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週刊武春 伊達家 災害・事故

400年前に伊達政宗が野望で呼び寄せた雑賀衆の子孫が津波から観光客を守った

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壇ノ浦の戦いでも活躍した水軍「かこしゅう」

水主衆。「かこしゅう」と読み、その名の通り海運業や水産業、ある時は海賊業なんかにも従事していた人々の事を指します。

古くは平家物語でも、源義経が敵の船の機動力を削ぐために兵士より先に集中して射らせた水夫を指す言葉として「水主」の名前が出てきます。
ただ、当時は「お互い戦闘要員じゃない水主衆は狙わないことにしようね」とする不文律があったため、襲われた方も襲えと命令された方もどん引きの奇策だったようですが……将を射んとせばまず馬を射よ、を実践したのだと言えばそれまでかも知れませんが、この人の空気の読まなさっぷりには、もはや清々しさすら感じられますね。どうしたらそこまでの真空状態を保っていられたのか、謎は深まるばかりです。
さて、今も「水主町」「加古町」などの地名でその歴史を全国に残している水主の方々ですが、今回はその中でも仙台藩の水主衆についてご紹介したいと思います。

 

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国宝瑞巌寺のために仙台に和歌山からやってきた

仙台藩と言えばかなりの高確率でどこにでも顔を出すあの方、伊達藩初代藩主の伊達政宗公が雇いだしたのが始まりと言われている宮城県の「水主衆」ですが、元を辿れば紀州からやってきた水主の人々がその始まりだと言われています。

慶長9(1604)年、政宗公は師である禅僧虎哉宗乙の勧めで、相次ぐ戦乱や火災で廃墟同然になっていた日本三景の一つ、松島の瑞厳寺を復興することを思い立ちます。

週刊おくのほそ道を歩く 瑞巌寺・石巻

後に桃山文化の真髄、集大成とも言われることになる瑞巌寺の大伽藍を建造するに当たって、政宗公は紀州の熊野山から切り出した建材を船で運ばせることにしたのですが、紀州には「紀州灘」「熊野灘」と呼ばれる非常に読みにくい潮の流れがあって、そこを越えて松島まで建材を運んでくることのできる水練達者はそうはいません。
近代になってもトルコのエルトゥールル号やノルマントン号がこの辺りで沈没しています。ましてや方位磁針やアバウトな日本地図さえもなく、庶民は自由に移動する事もできなかった時代、重い建材を船に詰め込み遭難すること3回、とうとう松島までやって来た紀州の水主衆はすっかり政宗公に気に入られてしまいました。

歴史街道 2013年 03月号 [雑誌]

(日トの友情の原点、エルトゥールル号遭難事件)

彼らは政宗公から松島の一画(瑞巌寺の東側)に土地を与えられて「御水主町」を作り、その組頭は屋敷を与えられて伊達家直属の船頭衆となっています。めでたしめでたし。

松島町に1軒だけ残る水主衆の古民家(町HPより)

松島町に1軒だけ残る水主衆の古民家(町HPより)

 

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やっぱり政宗 裏がある?

……と終わりたいところですが、はるばる紀州からやって来た彼らに与えられた仕事はと言えば、他国からの来賓を船に乗せ、松島湾を遊覧する伊達家御座船の船頭や塩田管理などで、操船技術が必要ないとは言いませんが、「紀州からわざわざスカウトして来てその仕事?」と思ってしまうものでした。

塩田管理については、藩の財政を支える専売品の塩の闇取引を取締まるため、夜間の海上パトロール&下手人の追跡などで彼らの手腕は大いに発揮されたわけですが、仙台藩は元々気仙沼、石巻、塩釜などの良港に恵まれており、操船や塩田管理に通じたものは他にも大勢いたはずです。

どうしてわざわざ紀州から彼らを連れてきたのか。政宗公がよほどその腕前に惚れ込んだからだ、とか「まああの政宗だから……」(?)と様々な説が唱えられているのですが、その中の一説に「水主衆は、江戸を攻めるための水軍として雇われたのだ」とする説があります。

「天下くれ~」by政宗(絵・霜月けい)

「天下くれ~」by政宗(絵・霜月けい)

地理的に江戸まで一直線の奥州では、それまで戦に水軍を利用したことがほとんどなく、海と言ったら「魚!」一択のお国柄でした。しかし、瑞巌寺の造営が始まる1605年頃と言えば、そろそろ各藩の状況も落ち着いてきて金銭的にも多少の余裕が出てくる時代です。

その余裕をガリガリ削るために天下普請(江戸城を造らされるなど)なんかが幕府から命じられる訳ですが、戦が無ければ内政に余力が向けられるのは当然で、大藩であれば治水や灌漑事業に大金を投入して、あっと言う間に荒地や河川などを開拓することができてしまいます。

仙台藩の石高が事実上、100万を越えるのは五代藩主の吉村公の時代以降ですが、治水、灌漑の功あって資金に余裕のできた政宗公が「次は何をしようかな~」と思って考え出したのが水軍の編成でした。

と言っても幕府が成立してまだ数年、こんな時期に水軍を作っちゃったら当然幕府から相当警戒されます。幕府から警戒されないよう自然な感じで水練に通じた者を雇えないものか。そうだ、瑞厳寺の資材運搬係として連れて来ちゃえばいいじゃない。と言う事で選ばれたのが、紀州の海沿いにお住まいだった水主衆の方々でした。

 

鈴木、鈴木、鈴木…あっ雑賀孫一!

さて、松島と言えば瑞厳寺などの桃山様式の建築物と共に、湾内の大小260もの小島が作り出す海上の美しい景観も観光の大きな目玉なのですが、この中には人が住んでいる島もあり、その住民の多数が「鈴木」姓なのだそうです。

水主、紀州、鈴木姓。これでピンときたあなたはかなりの歴史通です。
戦国時代の紀州と言えば、戦国、いや世界最強の鉄砲集団、雑賀孫一率いる「雑賀衆」が有名ですが、実は孫一は本来の姓を鈴木といい、松島湾の島々に住む鈴木さんはこの鈴木孫一の末裔だというのです。

雑賀孫一は鈴木姓(絵・桂花)

雑賀孫一は鈴木姓(絵・桂花)

雑賀衆というと、その冗談のような鉄砲の所有数や高度な射撃技術ばかりが有名ですが、元々彼らは和歌山の紀ノ川の河口部に住む海の民であって、自分達の自治を守るために鉄砲で武装するようになった漁民達の集まりでした。
そもそも、雑賀の衆があれだけの数の鉄砲やその原材料となる鉄などを大量に所有できたのは、彼らが船で他国や外国と独自に貿易をしていたからであり、そのことからも雑賀衆の水主としての腕が巧みで、鉄砲のそれに劣らぬものだったと分かります。

源義経同様、全国に「実は生きていた!」伝説がある孫一の事ですから真偽の程は分かりませんが、元々政宗公は一芸に秀でた人のヘッドハンティングが趣味……ゲフン、他国や外国の優れた技術を自藩に導入しようという気概に溢れておいでの方でしたから、孫一本人ではなくともその親族や雑賀衆の構成メンバーなどが水主としてやってきて来ていても不思議ではありません。

政宗公が松島の水主衆に求めたものは、単に船を操る腕前だけではなく、織田信長をも追い返したその戦闘技術と戦う気骨だったのではないでしょうか。

さらに政宗公は、支倉常長を副使とした慶長遣欧使節をスペインに派遣して洋式の軍艦を手に入れ、その操船を水主衆に任せて江戸を攻めるつもりだったのだとも言われます。小説などでも採用されることのあるこの設定、政宗公の長女五郎八姫の嫁ぎ先である松平家の家老職にあった大久保長安との密約と並べて「伊達政宗最後の野望」といった感じで良く使われます。

スペインの無敵艦隊、幕府の重臣で当代きっての富豪、大久保長安との密約、そして水主衆。時期的にも近いこれらの出来事が幕府打倒のために用意されていたもので、水練と戦の手腕に長けた水主衆は、実は江戸を攻めるための水軍として雇われた、政宗公最後の隠し玉だったのだと考えるとそれはそれで納得させられるものがありますね。

 

400年来の操船技術で津波から遊覧客を守った現代の水主衆

現在の松島町では湾内の島々を巡る遊覧船のコースがあり、政宗公はじめ代々の藩主が愛でた美しい景色を手軽に楽しむことができます。竜や鳳凰など、煌びやかに飾り付けられた遊覧船は大層美しく、これに乗って湾内を一周すると、かつて他藩からの賓客を乗せて湾内を遊覧したという伊達家の御座船「孔雀丸」「鳳凰丸」に乗ったような気分になることができます。

実はこの遊覧船、先の震災では海上にありました。
本震後も揺れ続ける海の上、船頭さんが見事桟橋に船を着けてくれたお陰で、津波が到達する前に速やかに観光客の方を避難させる事ができたのだそうです。この船頭さんの中には現在も松島町の御水主町にお住まいで、13代目の水主衆として遊覧船の操船をなさっている方もいらっしゃいます。400年も前(もしかしたらもっと前)から先祖代々受け継がれてきた技倆と生業で人を救うことができたなんて、すごいことですね。

かつて紀州沖の逆巻く渦潮を乗り越えてやってきた人々が、その水練の手腕を今も現代に伝えている松島。これからもこの町が、桃山文化華やかなりし頃を今に伝える町として残っていくことを願ってやみません。
Matsushima Bay from Otakamori - 無料写真検索fotoq
photo by nakae

鈴木晶・記

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参考文献
岩本 隆「松島町郷土史夜話」(宝文堂)
佐々木光雄、吉岡一男編「宮城県の不思議事典」(新人物往来社)

 




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