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動物総動員だった第一次世界大戦 「ネコ、犬、ハト、ラクダ、馬…」計1600万頭の半数が戦死!

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第一次世界大戦で悲劇に見舞われたのは、人間だけではありませんでした。伝書鳩、犬、猫、駱駝、ロバ、馬など総勢1600万(頭と数えるべきなのか、匹と数えるべきなのか、羽と数えるべきなのか)が動員され、うち900万が戦地で命を落としていたのですから。

動物愛護団体の関係者が聞いたら発狂しそうな数字ですね。英国のデイリー・ミラーが報じています(2014年7月31日午前0時6分投稿)。

■伝令成功率95% 味方の誤射を止めさせた伝書鳩

アメリカ陸軍の第77歩兵部隊が、北フランスのアルゴンの森でドイツ軍と会敵した時の話は、胸を痛めます。どうした訳か、味方からも敵と誤認され、砲撃を受けてしまったからです。

500人いた部隊は、見る間に194人に減ってしまいました。部隊では「どうか誤射をやめてくれ」と3羽の伝書鳩を飛ばします。2羽は即死。残る1羽も、片眼を潰され、胸と足に重傷を負い、ヨタヨタと飛びながら25マイル先の司令部まで何とか辿り着き、任務を達成しました。

このエピソードはアメリカ陸軍では有名なようで、鳩の名前もシェル・エイミとして伝えられています。

シェル・エイミ

 

エイミは雌の鳩。こうした伝書鳩が10万羽も動員されては1914年から18年の休戦まで塹壕を往き来していたのだそうです。時に撃たれることがあったものの、伝令の成功率は95%に達していたそうですから、優秀な戦績ですね。

英国王立伝書鳩協会のマネジャーを務めるスチュワート・ワードロップ氏は「エイミは190人もの命を救いました。当時、塹壕には無線は無く、有線が砲撃で切断されると、連絡が出来なかったんです。そんな訳で、前線からの伝令には鳩が最も有効な手立てでして、1918年までに英国陸軍工兵信号部隊だけで2万5000羽の伝書鳩を使っており、世話係も380人いたと記録にはあります」と話しています。

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ハトを迎撃するドイツ軍の鷹

一方、ドイツ側にしたら脅威の存在ですので、対策を講じます。鷹を前線に配置したのです。これは結構有効だったようで、弾をかいくぐった伝書鳩が捕らえられるケースは少なくなかったようです。

上記のエイミも、その後お役御免になり、大切な扱いを受けていたようです。失った足に木製の義足を与えられ、余生を送っていた事からも、その厚遇がうかがえましょう。

チェルトナム(英国最大の暗号機関がある所ですね)近くにあるグロスに協会のオフィスがあるのですが、ここには当時の伝書鳩の活躍振りを記した記録文書が残っているのだそうです。

ちなみに、こうしたアーカイブによると、当時の英国空軍では、飛行機に伝書鳩を搭載していたそうです。「何で?」と思われる向きもありましょうが、不時着した際、自分の位置を書き記して伝書鳩を飛ばし、救助させていたのですって。はぁ、そういう使い方がありなのか。

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鎧を着て機関銃を牽引する犬もいた

また、伝書鳩ならぬ伝書犬というのもいたそうです。負傷した兵士を助けたり、敵の匂いをかぎつけると言うのですから、マルチな活躍をしていたのですね。約2万匹が戦場で活躍していました。鎧を着て機関銃を牽引していた大型犬もいたそうです。

なお、こうした軍用犬は敵を察知しても吠え立てず、静かに唸るようにしつけられていました。場合によっては耳をそばだてて兵士に合図する事もあったそうですから、見逃すとエライ事になってしまう所ですね。

こうした軍用犬はハンプシャーにある軍用犬指導所で訓練されていました。学校を運営していたのはリチャードソン中佐。後には犬を連れて出陣していったそうです。

「犬の能力と勇気と粘り強さには驚嘆させられます。集中砲火の最中に、他の通信手段が全て途絶したとしても、伝書犬が最後の切り札になっていたんです」

こうした伝書犬の中にもエイミ同様に伝説となった存在がいました。ラグスという名前でして、フランスで捨て犬として彷徨っている所をアメリカ第1歩兵師団に飼われるようになりました。

ガス攻撃や砲撃などで、視界が狭まっていたようですが、何とか生き残り、その優れた聴力で砲弾がどこから飛んでくれるかを告げてくれたそうです。今のイージス艦もビックリな能力ですね。

上九一色村でも使われたカナリアも重宝…理由は分かりますよね? じゃあネコはなんのため?


この他に重宝されたのがカナリア。理由はお分かりでしょうが、毒ガスの探知に使われていたのです。「そういや猫って最初に書いてあった猫って、何に使うの?」。ハイ、こちらは塹壕に蔓延るネズミを捕まえるのに使われていたのだそうですが…音に敏感な動物だと思うけどなぁ。

そして、当時の戦場の動物の主役と言えば馬。騎兵隊以外に輜重部隊や砲兵隊で活躍していました。ラバやロバも同様。自動車が使えない場で出番となっていたそうです。

その中の有名な馬には、ジャック・シーリー将軍が乗っていたサラブレッドであるウォーリアがいました。ドイツ軍から狙われながら、その都度生き延びていたのですって。

何しろ、あの有名なイープルの戦いやソンムの戦い、パッシェンデールの戦いにも生き残った強運の持ち主。1941年に天寿を全うしています。

その際は、新聞に訃報が掲載されたほどでした。曰く「この馬は西部戦線で1918年のクリスマス・デー(つまり休戦まで)奉仕し続けた。すさまじい砲撃でぬかるみに2度も埋まってしまったが、決して大怪我はしなかった。何度にも渡り、死に神がそばまで忍び寄ったかに見えたし、実際、隣にいた兵士が死んだりしたが、たとえ砲弾が数フィート先で爆発していても、震え1つ見せず、爆煙をにらみつけていたのを、私はこの目で見た」

死者(この場合は死馬か)に対する、最大級の賛辞ですね。

精神的ストレスで病気になる馬も

大英図書館のマシュー・ショー博士は、こうした当時の動物の記念展開催に奔走しました。曰く「戦争遂行に中心的な役割を果たしたのが、こうした動物でした。彼ら無しでは戦争の勝利はおぼつかなかったでしょう。前線への補給も無理だったかもしれません」

負傷兵の運搬は、重くついたそうです。100万頭もの馬とラバが英国陸軍に徴用されました。内、戦死したのが半数近くだったとの事です。有名なベルダンの戦い(1916年)には、7000頭もの馬が命を落としています。

砲弾による死も去る事ながら、生きながらえてもショックから病気になる馬が多く、祖国の地を踏めたのは6万頭に過ぎなかったとの事です。もっとも、そこは動物愛護の伝統のある国だけあって、こうした生き残った馬を助けようと唖者友の会という慈善団体が青十字基金を設立し、飼料代などにしていたそうです。

ロンドンに本部のある青十字病院の院長を務めるスティーブン・ブルームフィード氏は、「1914年末までに、青十字では西部戦線に馬向けに包帯や消毒剤や目から蠅をよける道具などを供給する貯蔵所を作っていたのです」と説明しています。馬が助からない場合は安楽死させる人員も用意していたとの事ですから、痛ましい話ですね。

1918年までに、基金には17万ポンドもの浄財が集まりました。今日の貨幣価値に換算すると600万ポンドになるそうです。これにより病気となった馬5万頭と犬1万8000匹が治療を受けられたとの事です。

ブルームフィード氏は、馬が勝利を決定づけたと信じているそうです。

「戦争好機になって、ドイツ側は馬が不足し、騎兵隊を解散していたのです。1918年になって、大規模な攻勢を英仏側にかけたものの、騎兵隊は出動できなくなっていました、一方、我が方は幾つかの師団が、足りない戦場で全て補う役目を果たせましたから」

以前の記事で、当時のドイツが深刻な食糧不足に見舞われた事に触れましたが、こういう形で戦況に影響が出ていたのですね。その苦い教訓から、第二次世界大戦では機甲師団の電撃戦へとなっていたのかもしれません。

ともあれ、戦死者も去る事ながら、こうした動物の死んだ数にも、ただただ絶句するばかり。やはり戦争はしてはいけません。

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