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イギリス 週刊武春

『一国の宰相になるより難しい』って本当すか? 英国ダービーの意外な歴史

更新日:

 

6月1日は東京競馬場で第81回ダービーが開催される。

本命馬イスラボニータに対し、対抗トゥザワールドや女伏兵レッドリヴェールの逆転劇はあるのか?

ダービー

JRAダービー公式サイト

競馬新聞の馬柱を凝視するのも良いが、本日はダービーの起源となったイギリス競馬の歴史を軽く眺めてみたい。

予想の合間に、アタマを少し休める程度の感覚で読んでいただければ幸いっス!

 

あの名言はチャーチルの言葉じゃなかった

イギリス競馬とダービーステークスを語る上で絶対に欠かせないのが、この名言である。

「ダービー馬のオーナーになることは、一国の宰相になるよりも難しい」

 

この言葉を発したのは、2度にわたる世界大戦でイギリスを勝利に導いた、同国伝説の政治家ウィンストン・チャーチル。

生前の彼は動物を愛したことでも知られており、サラブレッドの聖地である英国で競走馬を数頭所有していた。

チャーチル

そんな彼が『僕は、国のトップになるよりも、ダービー馬のオーナーになりたいんだぁあああ><;』なんて嘆いたとならば、いかにも面白エピソードだが、実際コレはウソ。

他のダービー馬オーナーの自慢話が、巡り巡ってチャーチルさんの言葉となったのが真相だという。

そしてダービーには、もう一つ意外な歴史があるのをご存知だろうか。

 

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2度の大戦中もお馬さんのお尻を叩いておりました

英国ダービーの記念すべき第一回レースは、1780年に開催された。

以来、234年間、毎年欠かさずレースが行われているのだから、流石に本場は違う。第一次世界大戦のときも、第二次世界大戦のときも、彼らはお馬さんのお尻を叩いていた。

1821年ダービー

こちらは1821年開催の様子を描いたようです。日本はバリバリの江戸時代なり/wikipediaより引用

ゆえに英国ダービーは世界の競馬の見本ともされており、日本だけでなく世界各国で同距離・同条件(芝の2400メートル)という形式が採用されている(アメリカはダート競馬が主流なので全く異なる)。

そもそも1780年と言えば、日本は江戸時代であり、ポニーサイズの可愛い馬しかいなかった。

2012年度の優勝馬キャメロット/wikipediaより引用

2012年度の優勝馬キャメロット/wikipediaより引用

そんな歴史&名誉ある英国ダービーなのだから、創始者のダービーさんはよほど気合を入れて、このレースを設立したのだろう。

と、思われるかもしれないが、これが少々事情が異なる。

ダービー伯爵さんは、このレースを別の貴族と共同開催するにあたり、レースの冠名を互いに譲りあったという。

 

「オマエの名前にしろよ」
「いやいや、オマエの名前にしろよ」
「じゃあ、オレの名前で」
「どーぞ、どーぞ」

 

と、そんなヤリトリはなかっただろうが、当時のレースはイギリスの片田舎で開催されるということであり、2名の共同開催者は、共に自分の名前を掲載したくなかったというのだ。

んで、2人とも「どーぞ、どーぞ」で双方譲らず、最後はなんとクジで決定・・・( ゚д゚)

 

ダービー馬のオーナーでさえ「一国の宰相」より難しいとされているのに、レースの創始者ともなれば、もはやそれは「世界統一政府の大統領」になるぐらいの難しさではなかろうか。

 

クジで勝者となった貴族のバンベリー準男爵は、長い目で見ての敗者となったワケだ。

負けるが勝つ――とはよく言ったもんですな。

 

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参考:ダービーステークス/Wikipedia 

 

 




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