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週刊武春 伊達家

さすが破天荒No.1大名・伊達政宗 敵の城門を叩いて「一晩、泊めさせて♪」

更新日:

1600年といえば、関ヶ原の合戦。年号覚えるのが苦手な人も、これだけは覚えていることだろう。結果的に家康と石田三成の対決となっているが、そもそもは家康VS会津(福島県)上杉の戦いが始まり。

東北が舞台である以上、我らがヒーロー伊達政宗さんも黙っちゃいない!

とくに会津は、一度は手に入れながら、「大人の事情」(豊臣秀吉に召し上げられた)で手放してしまった因縁の地。そこで政宗は、家康側につくことにした。

わずか50騎で仙台を目指して・・・

急に開戦が決まったため、そのとき大坂にいた政宗はわずか50騎で仙台を目指さねればならなかった。途中の福島県・中通りは上杉が支配していおり、まず通り抜けは不可能。そこで、海側の浜通りを通ることにしたのだが、ここも戦国時代から何度も戦ったライバル・相馬氏の支配地だった。

さて、どうスリ抜けるべきか。合戦は目前に迫っており、他の街道や海路などの迂回は使えない。もはや完全に手詰まりか。と、思われたところで、まるで映画のような展開を迎える。

政宗は何を思ったか、わざわざ相馬氏の居城「中村城」に使者を送ったのだ。

中村城から伊達家の国境までは8キロ。唯一の手段があるとすれば、少ない軍勢で静かに駆け抜けることだったのだが、こともあろうに政宗は、わざわざ自分から声をかけたのである。

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相馬家臣の若者たちが嫌がらせを仕掛けるも

「1泊させてくれ」

相馬氏側では、当然のように「殺すべきだ」との声もあがったが、当主は丁重にもてなすことを決めた。

これを不満に思う相馬氏の若武者はいやがらせで夜中に馬を放って騒ぎを起こした。「敵襲」と思わせて、政宗をあわてさせようとしたのだ。

が、政宗は甲冑ではなく、寝間着のまま現れる。

「うるさいなぁ、静かにさせてくれよ」

と言うと、また寝所に戻っていた。この豪胆さに相馬氏は感服した。

伊達政宗イラスト武将ジャパン

くらたにゆきこ・絵

 

「敵襲?それがどうした余裕だぜ」

「敵襲?それがどうした余裕だぜ」

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結果的に救われたのは相馬氏だった

実はこのとき政宗は、国境線に多数の軍勢を配置していた。相馬氏を試していたのである。

だからといって、なにも自分が「虜(とりこ)」にならなくてもいいのだが、こうした火中の栗を拾いたくて仕方ないのが政宗の悪いところであり、一番の魅力でもあろう。

関ヶ原後、相馬氏は家康に味方をしなかった(中立だった)ため改易されそうになった。が、政宗が「この政宗を安全にとめてくれた」と弁護し、相馬氏を救った。

 

記・川和二十六

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