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タイタニック号(1912年4月10日撮影、Wikipediaより)

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なんと! タイタニックのせいで第一次世界大戦が勃発した!?のかも 【第一次世界大戦100年Vol.7】

更新日:

近現代戦史研究家takosaburou氏の第一次世界大戦勃発100年シリーズ第7弾はなんとタイタニックが登場!ではどうぞ!

バタフライ効果という言葉があります。思いっきりザックリ言うと「ある種の出来事が、巡り巡って飛んでもない結果となってしまう」ぐらいになりますか。

先の「戦火で幻となった人類初の世界1周飛行レースとは【第一次世界大戦100年Vol.5】」では、以下のように第一次世界大戦が田中角栄のロッキード事件につながるというお話をしました。

サンフランシスコ万博の目玉に飛行機で世界一周イベント

第一次世界大戦勃発で中止

代わりの遊覧イベントで飛行機ベンチャー大儲け

ロッキード社に改名

同社製造のP-38で山本五十六戦死

同社製造のトライスター機納入巡り田中角栄逮捕

という流れが見て取れました。これも一種のバタフライ現象かと。

で、この前段としてですね。

タイタニック事件勃発

再発防止を策定

システム構築でスキャンダル

英国政界大揺れ、内閣はガタガタ

そこにサラエボでオーストリア皇太子暗殺

処理におたつき、第一世界大戦が勃発!

という流れがあったのです。

つまり、タイタニックから角栄まで、バタフライがあったとなるのです。にわかに信じがたいでしょうか?

超豪華客船でも無線がなかった

タイタニック号の遭難は、当時(そして今に至るまで)の世の中を騒然とさせました。事故の調査をしたのは当時のアメリカ上院小委員会。タイタニック号の船籍が英国にある事を思うと意外な感じがしますが、これは運航させていたホワイトスター社がアメリカのJ・P・モルガンの傘下にあった事が関係しています。

当然の事ながら、大事故を引き起こしたホワイトスター社の幹部などが喚問されたのは言うまでも無いのですが、そうした召喚対象の1人だったのがグリエルモ・マルコーニ。イタリア生まれで、無線電信を開発した人として1909年にノーベル賞を貰った科学者でした。

非難が目的の召喚では、勿論ありません。タイタニック号の無線SOS信号を、近くを航行していた船舶が受信出来なかったり、そもそも無線設備を搭載していなかった事が事故を大きくしたのは皆様も御存知でしょう。「ちゃんと無線を積んでいれば、あそこまでの事故にはならなかったのに」と、デカプリオの映画とかを見て思った人は多かったかとワタクシメは愚考いたしております。

ただ、当時は、もう少し事態が複雑でした。無線という概念自体が世に余り知られておらず、かつ、その可能性についても理解されていなかったのです。

そして、黎明期の無線機器は大量生産されていませんので、当然ですが高額。積む事のメリットも周知徹底されていなかったので、船会社にしたら「積んでないからと言って世間から非難されるなんて」とか「だったら、前から言っといて下さいよ」と言う展開になった訳です。

また、そうした背景があったので、当時の上院議員さんも「無線って何?」というレベルの人も多かった。かくして、マルコーニがイタリアから招かれて、証言とあいなった次第だったのです。

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日露戦争の「天気晴朗なれども波高し!」の無線が知れ渡っていれば?

ここでマルコーニの生涯を追ってみましょう。御本人は1874年にイタリアのボローニャで生まれます。14歳の時、ドイツのハインリッヒ・ヘルツが電磁波の存在を突き止めます。で、このヘルツの研究に興味を持っていたアウグスト・リーギという人が、どうした縁かマルコーニの隣人。触発されたのでしょう、若き情熱を注ぎ込みます。

1895年(つまり、本人が21歳の頃)、電線を使わない長距離の通信に成功します。それまでにも原理的には分かっていましたし、短距離なら成功していたものの、長い距離では失敗していました。
マルコーニは、既存の技術を組み合わせ、かつ上手に応用する事で、解決していきます。つまり、送信機と受信機のアンテナを長く、かつ垂直に配置。更には片方を接地させると、遠距離での無線通信が可能だと突き止めたのです。

本人が英語に流暢な事もあって、研究を商業的に発展させるべく、スポンサー探しに英国に売り込みに。既に有線通信は定着していましたので、それに対抗する売りを探さねばなりません(この辺、今のADSLとWiFiの構図にソックリですね)。

その際の課題が距離。最初は英仏海峡レベルだったのですが、次第次第に伸びていきます。海外では今なお有名なヨットレース「アメリカズカップ」の実況を無線で知らせて欲しいと依頼されたのが1899年。ちなみに、依頼主は当時のニューヨーク・ヘラルド紙。新しいテクノロジーを巧みに取り入れてますね〜。「紙の手触りは信頼されている」とか、新聞週間で主張するどこかの国の新聞界とは大違いだ。

距離については、一大ブレイクスルーがありました。1902年には夜間で3000キロ以上の送受信に成功したのです。翌年には、当時のアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領から英国国王であるエドワード7世へのメッセージを送信。初の大西洋横断でした。

ただし、通信の品質は安定していなかったそうです。そうした中で、この新技術をいち早く取り入れ、バルチック艦隊の来寇を逐次把握した上で対応を練っていたのが、我らがご先祖様だった訳ですね。「本日天気晴朗なれども波高し」には、そんな背景もあったのです。

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無線導入を巡るインサイダー疑惑

軍事上の優位性を、わざわざバラしてしまう馬鹿はいません。だから、日本海軍の勝利についても、T字戦法と東郷提督のカリスマ性ばかりがクローズアップされ、無線の果たした役割について一般ピープルのレベルで周知されるのには時間がかかりました(知らせる手段自体、当時は限られていましたし)。そうした中で、タイタニックの悲劇が起きてしまったのです。

セレブが数多く亡くなった事もあって、再発防止という流れが生まれたのは当たり前。これはアメリカだけでなく、大西洋の対岸でもシェアされていきます。そうした中で、英国でも、「無線は船舶に必須だよね」という機運が生まれたのは、当然と言えば当然でした。

ただ、そういう誰も反対出来ない機運を悪用する輩は、何時の世にもいます。この時にも、そうした事態となり、英国の政界に激震をもたらします。

それが、マルコーニ・スキャンダルと呼ばれる事件だったのです。

事件の発端は1912年夏だったそうですから、タイタニック沈没からナンボも時間が経っていなかった事になります。事の次第ですが、こんな感じでした。

「なぁ、この無線ってのが大事なのは分かったけどさ。じゃあ、どこのメーカーが、こっち方面で強いの?」

「マルコーニ社ってのがあるらしいよ」

「どういう会社なの?」

(しばしの説明)

「ふーん、この無線の送信を考えた人って訳か。じゃあ、そこが手堅そうだね」

と言う格好で、当時の大英帝国無線チェーンという国策企業の契約先にマルコーニ社を選定しました。まぁそこまでは妥当だったのですが。

この時に、マルコーニ社のアメリカの子会社の株式を事前に買っていた英国の政治家が、当時の与党内にいたのです。つまり、インサイダー取引。当時でも許される行為ではありません。

イギリス政治が大揺れで一事件が第一次世界大戦に

火を付けたのは、フランスの新聞「ル・マタン」でした。タイタニックの大事故を受け、大英帝国無線チェーンが全土に通信網設置を決めたのが1912年7月。で、この時の請負先が上記のマルコーニ社でした。

その際、官庁として所管していたのが、ハーバート・サミュエル大臣がトップを務める当時の郵政省。一方、仲介したゴッドフリー・アイザックスという人物の兄がルーファス・アイザックスという与党の要人。

先にも書きましたように、マルコーニ社は有名となりました。ただし、同業他社に比べて肝腎の通信の品質自体は良くありませんでした。そしてアイザックス兄弟とサミュエルはユダヤ系。「カネが飛び交ってるんだろうよ」という偏見もあって噂となり、ル・マタンが取材をし始めたようです。

くだんの報道は裁判となり、一審でル・マタン側が非を認めて一件落着かと思いきや、その過程でルーファス(政治家の方)がマルコーニのアメリカ子会社の株式を持っていた事をポロリと漏らし、しかもそれを当時のロイド・ジョージ大蔵大臣に売っていた事まで口にしてしまったのです。そうなると、「濡れ手で粟のインサイダーかよ! 怪しからん」と言う人が出てきます。

言われた側の名前がゴージャス?だったので、話がややこしくなります。
時の首相、ハーバート・アスキスの名前も挙がった他、当時の有力メディアだった週刊GKを率いるセシル・チェスタートンという人物が事件に連座していたとして告訴。
美味しそうな話として、一枚噛もうとしたかどうかは不明ですが、裁判になって辞職。

後を継いだのが兄のギルバート・キース・チェスタートン。「ブラウン神父」シリーズで名高い、推理小説作家ですね。執筆に影響が出なかったのでしょうか? かくして、英国の政界も、それを監視するマスコミ側もヨタヨタとなってしまいました。

下院でマルコーニ契約特別委員会が結成され、事件の真相追及を行ないましたが、何分にも当時の与党の起こしたスキャンダルでしたので、報告書は玉虫色に。それに納得しなかった野党の保守党から、ルーファスとロイド・ジョージへの不信任案が提出されたものの、否決に。2人とも政治生命を絶たれることだけは免れます。

そうこうする内に、第一次世界大戦のはじまりサラエボ事件が起きてしまったのです。

第一次世界大戦で女性に選挙権

勃発時の首相は、相変わらずアスキスでしたが、こういう経緯があったので、求心力はゼロ。そこへオーストリア皇太子暗殺と、その事後処理が大陸でモタモタして、大戦争へと繋がっていった訳です。この時、英国政界がしっかりしていれば、開戦という事態を招かなかったかもしれません。

しかし、戦争となった以上は、勝たねばなりません。アスキスの後を継いだのが、ロイド・ジョージ。時に1916年12月の事でした。

ロイド・ジョージは総力戦体制強化に着手。

食料を配給制にした他、商船を船団単位で運航させ、海軍に護衛させます。

つまり、この人が開戦当初から首相なら、ルシタニア号の悲劇(*「恫喝されて沈められ…タイタニックに負けず劣らず悲惨だった豪華客船「ルシタニア号」の末路」)は無かったかもしれないのです。また、塹壕戦状態を何とかする為に開発を急がせたのが戦車。更には、男手を取られた銃後で女性に奮闘して貰おうと、30歳以上を対象に選挙権を与える法律を通過させたのも、この人でした。
色んな意味で、今に繋がる施策を打ち出していった人だったのですね。

一方のルーファスですが、フランスと共同で当時中立だったアメリカに借款を求める交渉を行い、5億ドル(当時の単位で、この額です!)を取り付ける事に成功します。この2人への1913年の不信任案が採択されていれば、英国の戦争指導体制がどうなっていたかも、そして戦争そのものに勝利していたかも分からないって事です。

おカネには問題があるけど、有能な政治家ではあった事で英国が救われたという格好でしょうか。

あっ、1つ気が付いたぞ。

タイタニック事件勃発→
再発防止を策定→
システム構築でスキャンダル→
英国政界大揺れ、内閣はガタガタ→
そこにサラエボでオーストリア皇太子暗殺→
処理におたつき、第一世界大戦が勃発→
サンフランシスコ万博の目玉の飛行機で世界一周イベントが中止→
代わりの遊覧イベントで飛行機ベンチャー大儲け→
ロッキード社に改名→
同社製造のP-38で山本五十六戦死→
同社製造のトライスター機納入巡り田中角栄逮捕 ←ここまでが日本へのバタフライ効果ならですね。

スキャンダル→
英国政界大揺れ、内閣はガタガタ→
そこにサラエボでオーストリア皇太子暗殺→
処理におたつき、第一世界大戦が勃発→
ロイド・ジョージ政権成立→
婦人参政権実現→
サッチャー首相、女性初の英国総理へ→
新自由主義へ舵切り→
フォークランド紛争勝利 ←ここまでが英国でのバタフライ効果な訳か。

ロンドンの金融センター化も、実現していなかったかも。

うーむ、複雑系な展開だわ。他にも、色々と波及してるんでしょうね。

takosaburou・記

 

 

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※よろしければtakosaburou氏が新たに執筆した【102年前のタイタニック号沈没でも二転三転していた遭難報道】も御覧ください。

 

 




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