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毛利元就を大大名に押し上げた『厳島の戦い』 勝因は元就の謀略ではなく女性だった!?

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地方の豪族から一気に数か国の大大名にのし上がった毛利元就

「三本の矢」が実はウソという話は当サイトでも既に報じているところなので、本日は元就が大きく羽ばたく契機となった「厳島の戦い」に注目してみたい。

(絵 富永商太)

(絵 富永商太)

陶の大軍を前にして、元就は半ば諦めていた……

この戦いは名前のとおり、世界遺産・厳島神社のある「安芸の宮島」で行われた決戦だ。

1555年(弘治元年)9月、クーデターで大内氏のトップとなった陶晴賢(すえはるかた)が宮島へ上陸。大軍であった陶隊は、中国地方で初めて鉄砲を持ち込むなど、毛利に対しては圧倒的な戦力差を保有し、油断もしていた。

実際、元就は対岸でなすすべなく、陶隊が宮島を蹂躙するのを眺めているしかなかった。

そこへ現れたのが、瀬戸内海3大水軍のひとつ・来島村上水軍である。2~300艘の船で到来し、一気に形成が逆転して陶隊は全滅となった。

この勝利は、『毛利家に裏切り者が出た』というニセ情報を元就が流し、陶晴賢の大軍を島に上陸させたのが勝因とされている。

が、勝因が来島水軍であることは明白。

なぜなら、来島水軍が来る直前、宮島が陥落寸前となったときに元就は「今となっては来島もなにもいらない」と捨てぜりふを吐いているのである。

もう半ば諦めていたのだ。

 

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軍事だけでなく物流や経済も握っていた水軍のチカラ

しかし、元就の敵・陶隊で要職に就いていた弘中隆兼は、やってきた来島の大水軍を見て、「船の数は限りない。こうなっては、是非に及ばず候(仕方ない)」と諦めている。

それほど決定的だったワケだが、これには当然ながら理由がある。

そもそも、「水軍が味方した」というのは、単純な軍事力だけの問題ではない。

村上水軍は瀬戸内海の物流も担っていた商売人で、つまり同地域の海運全般を担っており、現代の海賊的イメージよりずっとチカラを有していたのである。

ただし、その支配地域は主に水上に限られるため、本来は、どちらかの大名勢力に加担するリスクはあまり取らなかった。ましてや、来島氏は四国の大名河野氏の家臣でもある。普通は毛利方には付かない。

そんな水軍を動かしたのが、女性だった。

実は、元就は厳島の戦いの前年、一族の娘を来島氏と婚姻させることに成功させていた。この娘が実家と水軍を結びつけるため、必死に説得したと目されるのだ。

このことが判明したのは、最近の歴史研究の賜物。男達の華々しい活躍に隠れてしまいがちな女性たちこそが、戦国でのし上がっていくのに必須の条件だった。

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