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それが戦争…派兵された7人の息子の6人が戦死【第一次世界大戦100年VOL.14】

更新日:

戦争をしてはならないと叫びたくなるような秘話が、オーストラリアのヘラルド・サン紙が発掘しています。ヨンガラというオーストラリアの田舎町から戦地に派兵された7人の息子の内、6人が戦死していた事例があったのだそうです。 

戦死した6人兄弟

同紙では、「この悲劇の実話は、ハリウッド映画の『プライベート・ライアン』をピクニックの類に思わせてしまうだろう」と書いています。親御さんにしたら耐えられない話ですよね。

プライベートライアンのあらすじとは 1944年6月6日「史上最大の作戦」ノルマンディー上陸作戦。掩蔽壕の機関銃座から猛烈な銃撃を受けながらもオマハ・ビーチ上陸作戦を生き残った米軍第5軍第2レンジャー大隊C中隊隊長のミラー大尉(トム・ハンクス)の下に、米第7軍第101空挺師団第506パラシュート歩兵連隊第1大隊B中隊に所属するジェームス・ライアン2等兵(マット・デイモン)をノルマンディー戦線から探し出し無事帰国させよ、という任務が下った。ライアン家の4人兄弟はジェームス以外の3人の兄弟が戦死し、彼が唯一の生存者であった。息子たちの帰国を本国で待つ母親に息子全員の戦死の報せが届くのはあまりに残酷だ。たった一人だけでも生かし、母親の下に息子を返してやりたいという軍上層部の配慮だった。ミラーは兵士一人を救出するために部下の命を危険にさらす任務に乗り気ではなかったが、危険極まりない敵陣深く進入し、ジェームス・ライアンを救出するための捜索を始める。(Wikipediaより)

 

スミス家の7人の息子たち

 

当時のヨンガラには、フレデリック・スミスとマギー・スミスという夫婦が住んでいました。男の子7人と言う子宝に恵まれました。

 

フランシス、アルフレッド、アーネスト、クラレンス、レジー、エロール、オーブレーが、その子宝でした。

 

1914年に勃発した第一次世界大戦では、オーストラリアからも派兵されます。当時、21歳以下の男性の入隊には親の同意が必要でしたが、若かったエロールとオーブレーは、偽名を使ってこれを回避しました。勇敢だったのでしょうね。

この大戦で、兄弟が戦死する例は多々ありました。犠牲者は付きものと考えていた将軍がいた事も、こうした傾向に拍車をかけました。実際、1915年にかけて、あの有名なガリポリ作戦や西部戦線でのパッシェンデールの戦い(第三次イーペル会戦)などでは2800組以上もの兄弟が戦死しています。

この為、子供3人から5人を亡くした親御さんも、150家族が確認できています。しかし、今回は長兄のフランシスをのぞく6人と言うのは流石にレアな例。オーストラリアでも長らく知られていなかった事もあって、注目されています。

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唯一の娘の子孫が明らかに

 

世に問うたのは、子孫に当たる同国アバディーンに住むビジネスマンで、2015年に開かれるガリポリ戦役記念式典の議長を務めるクリス・フォックス氏。

 

スミス夫妻には1人だけ娘さんがいました(つまり8人兄妹)。その娘さんであるロッティーさんの曾孫がフォックス氏。大変にかわいがってくれたそうですが、ある日1オーストラリア・ペニーの切手を見せられたのが、この歴史的な事実を知るきっけかになったそうです。

 切手の表

それはオーブレーからの手紙でした。当時、多くの手紙が戦地から送られましたが、いずれも厳しい検閲を受けました。この為、切手の裏側に真相を書いて送る兵士が多かったそうです。

 

オーブレーは、裏側にこう書いていました。「出征したけど、戻るからね。ジャック」。ジャック言うのは、どうやら偽名だったようですね。当時の国王の赤い切手が印象的だったと、フォックス氏は話しています。

 

切手の裏

切手の裏

 

「曾祖母は、私を納屋に連れて行き、『これは私が最も大切にしているものなのよ』と話した後『これを貴方に渡すから、ちゃんとしてね』とくれたんです」とフォックス氏。 「この切手には打ちのめされました。オープレーは生きて戻れない事を知っていたのですから」。

 

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悲劇の記憶を、99歳にしてようやく語り始め

 

ロッティーおばあちゃんは長生きしましたが、この事を話すのは辛かったようです。何しろ語り始めたのが99歳になってから。フォックス氏の前で「曾祖母が取り乱すのを見たのは、その時だけだった」。

 

生き残ったフランシスは農園を持っていましたが、経営が苦しかったのか、出征中に売りに出されてしまいました。本人だけが戦地から帰郷できたのですが、買い戻す事が出来ませんでした。その上、1923年に鉄道事故で亡くなってしまいます。「偶然なのか自殺なのかは分からない」とフォックス氏は言葉少な。

 

そうした悲劇の歴史を背負っているだけあって、同氏はガリポリ記念式典には大勢の若者が参加し、アンザック魂と呼ばれた遠征軍の勇気ある若い兵士達に思いを馳せて欲しいと望んでいます。

 

「こうした記念式典に合わせて、こういう事実が浮かび上がるなんて凄いよね」(フォックス氏)。

 

なお、切手と手紙はガラスケースの中に大切に保管されています。

 

オーストラリア国防軍アカデミーで教鞭を執るピーター・スタンレー教授にとっても、この事実は驚きだったようで、非常に珍しい事例だと話しています。

 

当時、エロールとオーブレーのように偽名を使って入隊する若者は数千人に及んでいました。当然、戦死する人もいて、数百人になっていましたが、こうした形で亡くなった人を追跡調査するのは困難なのだそうです。

 

スタンレー教授によると、第一世界大戦中に同国から出征していった兵士の内、スミスという苗字の人は5000人いたとの事です。

 

「こういう事例は滅多に無く、唯一の悲劇でなくてはならないでしょうね」と教授は話しています。

 兄弟を一人だけ残す召集はアメリカでも第二次大戦後から

ちなみに、兄弟を1人だけは残しておくという召集政策は、第一次世界大戦でも二次大戦でもオーストラリア政府は取っていません。有名な「プライベート・ライアン」も、アメリカの話ですしね。なお、あの映画に出てくるような、1人だけ召集解除という政策は第二次世界大戦後の1948年に採用されたものなのですって。

 

悲しくて、気持ちの滅入る話ですね。御夫婦は、戦後何を生き甲斐になさっていたのでしょうか。やはり、戦争はしてはいけません。

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