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週刊武春 織田家

【実るほど頭を垂れる信長かな】出世をしても調子に乗ったりいたしませぬ

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うつけものやら魔王やら、粗野なイメージの先行する織田信長

実際はかなりのジェントルマンであることを当サイトではたびたび報じてきたが、たとえば、その一例として相手に対する敬称も挙げられる。

紳士ですが、何か?(富永商太・絵)

(富永商太・絵)

 

細川藤孝とも最初は同じ立場だったが・・・ 

当時、細川藤孝(ふじたか)という戦国大名がいた。信長と彼が初めて出会った頃、2人は室町将軍の配下として同格だった。

ゆえに信長から細川宛ての手紙には「細川兵部大輔殿」と丁寧な役職(社長とか校長とか教授みたいな)を書いていた。もちろん相手に敬意を表してのこと。この時点では当たり前である。

間もなく2人の立場は一気に変わった。信長が副将軍を任命される(信長はそれを断る)ほど急速に出世を果たし、細川は部下になったのだ。
当然ながら上から目線で応じてもよいところだが、それでも信長は「藤孝!」とか「兵部!」とか呼びつけたりはせず、「兵部大輔殿」という敬称を続行したのである。

細川藤孝

風流人として知られた細川藤孝だけに、実際、信長からリスペクトされてた可能性も/wikipediaより引用

 

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秀吉の「人たらし」も信長直伝だったりして 

「猿!」

大河ドラマで竹中直人の秀吉を怒鳴りつけていた、渡哲也の信長からは考えられない態度であろう。
こうした腰の低い態度に細川藤孝などは心酔していたというが、一方で「信長って甘いやつ」とナメられ、松永久秀や荒木村重などのように反乱を起こす部下もいた。

それでも信長はジェントルマンであり続けたのである。

秀吉に対しては「猿」ではなく、「禿げネズミ!」と呼びつけていた。ただ、これには愛情が込められていた。というのも、信長の強烈なネーミングセンスは部下だけでなく、自分の息子たちにも手加減なかったからだ。

嫡男に「奇妙」、次男は「茶筅(ちゃせん)」、続いて「坊」、「大洞(おおほら)」「小洞(こほら)」「酌」「人」「良好」である。最後の「良好」君がすばらしく見えてしまうほど、ぶっとんだラインナップであろう。

他人にはジェントルマンで、身内や親しい人間には、茶目っ気たっぷりのネーミング。人たらしと呼ばれた豊臣秀吉は、案外、信長の人心掌握術を学んでいたのかもしれない。

 

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