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週刊武春 豊臣家

「秀吉は卑しい人間」 豊臣恩顧の代表格・加藤清正が大暴言だとぉお!?

更新日:

 

朝鮮の王子2人を捕虜にするなどの戦功をあげたが…

豊臣恩顧の代表といえば、熊本城でお馴染みの加藤清正であろう。
秀吉と同郷で、賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いに七本槍のひとりとして活躍した後、肥後(熊本県)半分の大名に大抜擢。地震があったときには秀吉のもとに手勢を率いて駆けつけるなど、忠臣中の忠臣と考えられている。

ところが、福岡女学院大教授の佐島顕子さんが2013年、中国の明に残る史料に清正が爆弾発言していたのを明らかにした。

問題発言が出たのは、悪名高い秀吉の朝鮮出兵のとき。戦国のつわものたちは「もう日本統一したんだからお茶でも楽しもうよ」と思いながらも、しぶしぶサルに従っていた。

一方で秀吉は「大陸を支配する」などとのたまい、実際に軍勢を派遣してしまった。いわゆる文禄の役である。

清正は1万の兵を率いて、破竹の勢いで進軍。朝鮮の王子2人を捕虜にするなどの戦功をあげたが、豊臣軍全体としては明の援軍の到来や兵粮の確保と維持が難しく、半島南端へ撤退せざるをえなくなる。

同じく肥後半国を与えられたキリシタン大名の小西行長や石田三成が朝鮮の宗主国・明と和解交渉を進めた。

朝鮮出兵の折には現地で“虎退治”したことでも知られる清正公/wikipediaより引用

朝鮮出兵の折には現地で“虎退治”したことでも知られる清正公/wikipediaより引用

 

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関ヶ原の東軍参加も簡単に説明がついてしまう!?

秀吉はこのとき「明の皇帝のお嬢さんをくれ」とエロおやじぶりな無茶な要求をした。しかも二人。どんだけエロやねん。

困った小西行長は「皇帝の娘はきたけど途中で病死したんで、代わりに馬300匹もらいましたということにしておかない?」と、明の使者と秀吉に内緒で裏条件を提示して危ない外交を行った。
ほかにも、小西は「さっさと戦争はやめて、明と貿易して儲けたい」という考えだったので、秀吉の要求をことごとく勝手に取り下げた。

文禄の役における加藤軍の進路/wikipediaより引用

文禄の役における加藤軍の進路/wikipediaより引用

 

これに感づいて、小西の外交方針を批判したのが清正だった。

「神にも近い秀吉さまの意向を勝手に変えやがって!」

なんて血相変えたとされているが、実際、清正が接触した明側の記録をひもとくと……。秀吉を日本国王に任命(明皇帝の臣下になること)するという明の意向を聞いた清正は

「は? 日本には天皇という王がいるぜ。そもそも秀吉は出自のいやしい人間で、今だけ日本の西半分に号令をかけられるに過ぎないんだよ」

と、かなり辛口な秀吉評を伝えているのだ。

異国の地で秀吉に振り回されていたとはいえ、敵の使者にそんな心中をばらすなんて。とても忠臣とは思えまい。

清正は、秀吉と同郷で、貧しいころも目の当たりにしているだけに、本心ではバカにしていたのかもしれない。だとすれば、戦国で大きな謎の一つとされる、関ヶ原への東軍参戦も説明がつく。

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文/川和二十六

 

 




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