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まり先生の歴史診察室 明治・大正・昭和時代

夏目漱石と胃潰瘍「吾輩ハ胃弱デアル 特効薬はまだない」

更新日:

 

小さい頃、愛媛に住んでた馬ちゃん先生です。給食にポンジュース出てましたよ。

それはさておき、今回の患者さんは松山にゆかりのある文豪……といえば、そうです、夏目漱石さんです。

 

天然痘に虫垂炎、トラコーマ……と既往歴がパンパン

漱石は明治維新の前年、1867年の江戸生まれ。3歳時に天然痘にかかり痘痕(あばた)が顔に残りました。

出だしからヘビーですよね……。漱石の写真は左向きで右頬を隠したポーズが有名ですが、実はこれ痘痕を隠しているため。お見合い写真でも、その部分を修正するなど、かなり気にしていた模様です。

夏目漱石さんと言えばこのポーズ。よもや痘痕の影響だったとは……/wikipediaより引用

 

病弱だった漱石は、大学予備門に在学中、虫垂炎のため試験を受けられず留年。この頃、トラコーム(伝染性の角膜炎)にもかかっています。

その後、東京帝国大学を卒業し、高等師範学校の英語教師となりましたが、そこで肺結核を発症、さらに近親者の死も重なり神経質衰弱となります。

いったん、ここまでの病歴をマトメてみましょう。

既往歴)
3歳 天然痘
19歳頃 虫垂炎、トラコーマ
25歳頃 肺結核、神経衰弱

現代より栄養状態の良くなかった当時にしても、なかなか病弱な方だと思われます。てなわけで、話を進めましょう。

 

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飼い主の珍野苦沙弥は、まんま漱石さんです

明治33年、漱石は文部省の命令でイギリス留学をします。

その間、神経衰弱はさらに進行し、『漱石発狂』の噂が流れたため予定より早めに帰国。帝大と一高で教鞭をとった漱石でしたが、お堅い授業は不評、叱責した学生が入水自殺という中で精神衰弱は悪化していきます。

そんな時、知人から「小説を書くと気晴らしになり精神衰弱に良い」と勧められ、処女作『吾輩は猫である』を執筆しました。この時漱石は37歳、遅咲きの作家デビューです。

当初、吾輩は猫であるは1回読み切り予定で、俳句雑誌『ホトトギス』に掲載されました。

しかしこれが、予想を超える大好評! 結果、全11回の連載作品となるなど、まるで「ジャ○プの読み切り漫画が好評で新連載開始」ってな感じでありました。

さて、『吾輩は猫である』は、主人公の猫から見た人間観察がキモであります。猫の飼い主は「珍野 苦沙弥(ちんの くしゃみ)」で、中学校の英語教師。性格は偏屈なくせにノイローゼ気味で胃弱、と、まるで漱石自身のことが描かれております。

そして小説の中では胃腸薬を飲む、こんなシーンが……。

彼は胃弱で皮膚の色が淡黄色たんこうしょくを帯びて弾力のない不活溌ふかっぱつな徴候をあらわしている。その癖に大飯を食う。大飯を食った後あとでタカジヤスターゼを飲む。飲んだ後で書物をひろげる。二三ページ読むと眠くなる。涎を本の上へ垂らす。これが彼の毎夜繰り返す日課である。(『吾輩は猫である』夏目漱石)

ここに出てきた『タカジヤスターゼ』が胃腸薬なんですね。

成分は唾液などに含まれる消化酵素『アミラーゼ(ジアスターゼ)』で、でんぷんを糖に分解し、炭水化物の消化を助けます。ダイコンやカブなどにも多く含まれています。

タカジアスターゼは明治27年に麹菌からジアスターゼを抽出した「高峰譲吉」が、自分の名字から『タカ』をとり命名し特許取得をしました。そして胃腸薬、消化剤として市販され、胃もたれや胸焼けの薬として使われたのです。小説だけでなく、漱石も実際にタカジアスターゼを使っていたそうです。

ちなみに今でも薬局で買えますので、漱石に憧れている方は、食後にどうぞ♪

 

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京大のポストも蹴って、職業作家として生きる。が……

処女作以降、『倫敦塔』『坊ちゃん』と立て続けに作品を発表した漱石は一躍、人気作家となります。

そして明治40年、全ての教職を辞めて朝日新聞社に入社し、職業作家としての道を歩みはじめました。このときなんと京大教授ポストも蹴っているんですよ!モッタイナイ。

ところがところが……わずか3年後の明治43年6月、漱石は『門』の執筆中に胃潰瘍で入院、その2ヶ月後、療養に訪れていた修善寺で800gの大量吐血をして生死の境をさまよいます。

おそらく胃潰瘍からの出血でしょう。

漱石は何度も胃潰瘍での入退院院を繰り返し、痔や糖尿病にも悩まされました。甘いものが大好物だったそうなので、作家業のストレスものしかかって、摂取量もいきおい増えたのかもしれません。

そして大正5年、知人の結婚式で消化に悪いピーナッツを食べ胃潰瘍が再発。12月2日、排便の力みを契機に昏倒し、1週間後の12月9日に帰らぬ人となりました。

死の翌日、病理解剖が行われ、『胃潰瘍からの大量出血による失血死』と認められました。

まり先生の歴史診察室夏目漱石

 

医療が進歩し、胃潰瘍は死の病ではなくなった

胃潰瘍は、胃酸分泌と粘膜保護作用のバランスが崩れた際に起こります。たいていは粘膜保護作用の低下が原因ですけどね。

またヘリコバクター・ピロリ菌も胃潰瘍の発生に関与しています。防御因子が弱まったところが胃酸にさらされると、そこの粘膜が傷み、欠損。自覚症状としては『胃の不快感や痛み』があります。

潰瘍が深くなるとそこから出血しますし、更に進むと胃に穴が開く(穿孔)こともあります。太い血管に穴が開いた場合は大量出血につながり、その出血は命に関わりますので手術が大原則でした(残念なことに日本初の胃潰瘍手術は漱石の死から2年後)。

わざわざ「でした」という表現を使ったのは昭和57年に登場した「胃酸を抑える薬」により胃潰瘍出血が激減し、今では殆ど手術をしなくてすむようになったからです。

現在は、さらに違う種類の胃薬や、ヘリコバクター・ピロリの除菌療法、内視鏡をつかった止血術もあり、胃潰瘍での死亡は大幅に減少しています。

漱石が作家として活動したのは約12年間。もしも今の胃薬がその時代にあれば、もっともっと多くの作品が読めたことでしょう。

ただし、本気で生死をさまよったからこそ、珠玉の作品が数多残されたとも考えられるでしょうし……うーん、難しい。

イラスト・文/馬渕まり(忍者とメガネをこよなく愛する歴女医) amebloはコチラ♪

【参考】

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夏目漱石/wikipedia 子育て情報e-いくじ 吾輩は猫である/青空文庫 消化性潰瘍/wikipedia アミラーゼ/wikipedia 消化性潰瘍/MSD 潰瘍に外科治療は必要なくなったか/e-clinician 夏目漱石の胃潰瘍はピロリ菌の仕業/日本オムバス 長年苦しんだ“胃の病”で死去 夏目漱石(胃潰瘍)/脳出血で倒れて… 胃潰瘍の外科手術/胃潰瘍の治療法 胃潰瘍・十二指腸潰瘍/astellas

 

 

 




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