現代に甦った「ガチ甲冑合戦 真田丸攻防戦」 リアルな戦いを求める現代武術家たちの激熱を感じよ

 

【編集部より】

甲冑をまとった武士たちがリアルに戦ったらどんな戦闘になるのか?

魚鱗の陣や鶴翼の陣など、ゲームではお馴染みの戦闘部隊はいかに機能するのか?

本稿は、以前当サイトに掲載させていただき、大きな反響を呼んだ【現代に甦った「ガチ甲冑合戦」が本気すぎてマジ痺れる! 真田軍対伊達軍の道明寺合戦も再現】の続編である。

 

「いざ」という場面で人々の恐怖心理や、そして武器としてはお馴染みの「刀」がまるで役に立たないなど、リアル過ぎるその報告に興味を抱いた人は少なくなかったであろう。

今回は戦闘の舞台を【真田丸】と想定し、鉄砲も用いてのガチ甲冑合戦が行われた。

代表・横山雅始氏のリポートに、再度胸を熱くされたし――。

真田鉄砲隊1

 

真田丸の攻防戦とは一体どんな戦闘だったのだろう?

真田丸とは、本来、大坂城の南に建てられた砦(小さな城という説も)であり、大坂冬の陣で最も激しい局地戦が行われた場所だ。

最近は、大河ドラマのタイトルと勘違いされる方も多いようだが、実際はあくまでイチ砦の俗称であり、大坂冬の陣での戦闘は真田丸を含めた大坂城南側の広域で行われている。

規模や形状、構築された場所など、真田丸の詳細は未だ不明。ただし最近は研究が進み、小高い丘陵の上にあった寺社群を取り込んで建設された“独立した砦”と目されるようにもなっており、推定規模からして砦というより小さな城とも称される所以となっている。

前田勢、槍足軽隊

では、そこで一体どんな戦闘が行われたのだろうか?

一般的な解説によると、大坂城を包囲した徳川勢のうち、加賀・前田利常の部隊が真田丸前面に展開。一方、砦を守る真田信繁の将兵は約5,000名であった。徳川家康は、この利常に対し、いたずらに突撃することなく、塹壕を掘って防塁を構築するよう命じている。

しかし、真田丸の前方には「篠山」と呼ばれる小さな丘もあったとされており、ここに兵を送り込んだ真田は塹壕を掘り始めた前田勢を狙撃、作業を妨害しつつ挑発したのだった。

前田勢は、篠山からの狙撃に戦力を削がれ、塹壕を掘ることもままならない。

そしてついに、前田の将・本田政重と山崎長徳らが挑発に乗ってしまい、篠山そして真田丸に攻めかかってしまう。待ってましたとばかりに、篠山にいた真田の将兵は真田丸へ撤収。勢いづいた前田勢が突進してくると砦・真田丸に充分に引き寄せて激しい銃撃を浴びせ、多大な損害を与えた。

このとき前田利常は、将達が勝手に攻撃したことに驚き、急いで兵を撤収させようとしたという。

しかし、将兵たちは鉄砲から身を守るための「鉄楯」や「竹束」などの防弾具を持たず、無謀な強行突破を試みたため更なる混乱を招いてしまい、その被害も甚大であった――。

今回、私がリポートするガチ甲冑合戦・真田丸攻防戦は、これを再現しようというものである。

 

参加者は約100名 フランスやアジア地域からなども

6月5日、和歌山県橋本市で行われた【ガチ甲胄合戦・真田丸攻防戦】は、上記のような歴史上の出来事を踏まえ、我々オリジナルのフィクションも交えて構成。

槍足軽隊は一般応募者で編成し、NHKの女性レポーターや、フランス・アジア地域などから外国の方々も多数参戦して、総勢約100名となった。

ガチ合戦7月23日真田丸攻防戦

7月23日には、東京お台場フジテレビ夢大陸とのコラボイベントも開催される

橋本市の会場には、真田丸の壁面を模したセットを構築し、前方に置盾を設置した。

戦闘の開始は、真田鉄砲衆が置盾に隠れながら前田勢を狙撃、煙幕を発火して投入する。これに我慢できなくなった前田家の将・本多政重、山崎長徳たちが反撃を開始した。

鉄楯を持って雁行之陣で前進する前田軍鉄砲遊撃隊に対し、真田方は、真田丸とその全面の置楯の両方から銃撃砲撃を浴びせる。思うように前進できない前田軍には焦りが見え、ついに前田鉄砲隊は後退した。

銃撃戦

煙幕

ここまでは、予定通りのストーリー。問題はこの先、ガチ甲胄合戦である。ストーリーはあっても、何が起こるかは全く予測できない。

一瞬、真田軍の銃撃が止んだのを機に、前田軍の槍足軽隊が魚鱗之陣を組んで置楯めがけて突撃を開始する。

一般公募の槍足軽隊約100名が激突!

真田軍の槍足軽隊は前田勢の攻撃を防ぎ、置楯を壊されないように必死で戦った。

激突1

 

士気が脆いと平たく崩れる魚鱗之陣の有効性

しかし、ここで意外なことが起こった。

私は敵の陣形が魚鱗なのだから、先端部分から錐をもみ込むように突入し、置楯を倒し、こちらの防衛線を突破して陣中深く潜入して、自軍を二つに分けてしまうかも知れないと危惧した。

そこで、魚鱗の先端が向けられた置楯列の中央部分の兵力を強化し、私もその後ろで指揮を執る。

魚鱗之陣で進む前田勢

魚鱗之陣で進む前田勢

実に前田勢は最初は強烈な勢いで、私達の置楯列の中央部分にぶつかってきた。私達の置楯は2人一組で槍足軽たちに守らせ、一人が楯を槍で押さえ、一人が敵の槍を落とす役目だった。

ところが、敵の魚鱗は私達の中央の防衛が強固だったので、自然に平たく広がり、結果として置楯の列全体に敵兵力が薄平く伸びた形となってしまう。すなわち、魚鱗之陣は、向かい合う敵の士気が低かったり、戦力が弱い場合には中央突破も能うが、逆に相手の士気が高く、その戦力が自軍に拮抗する場合は平たく伸びきってしまい、かえって不利となることがわかった。

前田勢の槍足軽隊は、攻めては引き、また攻めるという波状攻撃を行い、それは3回に及んだ。その度に魚鱗の形態は脆くも崩れ、平たく伸びきったのである。そして4回目の前田勢の攻撃は、鋒矢之陣の応用で、魚鱗之陣を組んだ槍足軽隊の後ろに遊撃隊が隠れた形をとった。

置楯守る真田勢

 

一番槍の功名など絵空事といえる

これを見た真田勢の将・堀田作兵衛役の私は、先手を取るべく真田の遊撃隊を押し出し、前田勢の遊撃隊に合戦場の中央あたりでぶつかった。

槍足軽隊が叩き合うのを横目に見ながら、遊撃隊同士が何度も激突する。

が、一向に勝敗が決まらない。

置楯守る真田勢2

こうした、集団戦の場合、敵に最初に突入した兵は、絶対に集中攻撃を受けて倒される。

一番槍の功名など絵空事といえる。

皆それを知っているので、小競り合い程度の繰り返しになるのだが、三度目のぶつかり合いあたりから、将兵の疲れと焦りが見え出し、突入する兵も増えてきた。

私自身、横で戦う槍足軽隊の攻防の状態を確かめようとしたが、全く目を向ける余裕がなくなった。映画のようにゆっくりと周りを見回して指揮をとるなどとてもできなかったのは今回だけではない。

2回目のぶつかり合いで自分の前に立った槍足軽隊の足軽を槍で突き倒したが、これも敵の足軽が走り込んでくるなど全く想定していなかった。

前田兵を槍で倒す真田兵

敵の槍足軽が私たち真田の遊撃隊に向かって来るということは、味方が不利な状態にあると判断。

要するに敵に押されている――。

そして3回目のぶつかり合いになった。私たち真田の遊撃隊は真田丸前面の置楯の前まで、押し戻されていた。真田の槍足軽隊がどこで戦っているのかさえ見る余裕がない。ひょっとして槍足軽隊も押し戻されているのだろうか……。

そんなことが、ふと脳裏に浮かんだ瞬間、畳具足を着けた前田勢・遊撃隊の兵士の槍先が私の胸に向かってくるのが目に入った。とっさに槍先を払い、十字槍の鎌を彼の首に引っ掛けて引き倒し、膝で抑え短刀で止めをさす。

しかし、こんな事をしている間に他の敵に刺されるかも知れないという不安がよぎる。

私はできるだけ早く周囲を確認したいということしか頭に浮かばなかったし、左右に気を配ると、赤い具足の味方一人が組み伏せられ、もう一人が蹴りを食らって動きにくそうだった。

一騎討ち6

これ以上は無理だ。そう判断した私は咄嗟にと大声を張り上げた。

「引けー! 真田丸に引けー!」

 

指揮は高台で冷静に 自らが戦ってはならぬ

本来のシナリオは、真田遊撃隊が有利に戦っているにも関わらず、急に真田丸に撤収し、敵を誘う予定だった。

が、現実はそう上手くいかない。

かくして後日、記録した動画を観ると、真田と前田の遊撃隊同士は5分5分とで戦っていて、そんなに真田軍は負けてはいなかった。戦闘場所が真田丸近くにずれ込んでいただけだ。

要するに私自身も冷静な判断力を失っていたということであり、軍師は高台で戦場全体の動きを眺めて、指令を出す重要性を痛感する。戦いの場に自らが下りてしまうと周囲が見えなくなり、正しい判断ができないのだ。

 

ガチ甲冑合戦の華 一騎討ち

団体戦が終わり、一騎討ちをするためのシナリオが入る。

真田丸に引き上げた私たちは、再突入を試みて魚鱗之陣を組む前田勢に鉄砲の一斉攻撃を食らわした。すると、これに困惑した前田勢の将・山崎が殿(しんがり)を引受け

「真田は鉄砲しかできぬのか。一騎討ちはどうじゃ!」

と挑発。大坂の陣で信繁(幸村)が「関東に男はいないのか」と徳川勢に放った言葉を逆に見舞われたカタチであり、ここまで言われて引き下がる場面ではない。

一騎打ち也――。

歴史上、この一騎討が行われたという記述はどこにも残されていない。

が、真田勢はあえて前田勢の挑発に応じ、数組みの対決を行なうことにした。

むろん、この一騎討もガチだ。何組が勝てるのか。まったく予測できない危険な賭けだが、幸運にも勝利回数は真田勢が多く、一応、我々の勝ちということで面目は保つ。

一騎討ち2

なお、最後のひと組は、長丁場の槍勝負から組討となり、一瞬で前田勢兵士の投げが決まった。最期は短刀でトドメ。今回のガチ甲冑合戦の集団戦も一騎討も、得物の出番は「槍」か「短刀」しかなく、刀は腰の飾りでしかなかった。

 

戦国時代の将兵たちも恐怖心から防具を工夫した!? 

ここで1枚の写真をご覧いただきたい。白い服装の足軽の装備に何かお気づきになっただろうか。

戦場のメンタル

実は、頭に鉢金を巻き、陣笠をかぶっている。

戦場のメンタル2

2重の防御だ。

具足は前後を逆にしている。これは、決して本人が装備のつけ方を知らなかった理由ではないと思う。一般応募者の一人で、事前に私たち日本甲冑合戦之会のメンバーが装着方法を説明したり、手伝ったりしている。その際、本来であれば、頭には鉢金か陣笠のどちらか一つだけをつけてもらっているのだが、結果的にこうなっていた。

具足のつけ方を熟知しているはずの日本甲冑合戦之会メンバーでも、いざ本番の直前に具足を装着すると、前後逆にしてしまう方がおられる。

これはおそらく、後の方が前よりも装甲の面積が広いからではなかろうか。興奮や緊張そして恐怖があると本能的に防御力の大きい方を前に持って来たくなり、前後を逆に装着してしまう。頭部もそうで、二重三重に防御をしたくなる。もちろん、これによって機動力は落ち、動きにくいのは言うまでもない。

それでも戦国時代も、同じ状況だった気がしてならない。

当時の具足は、裕福な者は自前の甲冑などを用意できたが、そうでない者は大名からの支給品を身に着けていたという。その際、今回のような工夫、それは恐怖からくるものだが、同様に防備をたかめようと自ら考えて装着した将兵たちが多数いた。そう考えるのが自然……。

たとえば篭手に天保通宝を大量に縫い付けて強化したり、眉庇を二重にしたり。数々の工夫があったように思えてならない。

槍戦2

 

7/23にお台場で真田丸攻防戦part.2を開催!

ガチ甲冑合戦の開催を通じてリアルに戦うことで、私は戦国時代の謎に少しでも迫れればと考えている。

そして、より多くの方々に華やかな戦国武将だけに目を向けるのではなく、合戦のリアルにも目を向けていただきたこうと、『ガチ甲冑合戦でわかった実戦で最強の日本武術』という本を執筆させていただいた(東邦出版より発売)。

これは日本武術について語るというより、戦国時代の合戦の謎に迫るという趣旨の書籍である。

そして更に、今回は、「夏に甲冑をつけて合戦ができるのだろうか、どんな合戦になるのだろうか」という試みを、本年7月23日、東京お台場「船の科学館広場」で行うこととあいなった。

フジテレビ夢大陸とコラボしたイベント『ガチ甲冑合戦・真田丸攻防戦part2』は、格闘技の巌流島事務局の絶大な尽力のもとに開催にこぎつけた。

ご興味をお持ちの方は、ぜひとも会場へ足を運んでいただきたい。

 

文・横山雅始

筆者プロフィール

NPO法人 国際武術文化連盟 代表
日本甲冑合戦之會 代表
制圧術門同流兵法 宗家
実戦護身術 功朗法 総師範

1954年2月6日 兵庫県神戸市生まれ

フランス功勲促進委員会より貢献十字勲章
フランスにて名誉市民賞
国際タクティカル防衛機構 優秀会員賞
全日本武道連盟その他武道団体より賞・感謝賞他

フランス国家憲兵隊・治安特殊部隊やイタリア警察およびほかヨーロッパの武道団体の招聘により制圧術門同流兵法や実戦護身術功朗法を指導

連絡先
本部道場:大阪市城東区鴫野西2-17-21
メール info@koroho.jp

ホームページ http://www.koroho.jp/

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