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週刊武春 豊臣家

殺生関白・豊臣秀次に対し、豊臣秀吉は切腹の命令など出していなかった!?

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豊臣秀吉は晩年に「ご乱心」したといわれる。

朝鮮出兵しかり、千利休の切腹しかり。中でも異様なのは、後継者に一度は任命した甥の関白・秀次一族を根絶やしにしたことだ。
しかも、子供ができないから親戚を後継者にしたけど、そのあとで息子(秀頼)が生まれたから「消して」しまったという、ひどい理由が定説になっている。

ところが、この一件は濡れ衣だとの説が最近出されている。

殺生関白と称される豊臣秀次/Wikipediaより引用

殺生関白と称される豊臣秀次/Wikipediaより引用

 

単なる謹慎命令だったのに本人が逆上して自殺?

濡れ衣というのは他でもない。もともと、謀反の噂を聞いていた秀吉は単に「高野山で謹慎していろ」と命じただけなのに、当の秀次は「オレは無罪だ。死んでそのことを示す」と勝手に自殺してしまったというのだ。ある意味で命令違反である。

しかも切腹した場所が、秀吉の大好きなお母さんのためにわざわざ寄進したお寺だったのが大問題。秀吉はこのことにキレて、秀次の妻や小さな子どもまで残忍に処刑したというのだ。

 

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切腹命令書を届けるのは時間的に無理がありすぎ

この説は、国学院大准教授の矢部健太郎さんが唱えるもので、以下のような説明で定説を覆している。

7月12日に秀吉は高野山の僧侶に秀次のための料理人や世話係を用意するよう頼んでいる
7月13日に石田三成らが署名した切腹命令書がある
秀次は7月15日に切腹している
ところが、京都から高野山まで山道含めて130キロもあり、3日はかかる
「切腹命令書」を届け、さらに切腹までさせるのは時間的にムリがあるし、数日後に死なす人に料理人を付けるだろうか

さらに、「関白殿 昨十五日の四つ時に御腹切らせられ候よし申す 無実ゆえかくのこと候のよし申すなり」(御湯殿上日記)という史料があり、これまでは、「御腹切らせられ」を「秀吉が切らせた」と解釈していたが、「関白殿(秀次のこと)」という朝廷最高位の人物の行為なので、尊敬語の「お切りになられた」と読めば、スンナリこの新説が理解できるというのだ。

 

秀次自身も「殺生関白」というあだ名があるほど、キレまくる性格だったので、最期は自分に刃が向かったとしたら納得もいくだろう。

秀吉と秀次、どっちが先にキレたのか。もしも秀次がそのまま豊臣家の後を継いでいたら、徳川家康浮上の目はなかったとも言われるだけに、注目の「IFシナリオ」である。

 

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