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週刊武春 中国

曹操の墓はどんな状態で見つかった? 乱世の奸雄が1800年の眠りから覚めるとき

更新日:

建安25年(220年)、1月。
中原を駆け巡った一代の英雄・曹操は、ついに最期の時を迎えんとしておりました。

「非常の人、超世の傑」と評された彼は、思えば戦いに明け暮れた半生。
粉骨砕身して天下を統一という志を果たせず逝くことは、心残り以外の何ものでもありません。

「天下はまだ乱れているのだから、葬儀はしきたり通りにはできない。埋葬が終わったら服喪をやめろ。軍団を統率している担当者は部署を離れるなよ。官吏はそれぞれ仕事をしろ。遺体を包むのは平服でよい。金銀財宝を墓の中にはおさめるな」

2月、実に彼らしい合理的な遺言を残し、曹操の墓となる「高陵」に葬られたのでした――。

 

時代が進み、曹操の悪評が増すに連れ、あらぬ噂が囁かれるように

日本にも知られる稀代の人物だけに、その墓はさぞかし後世の人々によって手厚く加護されていたのだろう。
と思いきや、曹操の墓・高陵は、南北朝時代(5-6世紀)になるとうっそうとした樹木に覆われ、見る人々に栄枯盛衰の虚しさを感じさせるものと化していたそうです。

更に時代が降るにつれ、三国志作品で悪役とされるようになった曹操に対し、その噂をも楽しむようになった人々は、次第にこんなことまで囁くようになります。

「曹操は自分の墓に入れた財宝を盗掘されたくないかなら、72基ものダミーを作ったんだって!」

これは北宋の政治家・王安石の漢詩『疑冢』に既に見られる記述です。王安石自身が考えたのか、そういう噂を耳にして書いたのかはわかりませんが。

さらに伝説には尾ひれがつきます。

「曹操の墓を見つけて盗掘に入った命知らずがいたらしいが、その男は恐ろしい罠にかかって死んでしまったらしいぞ」
「曹操ほど悪知恵のはたらく男なら、千年経とうと作動する罠ぐらい、そりゃあ仕掛けるだろうよ」

人々の想像の中で、デストラップダンジョンと化した曹操の墓。
質素に埋葬すべし――という遺言まで残していたのに、どうしてこうなった!

こうして彼の墓は長いこと謎につつまれ、発見されることはありませんでした。実態不明のまま、「なんだかよくわからないがヤバイらしいぞ、だってあの曹操だし」と思われ続けていたのです。

そして2008年。
曹操の死からおよそ1800年を目前にして、その墓がついに発見されたのです!

 

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盗掘から墓を守れ! 発掘調査開始

中国河南省安陽市安陽県安豊郷西高穴村。2008年、この小さな村で発掘調査が行われていました。

誰のものかはわからない。
されど何やら重要な人物らしい。
発掘者たちは一定の感触は得ていたそうです。

一応、曹操の墓の位置は、21世紀初頭には「なんとなくこの辺」というのがわかっておりました。魯潜という人物の墓誌に「この墓は曹操の墓の側にある」と記されていたからです。

しかしそう簡単に発掘はできません。
中国の文物保護法では保存が第一。これは、VIP級帝王の墓は発掘過程で破損するとまずいから「むやみに掘り返すなよ」ということであります。

そうこうしているうちに、2007年末、西高穴村に盗掘者が出没している、という情報が入ります。
夜な夜な響く爆発音は、おそらく彼らの仕業だったのでしょう。

状況が一変するのは2008年秋のこと。取締に動いた警察が盗掘者から状態の良い画像石を押収し、学者の鑑定に回すと驚くことが判明します。

典型的な「後漢末様式」の遺物でした。

誰の墓かはわからない。しかし、このまま盗掘を続けられたら重大な損失となってしまう。
そこで同年末、この遺跡は「西高穴」と名付けられ、ついに本格的な調査が始まったのです。

西高穴は曹操の墓か!?/wikipediaより引用

 

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石碑に刻まれた「魏武王常所用挌虎大戟」

「西高穴」は1号墓、2号墓とに別れておりました。
ボーリング調査を行い、慎重に墓室へと入ったのは「潘偉斌」氏率いる調査隊。2号墓には既に盗掘用の坑が空いており、墓室内には盗掘者が掘り返した土が堆積しておりました。

これを取り除くだけで一苦労の調査隊は、更に発掘を進め、やがて男性の頭蓋骨を発見します。
鑑定の結果、骨は60歳前後の男性のもの。残念なことに棺から取り出されていて土に埋められており、圧迫により割れている始末です。

さらに調査は続きます。
鉄の甲冑や陶器の破片、鉄器が出土。そして、とある石碑にぶつかりました。
調査隊のメンバーたちが心臓をバクバクさせながら刻印を読んでみれば……。

「魏武王常所用挌虎大戟」

魏の武王……の戟(げき・槍のような当時の武器)……つまりは……。

なんてことだ!
これは曹操だ!
ついにあの曹操の墓を発見したぞ!!

世紀の大発見を前にして調査隊は興奮し、飛び上がって喜んだのでした。

 

死せる曹操の墓、中国考古学界を騒がす

ナゾだった曹操の墓がついに見つかった。こんなビッグネームの大発見は滅多にないこと。
2009年12月に結論づけられると、歴史ファンは喜びました。

しかし、同時に起こったのが真贋論争です。

「本当にこの墓は曹操のものなのか」
「そもそも死後の諡号である『武王』が刻まれているっていうのがおかしい。誰かが意図的に刻んで置いたのでは?」

調査隊が決定打と判断した「魏武王」の文字がかえってツッコミどころとされたのです。
それに、中国史には「魏武王」という諡号の持ち主は他にもいます。

冉閔(五胡十六国時代の冉魏の初代天王)
姚襄(五胡十六国時代の羌族の部族長)
彼らの可能性がないわけでもありません。

他にも夏侯惇の墓という可能性も指摘されています。
夏侯惇は、曹操の忠実な重臣として知られた人物ですから「魏武王」の所有した武器を、副葬品としておさめることは考えられる話。彼の墓からそう書かれた石碑が出てきても不思議はないのです。

その他にも、
・文献に記された場所と一致しない
・墓誌や印章が出てこない
・周囲に功臣の墓がない
といった不備が指摘されます。

なんだか重箱の隅をつつくような感じですが、歴史のニセ発掘は日本でもかつて話題になったように、遺物の審査は慎重を要するものであります。
発掘された証拠だけではちょっと弱い。そう指摘されても仕方なく、更には事前に、盗掘者が多くの副葬品を持ち出していたのも痛い損失でした。

しまいには
「曹操の墓なら観光の目玉になるから、話を作ったんでしょ?」
なんて、悪意ある推察まで出てくる始末です。

結局、考古学者の間では様々な論争がありながら、中国考古学界の結論は「本物」となりました。
ただし、発見次第ではこの結論が覆る可能性も否定できません。
文物の鑑定には時間がかかるものです。

 

誰の墓だろうと、結局は大発見なんですよ!

この発掘で判明したこともあります。

まず民間伝承の「曹操の墓には罠が仕掛けてあるので入ったら死ぬ」説。
発掘チームから死者は出ませんでしたから、あくまで伝承だったということですね。盗掘者の中にはひょっとして死者がいるかもしれませんが……。

そしてショックなのは曹操の頭蓋骨に踏んづけたあとがあったこと。

盗掘者が、
「こいつ曹操らしいぜ、憎たらしい奴だな! 踏んづけたれ!」
と、悪さでもしてしまったのでしょうか。何とも悲しいことですね。

悪いことのあとはよいことです。
曹操の墓がもたらす経済効果です。年間50億を超すという試算もあるとか。
そりゃあこんだけのビッグネームですからね。日本から三国志ファンが現地を訪れたって不思議じゃないでしょう。

更には「曹操の墓があるなら劉備があってもいい」と発掘に情熱を燃やす機運も高まっているとのことで、こうした現象は世界中の三国志ファンから見ても喜ばしいことではないでしょうか。

西高穴2号墓は曹操の墓なのか?

いや、これが誰のものであるにせよ、後漢時代に埋葬された貴人のものであることは間違いなく、それはそれで素晴らしい発見であることは確か。更なる調査が進んで、誰もが納得できる状態まで確定されれば嬉しいですね。

そして今度は劉備の墓発掘を期待したいです!

文・小檜山青

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【参考文献】

 




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