日本初の歴史・戦国ポータルサイト

BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

崇峻天皇の墓とされる赤坂天王山古墳。宮内庁が指定を間違えたため「入れる天皇陵」となっている

スポンサーリンク

週刊武春 飛鳥・奈良・平安時代 寺社・風習

ドラえもんに脳内変換すれば古代の【崇仏論争】が劇的に面白くなる!

更新日:

 古代日本と朝鮮半島の新羅が一触即発の緊張状態となった聖徳太子の時代。その原因をさかのぼったところ、継体天皇という新王朝の大王にたどり着いたというお話をしてきました。

 「明日はついに聖徳太子!」と言いながら、なかなか聖徳太子の尻尾も見えないのですが、今回ようやく、ようやく尻尾くらいが見えてきます。すみません…。

 なぜかというと、古代古代と簡単にいっちゃいますが、継体天皇から聖徳太子(天皇は推古女帝)までの天皇を並べると、
 安閑、宣化、欽明、敏達、用明、崇俊と6人もいるではないですか!
 前回、このうち前半の3人の方を紹介しました。
 となると、後半の3人も触れないわけにはいけないのでは、と思い至った次第です。
 びだつ、ようめい、すしゅん…またもや古代史ファン以外には初出場の名前の数々にクラクラしていると思います。しかも、この時期は有名な「仏教伝来」というビッグイベントもあるのですが、ご存じのように有名なのは蘇我氏VS物部氏のバトルで、天皇はどちらかというと「空気」。

 というわけで、前回の北斗の拳と同様にふさわしい脳内変換素材を探して20時間くらい経過しました。ここまでで午後11時!(笑)

 まずは系図を見ていただきましょう!ドン!

恵美嘉樹

恵美嘉樹「敏達・用明・崇峻天皇と蘇我氏と物部氏の対立」『古代天皇列伝』(学研)より

 ようやく聖徳太子が一番下に現れてきました。しかし、その上の天皇を巡る系図のややこしいこと。前回、古代史のことを好きになってくださったであろうみなさん、今回を乗り越えれば、みんな大好き1万円札(旧)=聖徳太子の胸に飛びこむことができます。ついてきてくださーい!
 
 はい、今回の脳内変換決めました。かもーん!

 「ぼく、ぶっきょうです!」
 今年生誕80年の藤子F不二雄氏のいわずとしれた名作。なんでもかなえてくれる夢のロボットであります。

 画像は公式ドラえもんチャンネルからお借りしました。

いちおう、この古代シリーズの歴史(おさらい)です。

1 NHKがクローズアップ現代(12月2日)で「明らかになる古代の『日韓交流史』」を放送。聖徳太子の時代に日本と新羅が緊張状態にあったという内容だった

2 そもそもなんで緊張状態になったのか?というエントリーを「古代の日韓交流史」NHKがクローズアップした時代の少し前になにが起きたかまとめた」を書く(継体天皇の時代)

3 「北斗の拳に脳内変換したらバッチリわかる!聖徳太子以前の日本古代史」を書く(継体天皇の次ぎの3代)

4 このエントリー

5 「本当は武闘派だった聖徳太子

ケンシロウとユリアの息子の物語

 6世紀後半にあたる敏達・用明・崇峻天皇は、またも三兄弟で、敏達はケンシロウ(欽明)とユリアの息子。用明、崇峻はケンシロウとバット(蘇我氏)の娘の息子になります。また異母兄弟。(*なんのことか分からない方は前回の「北斗の拳」でキャラ化した前史をお読みください)

スポンサーリンク

なんでもかなえてくれる夢の道具それがBUKKYO!

 
 この時代のキーワードは仏教です。
 仏教というのはすごかったのです。以下のような効果がありました。
 ・お医者さんカバン(病気を治せる)
 ・ホンヤクコンニャク(外国人と友達になれる)
 ・空気ピストル(戦いに勝てる)
 ・どこでもドア(死後に極楽へ行ける)
 などなど、古代日本人にとっては、夢の未来ロボットだったのです。

 ドラえもんを巡って争うのが
のび太こと蘇我氏

ジャイアンこと物部氏
です。

 

スポンサーリンク

仏教導入に揺れ動く敏達天皇(在位572~585)

 ケンシロウ(欽明)とユリア(石姫)の長子、プリンスである出来杉君(敏達天皇)は、父の崩御後の572年に即位します。

 (*読者さまの「推古がしずちゃんなら敏達を出来杉にすればNTR感が湧いてきてなおよ(ry」とのはてぶでのアイデアを採用しました。allezvousさん、ありがとうございます)

 ヤマト政権の運営方針が専制君主(ラオウ)から合議制(トキ)に戻ったのは前回書いたとおりです。
 そのため出来杉も部下を重臣に取り立てます。
 それがのび太とジャイアンです。
 のび太(蘇我)は豪族のトップ「大臣(おおおみ)」に、ジャイアン(物部)は天皇家の譜代「大連(おおむらじ)」に任命されます。

 出来杉は即位後に、のちに推古天皇となるかわいくて、頭のいい才女と結婚します。豊御食炊屋姫とややこしい名前なので賢い美少女ということで静香ちゃんと呼びましょう。

 うまいことやりやがったな出来杉!と思ったら、なんと、しずちゃんもケンシロウの娘でした。(しかも、のび太の娘)。
 「オレの妹がこんなにかわいいはずは…」という展開ですね。
 
 ちなみに出来杉の即位から2年後に聖徳太子も生まれています。

 出来杉はケンシロウ父さんから「絶対に新羅を倒して、任那(加羅)を回復せよ」との遺言を与えられています。お父さん思いで優等生の出来杉は、そればかり考えていました。いい息子さんですね。

恵美前掲書

恵美前掲書

 そして気付いたのです。

 「そうだドラえもんがあるじゃないか!」

仏教とはグローバルスタンダードな資本主義や民主主義

 ケンシロウ父さんが生きていた時代に、同盟国の朝鮮半島の百済から謎のロボット「ドラえもん」(仏教)が伝来したのです。

 ケンシロウは臣下に問いました。
 当時の仏教は単なる宗教ではなく、東アジアに共通する文化であり、それを受け入れるか、孤立を貫くかの政治的な選択でもありました。現代風にいえば、グローバルスタンダードとよばれる資本主義や民主主義、TPPを取り入れるかどうかの政策判断に近いです。

のび太(蘇我)は受容派です。
 「西の国(中国や半島諸国)は皆礼拝しています。どうして日本だけが背くことができるでしょうか」と国際的な見地から主張しました。

 一方、日本オリジナルの要素が強い前方後円墳での祭祀など、古来の神や先祖への祈りを職業としていたジャイアン(物部)やスネ夫(中臣氏)は、当然反対の立場をとります。
 「天皇の務めは、あらゆる神々を春夏秋冬、祀ることです。蕃神(仏)を拝むことは、国つ神が怒るでしょう。のび太のくせに生意気だ!」と、がんとして譲りませんでした。

 結局、ケンシロウは日本国として公式にドラえもんを採用することは見送りましたが、とりあえず、のび太の家に置いておくことを許しました。
 喜んだのび太は、飛鳥の北に位置する押し入れ(小墾田)にドラえもんを安置しました。
 ところが、不運にも疫病が流行し、死者が続出する始末に。ジャイアンとスネ夫は「俺たちの意見を取り入れずにドラえもんを受け入れたから病気がひろがったのだ。ドラえもんは捨てるべきだ」と反対意見を表明。

 ケンシロウはこの意見を受け入れて、あわれドラえもんは道頓堀(難波の堀)に流し捨てられて、寺院としていたのび太の家は燃やされました。のび太かわいそす。

日本人初の出家者は女性

しかし、のび太はあきらめません。出来杉君(敏達天皇)の代になって、再チャレンジします。(この時、蘇我稲目から馬子に代替わりしています)
 出来杉の即位から13年が経過した584年、のび太は海外からドラえもんとドラミの2体を輸入したのです。

 今度は押し入れに安置していくだけではありません。

 自分の部下の娘たちを出家させて、積極的にドラえもんのお世話をさせたのです。日本人で始めて出家したのは、記録上は男ではなく、女性だったのです。ドラえもんシスターズの誕生です。
 
 しかし、そこはのび太ののび太たるゆえん。
 間の悪いことにまた疫病が大流行したのです。
 当時は、仏教だけでなく、半島経由で大陸由来の新たな疫病が次々に列島へ「輸入」された時代でもあったのです。
 むろんジャイアンやスネ夫はだまっていません。
 学級委員長的に出来杉は仕方なく、仏教の禁止を命令し、今度はドラえもんとドラミは燃やされました……。
 さらにドラえもんシスターズたちは、法衣を奪われて真っ裸にされて、人の集まる市場でむち打ち刑というえげつない恥辱を受けるのです。出来杉ったらすけべ

 

猛威をふるう天然痘に対抗できるのは仏教のみ?

 それでも疫病はおさまるどころか、出来杉(敏達)やジャイアン(物部)まで天然痘(疱瘡)に冒されてしまいます。

 一体、どっちの言い分が正しいのだろうか。
 
 古来の日本の神々は豊穣をもたらし、怒らせるとたたりを起こすが、病を癒やす力はありません。しかし、ドラえもんの最大の売りの一つは病気の治癒でした。
 奈良時代に活躍した玄昉や道鏡のように、おそらく僧侶が医師も兼ねていて、効能が確認された薬草を焚いたり、飲ましたりという儀式で、実際に医療効果があったと想像できます。

 天然痘は伝染病なので、病気はのび太にも感染します。
「私の病気は重く、今も治りません。ドラえもんの秘密道具でないと治らないでしょう」とのび太は出来杉にお願いします。

 

出来杉は、のび太一人だけでドラえもんを使い、他人にはさせないとの条件付きで再度許可します。
 こうして新しい押し入れ(寺院)が造られ、ドラえもんもまた引き出しのタイムトンネルから登場します。
 出来杉も内心、仏教が病に効果があるなら試したいという思いを強く持っていたのでしょう。

物部氏も寺院を建てて仏教を信仰していたことが考古学で判明

 実は、ジャイアンもこっそりドラえもんを使っていたことが考古学の調査で判明しています。
 河内の物部氏の拠点で寺院跡が発掘されたのです。文献では、一貫して廃仏主義とされていたのですが、やはりジャイアンといえどもグローバリズムから逃れることはできなかったのです。
 ドラえもん(仏教)を最も信仰していたのは渡来人です。
 日本と同盟にあった加羅が滅亡しているので、たくさんの渡来人が亡命していたのです。彼らの多くは世界水準の仏教を信仰していました。渡来人は、当時の日本よりも優れていた海外の最新技術や思想を持っています。仏教導入と渡来人とは切っても切り離せない関係で、いずれか一方だけというわけにはいきませんでした。
 日本の「国教」としての導入は反対していたジャイアンも渡来人から離反されてはやっていけません。ジャイアンはジャイアンで悩んでいたのです。
 
 のび太とジャイアンの争いが炸裂するのは、出来杉(敏達)の死後すぐでした。

天皇として初めて仏教を受け入れた聖徳太子の父・用明天皇(在位585~587)

 

 585年、出来杉(敏達)は最愛の静香ちゃん(推古)を残して死去し、葬送儀礼である殯(もがり)が行われました。
 そのときのび太(蘇我氏)とジャイアン(物部氏)との権力闘争が浮き彫りになる事件が勃発しました。
 殯の儀式中に、のび太が刀を身につけてお悔やみの言葉を述べていたところ、後ろから、ジャイアンが「おい、のび太! まるで大きな矢で射抜かれた小さな雀のようだ。かっこわる」と揶揄したのです。

 ところがのび太も黙っていません。

 次にジャイアンが言葉を述べる番になると、緊張からか手足が震えてしまったのです。それを見たのび太はここぞとばかり、「震える手足に鈴を付けたらりんりんとよく鳴るだろうね、ジャイアン」と応酬したのです。まるで子供だ。そうか小学生だったから仕方ないか。

 大臣(のび太)と大連(ジャイアン)という群臣トップの実力者が一触即発となる中、即位したのは出来杉(敏達)の異母弟の用明天皇です。
 この人が聖徳太子のお父さんです。

用明天皇の王宮に建てられたとされる飛鳥の橘寺

用明天皇の王宮に建てられたとされる飛鳥の橘寺

 当時の天皇とは終身制で、かつ子供ではなく、弟が生きていれば、まずは弟へと天皇位を順繰りに下ろしていく仕組みでした。

 用明の母は蘇我氏出身だったので、のび太は大喜び。とうとう、のび太系で初めての天皇が誕生したのです。
 ところが、用明は即位後まもなく天然痘にかかってしまったのです。のび太がドラえもんを信仰したことで天然痘から回復したこともあったからでしょうか。用明はとうとう、病気の治癒のためにドラえもん崇拝を宣言しました。
 日本で天皇が仏教へ祈りを捧げた最初の瞬間です。崇仏論争はこれで決着がつき、政治の主導権は、ジャイアンから確実にのび太へと移っていきます。
 しかし、ドラえもんの効果は薄く、用明は即位からわずか3年でこの世を去りました。
 追い込まれていたジャイアンにとっては起死回生のチャンスです。

天皇家史上最大のピンチ! 暗殺された崇峻天皇(在位587~592)

 

 のび太VSジャイアンの争いは、日本史上あとにも先にもない、臣下による天皇暗殺という大事件を引き起こします。

 さきほど書いたとおり、当時は弟がいれば、弟が天皇になります。
 この時点で、ケンシロウの息子はまだ二人残っていました。
 ジャイアンが推すのが年上の穴穂部皇子。のび太は年下の泊瀬部皇子。もう一度、系図を載せます。

恵美嘉樹

恵美嘉樹

 天皇即位のもう一つのルールは原則、年長者有利です。
 となると、ジャイアンの勝ちとなりそうです。

 困ったのび太は「ドラえも~ん」とたぶん泣きつきました。

 ドラえもんからのび太は空気テッポウをもらうと、なんと、穴穂部を暗殺してしまったのです。
 しかも、暗殺命令を出したのは、静香ちゃん(のちの推古天皇)でした。しずちゃんがなぜ?

静香ちゃん(推古)をNTRそうになった出来杉君(敏達)

 

 それなりの理由はあります。
 2代前の出来杉(敏達)が死んだときに、当然、妻の静香ちゃんは、喪に服していたのですが、その未亡人の入浴シーンに欲情した穴穂部が寝取ろうとする醜聞を起こしていたのです。しずかちゃんにとって絶体に許せない相手が天皇になるなんてとても認めることができなかったのです。天皇になったら、無理やり再婚を命令されるかもしれないし。

 

物部氏滅ぶ!聖徳太子も参戦

 担ぐみこしを失ったジャイアンは武力に訴えます。

 しかし、のび太側には、聖徳太子をはじめ有力な皇族や豪族が集まります。
 ジャイアンもリサイタルを開いて奮戦しますが、最後は激戦の末、敗北します。
 この悪魔のリサイタルをとめたのが、聖徳太子といわれています。聖徳太子は劣勢になったときに、四次元ポケットから四天王像を取り出して「もしこの戦いに勝たせてくれたら四天王のためのお寺をつくります」と約束したら勝ってしまったというお話です。大阪の四天王寺は、聖徳太子がこのときの約束を守って作ったお寺です。

 

 結局、用明のあとを継いで即位したのは、泊瀬部皇子、崇峻天皇です。
 崇峻はのび太を大臣に再任しましたが、ジャイアンがついていた大連は空位としました。世紀末のケンシロウ時代から続いていたのび太(蘇我)とジャイアン(物部)の権力闘争は、ここに最終決着をみました。

 勝利したのび太は生来のダラダラ癖が出たんでしょうかね。
 崇峻とのび太との蜜月は長続きしませんでした。日本書紀によれば、のび太は権力をほしいままにし、昼寝とあやとりばかりし、ないがしろにされた崇峻はのび太を憎んだというのです。
 即位までの経緯をみれば、「お飾り」扱いされていたのでしょう。

蘇我馬子の天皇暗殺は冤罪?

 崇峻はのび太を排除したいと露骨に触れ回ったようで、とうとうのび太は崇峻の暗殺を決行しました。実行犯は配下の渡来人(東漢駒)です。
 長い歴史を持つ歴代天皇のなかで、暗殺されたとはっきりわかっているのは、皇族に殺された5世紀の安康天皇とこの崇峻だけです。

崇峻天皇の墓とされる赤坂天王山古墳。宮内庁が指定を間違えたため「入れる天皇陵」となっている

崇峻天皇の墓とされる赤坂天王山古墳。宮内庁が指定を間違えたため「入れる天皇陵」となっている

 天皇の暗殺――。とんでもないことです。しかし、のび太(蘇我馬子)主犯説を明記する『日本書紀』の記述をそのまま鵜呑みにすることはできないのです。
 なぜなら、のび太が暗殺の首謀者とすれば、その後、処罰された様子がないのはさすがに不自然です。
 それに、実行犯の東漢駒は処刑されるのですが、その理由は、天皇暗殺ではなく、崇峻の妻と駆け落ちしたのが理由となっているのです。
 どういうことだってば?
 崇峻暗殺の黒幕には、真犯人がいる。

 ミステリーで、犯人の定番といえば、一番得をした人物。崇峻のあとに天皇になったのは、絶世の美女といわれ、後宮から政治を動かした……静香ちゃんだ。
 史上初の女帝・推古天皇の誕生です。

 

 あしたの続編、今度こそ、次ぎは聖徳太子!のはず(笑)あしたは普通に書くつもりです!

 

ちょっと面白いと思ったら、ぜひシェアをお願いします。みなさんのシェアが執筆のエナジーです。

恵美嘉樹(歴史作家)・記

スポンサーリンク

著書に『古代天皇列伝―日本の黎明を統べる系譜』 (歴史群像シリーズ)(共著)=本記事のベース、『最新 日本古代史の謎』など。

 




1位 西郷隆盛49年の生涯!


2位 ホントは熱い!徳川家康


3位 意外と優しい!? 織田信長さん


4位 直虎の後を継ぐ井伊直政とは?


5位 毛利元就の中国制覇物語


6位 伊達政宗さんは史実も最高!


7位 最上義光 名将の証明


8位 最期は切ない豊臣秀吉


9位 史実の井伊直虎とは?


10位 もしも戦国武将がサッカー日本代表だったら?


武将ジャパン・TOPページへ戻る



-週刊武春, 飛鳥・奈良・平安時代, 寺社・風習
-, , ,

Copyright© BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) , 2017 AllRights Reserved.