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週刊武春 ロシア WWⅡ

なぜソ連は満州だけを焦土化したのか スターリンの真の狙いとは

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シリア、ウクライナ、そして東・南シナ海…最近の世界情勢はなんとも不穏な空気です。いったい、各国はどんなことを考えているのか、さっぱり分かりませんが、歴史を振り返ることで、大国の持つ野望や狙いを想像できるかもしれません。みはぎのまりおさんの本格研究ノート寄稿です。

突然のソ連の満州侵攻 日本領土の分割が狙いとされているが

 

中国東北三省(濃い赤) 東四盟+旧熱河省の一部(赤) 外満洲(薄い赤)(Wikipediaより)

 第二次大戦末期の1945年8月9日、ソ連軍は、突如として、満洲(現在の中国東北部)に侵攻を開始しました。当時、日本とソ連との間には中立条約が結ばれていたことから、この侵攻は日本にとっては完全な奇襲となり、満洲国に駐留していた日本軍は僅か1週間で壊滅します。

 ソ連が、国際条約を無視してまで対日参戦に踏み切った表向きの理由は、早期に戦争を終わらせ、人民を戦禍から解放することとされていましたが、本音は、アメリカによる原爆投下で一気に現実味を帯びた日本の降伏によって、日本領土の分割を図ることであったというのが、現在ではほぼ通説となっています。

 ところが、ソ連による満洲侵攻には、もう一つ、アメリカ寄りの中華民国に対する牽制の意味が強かったのではないかとする見方が、最近の研究で明らかになってきました。

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国共合作くずれても圧倒的に有利だった国民党軍

 1945年5月にドイツが降伏すると、枢軸国でただ一国戦争を続けていた日本の敗色は覆い難いものとなりました。この頃から、中国国民党(中華民国)と中国共産党との間に不協和音が流れ始めます。
 

 もともと、中国国民党と中国共産党とは政治思想も価値観も異なる犬猿の仲で、1930年代中葉まで、中国国民党と中国共産党とは内戦状態にあり、お互いがその余力を以て抗日戦争を戦うという状態にありました。ところが、日本軍が中国東北部を占領して満洲国を建国すると、中国の国家存亡の危機意識を共有した両者は1936年に停戦に合意し、一致して抗日戦争を戦うことになったのです。

 しかし、共通の敵である日本の敗色が濃くなると、両者は共闘の意味を見失います。そして、両者の対立は日本が降伏した1945年8月以後激化し、同年10月の軍事衝突で決定的になりました。

 内戦再発当時の中国国民党と中国共産党の兵力比はほぼ9対1で、圧倒的に国民党が優勢でした。更に、中国国民党は、アメリカ軍から抗日戦争のための最新鋭の兵器を供与されており、これに加えて、日本が降伏した後には、日本軍から大量の武器や弾薬を没収しました。

 ですから、軍事力の格差は、兵力の差以上に圧倒的に中国国民党が優勢であり、中国国民党が日本敗戦後の中国を実効支配することは誰の目にも明らかだったのです。

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実は共産党の敗北を予測していたスターリン

スターリン250px-J-Stalin_Secretary_general_CCCP_1942
 ソ連共産党のスターリン書記長も、また、こうした見方をしていた一人でした。スターリンは、早くから満洲に目をつけ、この地域にソ連寄りの政権を樹立するか、次善の策としてこの地域を焦土化して緩衝地帯にすることを考えていたようです。

 日露戦争に敗れて以後、常に日本の脅威に晒されてきたソ連にとっては、ソ連と友好関係にある毛沢東の中国共産党が満洲を支配するのが、安全保障上望ましい姿だったはずです。しかし、中国国民党の圧倒的な軍事力を知るスターリンは、中国共産党の軍事的敗北は時間の問題と考え、後者の方策をとることを決断します。

ものすごく豊かだった満州を手にするものが中国を制する

 当時、満洲がクローズアップされたのには理由がありました。それは、満洲の産業力が当時の中国本土と比較して極めて発展しており、中国の戦後復興と実効統治を実現するためには、満洲の支配が必須であると考えられていたからです。例えば、中国本土で生産される鉄の9割、電力の8割、大豆の5割は満洲産が占めていたばかりか、石炭、石油などの鉱産品、鉄道や電信などの公共インフラの約半分は満洲国に集中していたのです。

 当然、日本が降伏して後、中国国民党は、全力で満洲の支配権の奪還に動こうとします。ところが、いち早く満洲を支配下に置いたソ連軍は、中国軍の満洲への進出を実力阻止する挙に出たのです。

ソ連軍の満州侵攻(Wikipediaより)

なぜソ連は満州だけを焦土化したのか

 満洲を占領したソ連軍は、1945年12月3日に満洲から撤退するまでの僅か3か月余りの間に、満洲各地で略奪と破壊の限りを尽くしました。その被害は、鉄道線路の8割、発電量の7割、産炭施設の9割、製鉄所の5割にも及んだのです。このような破壊活動が、同様にソ連が侵攻したモンゴルや千島列島、朝鮮半島各地ではほとんど見られなかったのと比較すると、満洲での破壊が際立っているという特徴があります。

 いずれにしても、この破壊活動は、スターリンの目論見を大きく上回る成功をソ連にもたらします。それは、満洲に対する中国国民党の実効支配に致命的な遅れが生じ、この間に中国共産党が浸透を果たしたことでした。次善の策だったはずの焦土作戦によって、ソ連と友好関係にある中国共産党が満洲を実効支配するという、ソ連にとって最良の結果を実現したのでした。

 そして、この焦土作戦は、もう一つ、思わぬ副産物をもソ連にもたらします。それは、戦利品として日本から接収したプラントや機械器材を、技術情報とともに中国共産党に売りつけることで、中国の政治経済をソ連に頼らせるよう仕向けたことです。事実、中華人民共和国には、ソ連以外に頼るべき国がありませんでした。中国共産党は、有償であれ、インフラと資源とを供給してくれたソ連に感謝し、その意向に従わざるを得ない立場に置かれることとなったのです。

 蒋介石の中国国民党を中国本土から駆逐し、台湾に追いやった中国共産党は、1949年10月1日、中華人民共和国を建国します。ソ連の極東正面に出現した巨大な共産主義国家は、ソ連の安全保障環境にとって極めて重要な存在でした。ここに、スターリンの野望は、一応の完成形を見ることになります。それは、満洲で繰り広げられた焦土作戦から僅か4年後のことでした。

みはぎのまりお・記

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【参考文献】
アメリカのポーレー調査団の報告書
Pauley, Edwin W., “Report on Japanese Assets in Manchuria”, 1946
同、“Report on Japanese Assets in Korea”
内閣総理大臣官房調査室『中共経済建設とその諸問題』1954
香島明雄『中ソ外交史研究 一九三七-一九四六』世界思想社、1990

 




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