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親鸞(Wikipediaより)

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週刊武春 鎌倉・室町時代

明治時代の学者「親鸞は架空の人物です!」親鸞「えっ?」五木寛之「えっ?」

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 日本史を習った人なら、鎌倉時代の僧侶、親鸞(1173~1262)の名は聞いたことがあるでしょう。浄土宗の祖、法然の門下に学びますが、1207年の念仏弾圧にあって越後に流され、赦免後は関東地方で伝道布教を行いました。その思想は「浄土真宗」として門弟たちに継承され、発展していきます。

親鸞(Wikipediaより)

親鸞(Wikipediaより)

 ということで、日本史における重要人物の地位は揺るぎないものと思える親鸞ですが、明治の一時期には、歴史学者たちの間でその実在を疑う流れになっていたことはご存知でしょうか?今回は、地味に見えて結構面白い、知られざる親鸞の研究史を取り上げます。

親鸞(上) (講談社文庫)

 

実在しなかったことにされかけた親鸞

 どうして、親鸞は歴史学者たちに「消されかけて」しまったのでしょうか。理由は、その史料の少なさにあります。明治時代頃に知られていた史料は浄土真宗の教団内部のものばかりで、当時の朝廷の記録や公家の日記などにはその名は一切登場しません。

 また、親鸞最古の伝記である「親鸞伝絵(しんらんでんね)」は、親鸞の曾孫・覚如の著書ですが、親鸞の没後30年以上経ってから書かれたものでした。その内容も教団の開祖を虚飾で伝説化したもので、史料的価値はないとみなされていたのです。歴史学者の中には、「親鸞は、覚如が浄土真宗を発展させる目的で作った架空の聖人だ」とする人までいたのです。

 もし、ここである学者が研究成果を発表しなかったら、親鸞の名は教科書から消えていたかもしれません。

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一人の学者の発表をきっかけに覆った定説

 しかし、大正時代に入った頃、一人の学者によって学会の主流意見は大きく変わります。

 1920年、東京帝国大学助教授・辻善之助博士が、「親鸞聖人筆跡之研究」を出版、親鸞の筆跡を研究し、彼の直筆の著作や書簡がいくつも現存することを証明したのです。翌1921年には、京都の西本願寺から親鸞の妻・恵信尼が親鸞の訃報を知らせる書簡など10通が見つかり、さらに教団外からも親鸞の筆跡による新史料も発見され、彼の実在はやっと確認されたのでした。

 しかしながら、それでも史料は多いとは言えず、親鸞の思想・教義に関する研究は進んでも、彼自身の確実な生涯については、今もあまりわかっていません。

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親鸞の遺骨発見!ドラマティックなその経緯とは

 そんな中、結構最近の2007年、親鸞の実在をさらに補強する大発見がありました。京都の寺院・常楽台(常楽寺)から、親鸞の遺骨の存在を示す証拠が発見されたのです。発見の経緯も推理小説のようなものでした。
 この寺院には、親鸞の肖像画(掛け軸)が伝えられていましたが、掛け軸の軸部分の穴から、江戸時代に書かれた書が出てきたのです。

 そこには、「寛文7年(1667年)にこの絵を修復したとき、親鸞の遺骨を軸の穴に納めたが、宝永3年(1706年)に遺骨を取り出して、宝塔に納めた」と書かれていました。

親鸞の遺骨のありかが書かれたメモ発見のニュースを伝える朝日新聞HPより

 寺には、それらしき宝塔があり、確かに骨のかけらが納められていました。つまり、これが親鸞の遺骨らしい、というわけなのです。親鸞没後400年も経ってからの書ではありますが、本物の遺骨だとしたらなんとも歴史のロマンを感じさせる話です。

 さらに、常楽台には、これとは別に親鸞の遺骨を納めたという伝承のある親鸞の木造がありました。2008年、京都大学の根立研介教授らの調査により、胸付近の空洞から和紙に包まれた骨粉が出てきたのです。前述の宝塔に遺骨を納めた際、この木像にも一部を納めたのでは、と推測されます。

あまりに欲がなさ過ぎた親鸞上人の実像

 さて、親鸞を巡っては実にミステリアスな議論が続いていたわけですが、どうやらその原因の一つに、本人の控えめな性格ゆえ、自分のことをあまり語ったり、書き残したりしなかったことが挙げられそうです。

 浄土真宗の後世の発展ぶりからは想像もつきませんが、この人は新しい仏教の開祖になる気などは毛頭ありませんでした。親鸞の語録「歎異抄」の一節を現代語訳します。

 「私は弟子を一人も持っていません。私が命じて念仏を唱えさせたならともかく、阿弥陀如来の偉大なお力で人々は念仏を唱えているのですから、彼らを私の弟子と呼ぶなんでおこがましいことです」

 弟子を持つ気も、寺を建てる気もないのですから、宗派を起こす気もないのは当然でしょう。過去記事(http://bushoojapan.com/tomorrow/2014/01/18/12944)のような後世の教団内の争いや、親鸞研究をめぐる俗世の動きを、彼はあの世でどんな気持ちで見ているのでしょうか。

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三城俊一・記

参考文献
河合敦「教科書から消えた日本史」光文社、2008年

「親鸞の遺骨?が木像胎内から 京都・常楽寺」(朝日新聞デジタル)




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