日本初の歴史・戦国ポータルサイト

BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

スポンサーリンク

週刊武春 ドイツ アメリカ

アメリカにいたヒトラーのおいっ子が枢軸軍と戦うために前線に

更新日:

 

以前、ヒトラーの直系の子孫が北フランスに住んでいる事を紹介したのをご記憶でしょうか。あの中で、子孫だとする決め手になった1つに、アメリカの親族とのDNA鑑定があった事を思い出される方もおられるかと思います。同時に「何でまた、親族がアメリカにいるんだろう。敵国でしょ」とお思いになられた方もいたかと。

実は異母兄のアロイス・ヒトラーがアイルランド系の女性と結婚していた時期があり、その間に生まれた子供がアメリカに移民していたのです。1911年の英国の国勢調査でも、これを裏付ける記載があり、最近始まったfindmypastというオンラインサービスで、改めて発掘され、話題となっているのだそうです。irishcentral.comというサイトが報じています(2014年8月20日付け)。

若きヒトラーは、リバプールで青春期を過ごしていた?

 

文書によると、異母兄と結婚していたのは、ブリジット・ダウリングさん。1909年に、アロイスがダブリンで行われたホース・ショー(障害物競馬として、今日なお有名なレースです)を観戦した際に、運命の出会いをします。まだ10代だったそうです。

image001

これが、後に撮影されたブリジットさん。サイトより引用させて頂きました。温厚そうな女性ですね。

アロイスは、自分はアイルランドを旅行している裕福なホテルの経営者だと告げました。しかし、実際は暴力的な父親から逃げるようにしてアイルランドに逃れシェルボーン・ホテルでウェイターをやっていました。どうやらダウリングさんに惚れてしまい、つい見栄を張りたくなったようですね。

スポンサーリンク

ヒトラーのイギリス人のおいっ子 ビードルズの地元を歩くヒトラー

2人の間には恋心が芽生え、翌年にロンドンに駆け落ち。そこで結婚し、1911年にパトリック・ウィリアム・ヒトラー君が誕生します。つまり、ヒトラーに英国人の甥っ子が出来た訳です。

今回発掘されたイギリスのイングランドとウェールズの国政調査書類によると、家族はリバプールのアッパー・スタンホープ通り102番に家を構え、アロイスは「アントン」という名前で登録。なお、書類の続柄の箇所には息子のパトリック君を「sohn」とドイツ語で記載していたそうです。

後にブリジットさんがしたためた回想録によると、この時期にヒトラーが家を訪ねてきていたそうです。オーストリアで徴兵されるのを嫌がっての訪英だったと、彼女は主張しています。もっとも、これには異論を唱える歴史家もおり、未だに決着が付いていません。

…となると、ビートルズのメンバーの親御さんとかと、リバブールのどこかですれ違っていたのかも?

ちなみに、これが当時の国勢調査の文書です。サイトより引用させて頂きました。

image002

皮肉な事に、家族が暮らした家は、第二次世界大戦でドイツの空襲を受け、完全に破壊されたそうです。

スポンサーリンク

夫婦仲は破綻、兄ヒトラーはドイツに帰国

さて、仲むつまじい夫婦生活は続きませんでした。アロイスは1914年に家族を連れずに帰国してしまったからです。どうやら、アロイスがブリジットさんに暴力を振るうようになり、それに嫌気がさして一緒に帰国するのを拒否したらしい。

戦後、アロイスは死亡したとの知らせを受けます。しかし、実際は別の女性と再婚していました。両人は籍を抜かなかったようで、アロイスは重婚の疑いで訴追されていたそうです。異母弟のアドルフともども、困ったちゃんですね。

さて、そうした経緯はあったものの、息子さんにしたら実の父親である事には変わりありません。18歳になったパトリック君は、アロイスを訪ねにドイツに渡ります。そして、叔父のアドルフを紹介されます。既にこの頃、ナチスのトップとして力を蓄えつつありました。

アメリカに移住して姓を変えるもヒトラーのおいっ子で全米講演

一旦は英国に戻ったものの、1939年に母子ともどもアメリカに渡します。両国関係が悪化するにつれ、向こうの超有名人(そして極悪人)の親戚筋というのでは何かと心配事が絶えなかったようです。アメリカのロングアイランドに着いた際、自分の姓をスチュアート・ヒューストンと変えていたぐらいです。

もっとも、密かに生活する積もりは無かったようです。と言うのも、「叔父は狂っている」と、全米各地を講演しました。そして、母親のブリジットさんは「私の義弟アドルフ」という著書を出版し、話題を集めたそうです。

1941年にアメリカが参戦すると、このウィリアム・ヒトラー君も召集されます。医療部隊に配属され、目覚ましい活動をし、名誉除隊となりました。

戦後、ロングアイランドのパッチョークで検査技師となり、成功します。フィリスさんという女性と結婚し、大邸宅に住んでいた所を見ると、商才があったのでしょうね。思えば、叔父だって「邪悪ではあったが、疑いもなく天才だった」と、歴史家のウィリアム・シャイラーに評されるほどだったので、ここらは家系なんでしょう。幸いにも、その叔父や父親が持っていた暴力性は受け継がなかったようですが。

早世した子供が1人いたものの、3人の息子さんを得る幸せにも恵まれました。もっとも、近所づきあいは悪かったようですが。きっと野次馬とかがいたんでしょうね。

その後、ブリジットさんは1969年に世を去り、自宅から少し離れたコラムという場所にあるカトリックの小さな墓地に埋葬されます。享年78。パトリック氏も、1987年に急死した後は、その横に埋葬されたそうです。

つまり、先の記事のDNA鑑定で提供された遺伝子は、この3人の息子さんの家系のモノだったのですね。今、どこでどうしているのでしょう? 矢張り、好奇の目にさらされまいと、ひっそりと生きているのでしょうか。

スポンサーリンク

南如水・記

 




1位 西郷隆盛49年の生涯!


2位 ホントは熱い!徳川家康


3位 意外と優しい!? 織田信長さん


4位 直虎の後を継ぐ井伊直政とは?


5位 毛利元就の中国制覇物語


6位 伊達政宗さんは史実も最高!


7位 最上義光 名将の証明


8位 最期は切ない豊臣秀吉


9位 史実の井伊直虎とは?


10位 もしも戦国武将がサッカー日本代表だったら?


武将ジャパン・TOPページへ戻る



-週刊武春, ドイツ, アメリカ
-,

Copyright© BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) , 2017 AllRights Reserved.