を知るに連れて自国の体制に疑問を持ち始めた。その事に気づいたKGB(ソ連の諜報機関)が監視下に置き、最期には暗殺してしまったのだ」と。

ソ連が情報統制を敷いた為に、色々と尾鰭が付いてしまった感はあるものの(本当は生きているが植物人間状態だのというバージョンまであるそうです)、このほどようやく、そうした論争に終止符が打たれました。

事故死だったそうです。

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当時の同僚が20年も追及

決着を付けたのは、アレクセイ・レオーノフ氏。ガガーリンに遅れる事4年後、世界で最初に宇宙遊泳をした人でもあります。この人が、事故当時の詳細な状況を明らかにしています。

赤き軌道{Red Orbit}という宇宙関連の情報を載せるサイトに、詳細が掲載されていましたので、紹介してみましょう。

レオーノフ氏自身も、陰謀論が飛び交う事に我慢がならなかった一人でした。ガガーリンの事故死から程なくして起ち上がった、国による調査委員会のメンバーに加わっていただけに、「せめて御家族には真相を伝えたい」との思いが強く、ソ連崩壊後も20年近く追及してきたそうです。

そのレオーノフ氏によると、事故には暗殺といった事件性はありませんでした。当時、ガガーリンはウラジミール・セリョーギン教官と共にミグ15UTIという練習機に搭乗。近くを飛んでいた物体を回避しようとして錐揉み状態になり、地上に激突してしまったというのが真相だとしています。つまり、ヒューマン・エラーによる事故死だったという訳です。

となると、その物体というのが気になるところ。レオーノフ氏によるとスホーイ15という戦闘機。当時、雲の中を超音速で飛び、気が付けばガガーリンらの飛行機に近づき過ぎていたというのが、解禁された機密文書の再分析などから明らかになったとしています。

同氏自身は、その日はガガーリンが配属されていた基地で落下傘降下の訓練をやる予定でした。最初は雪がちらつき、やがて雨になり、風が強くなるという天候だった事を覚えているとの事です。本人にしたら、中止という公式の告知が待ちどおしかったのだとか。

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 巨星ガガーリン墜つ!

ところが、そこへ爆発と衝撃音が。ただならぬ事が起きたと察知しました。ガガーリンの墜落だったのです。

スホーイ15戦闘機(Wikipediaより)

スホーイ15戦闘機(Wikipediaより)

レオーノフ氏らは、当日にスホーイ15の試験飛行があるとは聞かされていましたが、高度は1万メートルぐらいだと思っていました。ところが、実際には450メートルから500メートルの高さ。しかもそれが、アフターバーナーをきかせながらガガーリンの訓練機に接近していました。これを回避しようとして、事故が起きてしまったのでした。

「俺が最後の希望だ」(仮面ライダーウイザード)とはならず…

爆発音を聴いたレオーノフ氏は、最悪の予測をしますが、それが当たってしまいました。何者かがチカロフスキー空軍基地を呼びだしながら、ノボセレボ村の近くに飛行機が落ちたと知らせていたのです。

ロシアの声という報道サイトの記事(2013年6月14日付け)によると、ガガーリンが最期に残した言葉は「こちらコードネーム645。任務完了。帰投する」だったそうです。高度4200フィート。その55秒後に地上に激突しました。

こういう事故にはありがちなのでしょうが、一旦は希望を持たせるような状況でした。事故機の残骸からはセリョーギン教官の遺体が出てきたものの、ガガーリンの遺体は無かったからです。この為、捜査に当たった関係者らは、ガガーリンは無事脱出し、どこかに着陸したのだと信じてしまったのでした。

しかし、24時間後、その希望が絶望へと変わります。

捜索隊は墜落現場の森の中で、声を枯らしてガガーリンの名前を叫んでは返事を待ちましたが、静寂が返ってきただけでした。そして、ガガーリンが遺体で見つかったのです。断定の決め手になったのは、首のほくろ。レオーノフ氏が、事故の3日前に「あんな所にほくろがあるのか」と気づいていたのだそうです。

宇宙開拓の歴史を飾るパイオニアの、無残すぎる最期でした。

矛盾がありすぎる調査報告書

さて、事故原因が完全にあきらかになったのは、近年になってから。

上記の委員会では調査報告書を作成したものの、御本人が読んだところ、矛盾点が数多くありました。その最たるものが、書類の中でレオーノフ氏の名前を誰かが勝手に使っていた点だったと言いますから、これまた当人にしたら腹立たしい話。事実関係の記述もごちゃごちゃしていたそうです。

そんなレオーノフ氏が注目したのが、事故機と物体の音の間隔。15秒から20秒あったと報告書にはあるのですが、もっと短かったと同氏自身は記憶していました。報告書の説がそのまま採用されるとなると、スホーイとガガーリンの機の距離は50マイル以上ある事になってしまいます。つまり、ガガーリンの飛行機が錐揉み降下する原因が無くなってしまうのです。

最新コンピューターで軌道を調べたところ

 これらの矛盾を解決するには、コンピューター時代の到来を待たねばなりませんでした。最新のモデルを使って当時の事故機同士の飛行軌道の解析が出来るようになったからです。地上に激突した際のスピードは時速に換算して750キロという所までは分かっていたので、その数値と55秒という時間とミグの性能を入力した所、すさまじい錐揉み状態になる事が分かりました。

また、大型で重量のある機体が近づきすぎた場合、小型機が気流の乱れでふらつく現象が起きる事を専門家から知らされます。レオーノフ氏は、それこそ正に、当時ガガーリンの搭乗機に起きた事なのだと指摘しています(スホーイ15の重量は約10トン、一方のミグ15は約3トンです)。

では何故、様々な矛盾点が報告書に記載されてしまったのか。レオーノフ氏に言わせれば、当時のソ連当局が「モスクワ近くで大失態が起きてしまった事を隠そうとしていたのではないか」。御本人も、自分の証言の再検証や、他の専門家やスホーイのテストパイロットなどに面接調査する事を許され、真相究明に当たりました。

 

ニアミス機のパイロットは生きていた!

なお、スホーイのパイロットは存命で、現在80歳ですが、健康を害しているそうです。事故原因は同機にあるが、そうした事情もあってパイロット名は公表されていません。レオーノフ氏も、名前を出したところで「今更どうなる訳でも無い」としています。

ソ連時代の軍需産業委員会の副代表を務めていたニコライ・ストーレイ氏は、スホーイ機がガガーリンに意図する所(つまり暗殺目的)があって接近した訳では無いとしています。事故直前の同機は、先にも述べましたが、雲の中を超音速で飛んでおり、ガガーリンの飛行機に気づいてなかったからです。

今回このようにして飛行物体の機種やパイロットが特定されたわけですが、それまでは実に多様な説が出されていました。ガガーリンの機体は渡り鳥か熱気球を回避しようとしていたというのはまだ良い方で、酷いのになるとUFOに衝突したというのまでありました。レオーノフ氏らにしたら、ようやく溜飲が下がった思いなのでしょう。

女性初の宇宙飛行士に「飛行禁止命令」の余波

ともあれ、こうして真相が解明された事によって、ガガーリンと親しくしていた人達は、改めて生前の彼を思い出しています。

テレシコワさん(こども宇宙教室HPより)

テレシコワさん(こども宇宙教室HPより)

今の若い方は御存知無いでしょうが、ヴァレンティーナ・テレシコワという方がおられます。世界初の女性宇宙飛行士として1963年6月16日にガガーリンらに続きました。「ダー・チャイカ」(こちらカモメ)と言う交信フレーズは、当時の流行語にもなりました。ガガーリン同様、動く広告塔として1965年に来日した事もあります。言わばこの方も、人類の宇宙開拓史の一部なのです。

このテレシコワさんの人生は、ガガーリンの事故で狂ってしまいます。ガガーリン同様に事故死してしまおうものなら、ソ連にとって赤っ恥どころの話では無くなるとして、大空を飛ぶこと一切まかりならぬと命令されてしまったからです。

共産主義の安全厨に狂わされた人生

国連が主催した外宇宙平和利用会議(COPUOS)の席上で、今回の報告を聞かされたテレシコワさんは「真相解明に何故こんなにも時間がかかってしまったのか。そう思うと口惜しい。とは言え、これでようやく関係者の肩の荷も下りました」と、しみじみ語ったそうです。

「当時のソ連当局は、私が二度と飛んではならないと命令しました。別のパイロットが操縦する飛行機も含めてね。1人の宇宙飛行士の死が余りにも大きかったので、その反動として当局は私を安全な場に置きたがろうとしたのです」

宇宙飛行士として活躍する可能性を絶たれてしまったのだから、さぞかし無念だったのでしょう。しかし、テレシコワさんにとっては、自分よりも亡くなったガガーリンについての思いの方が先に立つようです。

「ガガーリン氏の事が今も忘れられません。職を同じくする者が死んだというだけでなく、社会全体の損失だったと思う」。そう語るテレシコワさんは、記者団を前にしながら涙をこらえるのに必死だったそうです。

なお、飛行50年を記念して、一昨年にロシアのノーボスチ通信が配信した写真特集記事を見ると、ガガーリンには娘さんが2人いました。良き父親として家庭でくつろぐ姿には、例えソ連が自国のプロパガンダ目的で撮影したのだと分かっていても、事故後の遺族の事を思えば胸が痛みます。

2人の娘さんは、今どこでどうしているのでしょうか。そして、この報道をどのような思いで聞いたのでしょうか。

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takosaburou・記 (海外新聞情報サイト「DON」管理人)




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