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週刊武春 アメリカ

植村直己さんが命を落とした北米最高峰マッキンリー山、名前を「デナリ」に変更

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アラスカのマッキンリー山といえば、北米の最高峰として知られ、また、あの探検家の植村直己さんが命を落とした悲劇の高峰として日本人にも知られています。

そのマッキンリー山が8月30日付け(アメリカ現地時間なので本日)、名前をデナリ山と変えました。実に命名118年目での、文字通り歴史的な変更とあいなりました。

アラスカ・ディスパッチ紙が報じています(2015年8月30日付)。

大統領の名前から先住民族の言葉に

デナリというのは、先住民族のココユン族やアサバスカ族の言葉で「偉大なるもの」といった意味です。1897年に、山の名称を募集していた所、金鉱を探していたウィリアム・ディッキーという人物が、日の出の勢いがあり大統領に選出されようとしていたウィリアム・マッキンリーにちなんで「マッキンリー山はどうか」と提案し、採用されたのだそうです。

かねてから名称変更運動があり、地元のアラスカ州では乗り気でした。一方、命名の由来となった大統領を選出したオハイオ州の議員からは反対意見が出るなど、もめていたのですって。

以下、ウィキペディア日本語版より引用。

ウィリアム・マッキンリー(William McKinley, 1843年1月29日 - 1901年9月14日)は、第25代アメリカ合衆国大統領。最後の南北戦争従軍経験者の大統領であり、19世紀最後かつ20世紀最初の大統領。

1880年代までにマッキンリーは共和党の全国的指導者であった。彼の選挙戦のテーマは、1890年のマッキンリー関税に代表されるような、繁栄のための公式として高率輸入関税を導入することであった。1896年の大統領選における共和党候補として、彼は対抗馬の民主党候補ウィリアム・ジェニングス・ブライアンに対して金本位制を掲げ、人種間での多元論を促進した。彼の選挙戦はマーク・ハンナによって指揮され、新たな選挙戦の広告スタイルを導入し、キャンペーン技術は最大のライバルであるウィリアム・ジェニングス・ブライアンを打ち破った。1896年の大統領選は「進歩の時代」の始まりを示した再編の選挙であるとしばしば考えられる。

マッキンリーは大不況 (1873年-1896年)特に1893年恐慌後、回復に向けて国を率い、金本位制を導入した。彼はスペインに対し、キューバでの蛮行を止めるように要求した。アメリカ合衆国の世論はスペインに対する憤慨で沸き立っていた。そして1898年、米西戦争が勃発した。戦争はアメリカの勝利で終わった。アメリカ軍はスペイン艦隊を壊滅させ、90日間でキューバとフィリピンを占領した。1898年のパリ協定の結果、スペインの植民地であったプエルトリコ、グアム、フィリピンはアメリカ合衆国に併合され、キューバはアメリカの占領下に置かれた。米比戦争そのものに対する支持は広範囲に及んだが、民主党とアメリカ反帝国主義連盟は共和制の価値が失われることを恐れて、激しくフィリピンの併合に反対した。マッキンリーはまた、1898年にハワイ共和国を併合、同国の全ての居住者がアメリカ国民となった。マッキンリーは1900年の大統領選で再びウィリアム・ジェニングス・ブライアンと争った。ブライアンは外交政策と繁栄の復帰に焦点を合わせた激しい選挙戦を展開したが、マッキンリーは再選を成し遂げた。マッキンリーは1901年、無政府主義者のレオン・チョルゴッシュによって暗殺された。彼の後任は副大統領のセオドア・ルーズベルトが引き継いだ。

ちなみに、本人は生涯1度もマッキンリー山を直に見る機会は無かったそうです。

有能かつ悲劇の大統領であり、地元のオハイオ州にしたら名を残してあげたいという思いがありました。アラスカ選出の議員が「名前を変えましょうよ」と提案するたびに反対し、それが延々と続いていました。

それに終止符を打ったのがオバマ大統領。名称変更令に署名しました。アラスカのアンカレジを訪問する24時間前にサインしたとの事ですから、話題作りの意味があったのかもしれませんね。

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アラスカでは「デナリ」が定着

山の外堀は、かなり前から埋められていました。所属する公園の名前はデナリ国立公園という名前になっていたからです。それも1980年の話。公園の面積は600万エーカー(約2万4000平方キロ)という広さ。ついでだから、目玉である山の名前もデナリに変えようよという動きは、この1980年にあったそうです。また、75年には当時のジェイ・ハモンド州知事が変更を提案していました。いずれも実現しませんでした。

というのも、1947年に制定された連邦法で、地理名称を変更するにあたってはアメリカ地名委員会の承認を得なければならないと定められていたからです。で、その委員会が動くには議会の承認を得なければならないのですが、こちらには先延ばしする権限がありました。

毎年のようにアラスカ選出の議員が名前を変える提案を出すものの、それをオハイオ州選出の議員が阻止するという状況が続いていました。実に35年にも渡っていた格好ですから、これもこれで1つの歴史ですね。

「私もそうですけど、あの山はデナリ山だと思う人が多かったと思います。アラスカの人にしたら、とうとうこの日がやってきたってところでしょう」と話すのは、オバマ大統領ともどもサインしたアメリカ内務省のサリー・ジュエル長官。

アラスカの議員は大喜び、野党なのに(苦笑)

35年目の夢の実現とあって、アラスカ選出の議員は大喜びだそうです。リサ・ムルコウスキ上院議員は「大統領が我々と共に働いて下さり、この重要な名称変更を達成なさってくれた事に感謝したい。アサバスカ族の名誉と敬意を尊重なさって下さった」と、わざわざ山の下に行ってビデオ録画演説していたそうです。また、ダン・サリバン上院議員も「デナリはアラスカ州並びに州民に帰属します。命名権はアラスカの先住民族にも及びます。かく言う私の妻の家族が、そうした先住民族出身なのです。数十年に渡り、アラスカ州民と議会代表団は、デナリを本当の名前として政府に認めさせる戦いを繰り広げてきました。大統領が尊重なさって下さった事を、心から喜んでおります」。

ちなみに、お二方とも共和党選出。マッキンリー大統領と同じ党なんですけど、そんな細かい話はどうでもエエのでしょう(笑)。野党の議員が与党の大統領に感謝するなんて、変なの。

ジュエル長官によると「然るべき時間が経てば」正式決定できる権限が政府側にあるとの事。今回の署名は、それに基づくわけですね。「40年もの歳月は、然るべき時間と考える人が多いのでは。だから今、この変更を喜んで行いたいのです。今回オバマ大統領がアラスカ州訪問にあたり名前を変えて下さる決断をなさった事を喜んでおります」と話しています。
オハイオ州も白旗ですな。なお、大統領もジュエル長官も、山を訪れる予定は無いそうです。もっとも、長官は登山が趣味だそうですので、今後はアタックリストに入れるかも?

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