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衝突して炎上する第10雄雄丸(国交省関東整備局東京湾口航路事務所HPより)

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週刊武春 明治・大正・昭和時代

海上自衛隊は1974年に艦砲射撃でタンカーを沈めていた

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集団的自衛権の問題などで揺れる日本。武器使用などについての議論が盛んに行われていますが、自衛隊は40年前に武器を使って船を沈めていた「歴史」があったのです。

海上自衛隊で今も語り継がれる大事件

防衛庁の防衛「省」への移行を目前に控えた2006年秋、自衛隊の統合運用のための訓令の改正について話し合うための会議が、市ヶ谷の防衛庁で開催されていました。この日の議題は、災害派遣に関する規則の改正に関するもので、大きな混乱もなく議事は進んでいきました。

ところが、災害派遣に際しての武器使用を認める条項を削除する提案がなされた途端、海上幕僚監部の将校から異論が出されました。というのも、海上自衛隊創設以来、初の海上戦闘こそ、災害派遣における武器使用のケースだったからです。

 

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1974年11月27日 護衛艦4隻が炎上して漂流するタンカーに艦砲射撃

この日午後1時過ぎ、海上自衛隊の護衛艦「はるな」、「たかつき」、「もちづき」、「ゆきかぜ」の4隻の艦隊は、千葉県富津沖で、タンカー「第十雄洋丸」に対し艦砲射撃を開始しました。実は、「第十雄洋丸」は、これに先立つ11月9日、目的地の川崎港を目前に貨物船と衝突事故を起こし、満載したLPGガスと石油に引火して炎上、両船の乗員33人が死亡し、さらに炎上するタンカーが東京湾内を20日も漂流していたのでした。

衝突して炎上する第10雄雄丸(国交省関東整備局東京湾口航路事務所HPより)

衝突して炎上する第10雄雄丸(国交省関東地方整備局東京湾口航路事務所HPより)

当初は、海上保安庁が対応に当たっていたのですが、5万7000トンもの大量の燃料は次々と誘爆を起こし、遂に、海上自衛隊に対する災害派遣要請に至ったのです。

護衛艦の放った砲弾は次々に「第十雄洋丸」の船体に吸い込まれていきましたが、排水量が4万トンを超える巨大タンカーにとっては大したダメージではなく、むしろ燃料が燃えたこと喫水が上がり、あたかも不沈空母のように護衛艦隊の前に立ちふさがったのでした。

 

護衛艦はるな(Wikipediaより)

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翌日には飛行機がロケット弾発射

翌朝、海上自衛隊のP-2J対潜哨戒機が東京湾上空に飛来し、「第十雄洋丸」に対しロケット弾と対戦爆弾による攻撃を加えました。

艦砲射撃で燃料が炎上し、喫水が上がったことで、船体を爆弾で破壊して浮力を減殺することが目的だったのですが、もともとP-2Jは哨戒機であって爆撃機ではありませんから、爆撃の照準をとるのも、既存の機器を改造して流用したものだったと言われています。

結局、ロケット弾は12発のうち9発が命中、爆弾も16発のうち9発が命中するにとどまりました。

同日午後、P-2Jの爆撃に呼応して、潜水艦「なるしお」が魚雷4発を発射、うち2本が命中します。喫水が上がったところに魚雷2本の直撃を受けた「第十雄洋丸」は、それでもなお必死に沈没を免れようとしているようでした。

 

P-2J哨戒機(Wikipediaより)

潜水艦の増派準備も…ようやく沈没

魚雷の直撃を受けても沈まない「第十雄洋丸」に対し、海上自衛隊の4隻の護衛艦は引き続き艦砲射撃を加えるとともに、焦った自衛艦隊司令部は、潜水艦「はるしお」の増派の準備に取り掛かります。

そんな中、同日午後6時47分、遂に、第十雄洋丸は大爆発を起こし、犬吠埼沖500kmの海中に没したのでした。

衝突事故から20日、海上自衛隊初の水上戦闘は、こうして幕を下ろしたのでした。

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